こんにちは、あべです。
昨日の続き・・・。
昨日のブログはこちら。
(モンロー研究所公式プログラム『ライフライン』4日目(1))
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(赤ちゃんを亡くして茫然としているお方様の前世の私を見つけ…)
ガイドにどうしたらいい?と聞くと「見続けろ」という。
忍者が上から降りてくる。その女(お方様の私の過去世)を抱えてウインク。
抱えて上に、ひとっとび。
切り立った山の頂上に忍者と奥方。山のそれぞれの頂上に向かい合うようにいる。
場面変わり屋敷内。
忍者の男を見て後ずさりする女中、びっくりして腰ぬかしている。
「これからあることをしよう」というガイドの声。
女中が「ひ~、だ、誰か
忍者が口に指をあて「しっ」と言う。
その視線のほうを見ると引き戸が少しだけ開いていて、その隙間から部屋の中を見る。
ひとりで書物を書いている着物の女がいる。わりとよい着物。
正座して、筆で書を書いたり、書物を読んだりして一人でそこに没頭している。
さっきの山のお方様の手を引き、「いこう」と忍者が言う。
「あなたの消えない悲しみを書くんだ、小説に」という声。
奥方の手を引く忍者。
賑やかな江戸の街。荷物を運ぶ女たちなど街が見える。
忍者がさっきのお方様の手を引き一つの家に入る。
筆と紙を持たせ、頷く。
奥方、戸惑うが書き始める。
いつの間にか、その手に握られているのが鉛筆と消しゴムになっている。
明治時代
重なるように、風呂敷包みを背中に背負って立つ着物の女(自分)。
子供がしがみついてる。男の子。こっちを見る。
シングルマザー
声がする。
「女流作家になりたい」。
「書きなよ
ぼんやりしている女。
「書いて、お願い。あなたは才能がある」という。「書いて」。
ゆっくりと振り返り、笑い「ありがとう、やってみる」という。
ちょっとぼろい着物を着て、背中に風呂敷の荷物と子供を抱えている女の姿。
夜、1~2歳の赤ちゃんを片手で抱っこしてあやしながら、もう片方の手で何かを書いている。一心不乱。
女中のよう。中居さんがたくさんいる住み込みの料亭か旅館。
女中が休憩する大部屋がある。
そこで赤ちゃんをあやしながら休憩時間に一生懸命小説を書いている姿。
同僚の太った女中がそれを見て「あんたよくやるねえ~」と言う。物好きな、という感じ。
「好きだから全然苦じゃないの」と嬉しそうに言う。「楽しいの、空想していると」。
子供におっぱいをあげながらやっている。
一区切りつけて子供を座布団に寝かしつけ、中居の仕事で座敷に出て行く。
お座敷に出て配膳をしたり働いている。
寝たはずの赤ちゃんが起きてハイハイしている。
重なるように見えてくる、死んでいる赤ちゃんの姿。
「ひぃっ
戻ってきてその姿を見て悲鳴。
片方の目のところが血だらけの赤ちゃん。
土間に落ちて頭を打ち付けて死んだ
ガタガタ震えて失神・・・。
「あんた、そんなんばっか書いてるから…不注意なんだよ、ちゃんと見てないから」と女中仲間が言う。
場面変わり。
木枯らしの吹く秋。とても静かな山寺。
人気が少なく平和な寺の中庭で掃き掃除をしている女。
静かな風景。
住職らしき坊主頭の男が着物姿で縁側からその姿を見ている。
ちり取りで枯葉を集めて取る。ぼんやりとしている。
心を失いどこにもいない感じ。でも生きている、それだけ。
穏やかだけど物悲しい風景。
男が袈裟を付けたお坊さんの格好になっていて、室内で着物の女に言う。
「罪を着る必要はない。手放しなさい」。
女は泣きながら首を振る。
「私のせいです。私のせい。私は二度と筆は持たない。二度と小説は書かないと決めたんです。誓いです。懺悔、あの子への」。
住職はため息をつき、ぽくぽくと木魚をたたきながらお経をあげる。
「あなたの傷をいやす。消えない傷とこの無意味な誓い。この呪いを今解く」というガイドの声。
「あなたは再び書けるようになる、イキイキと、みずみずしく感情を表す。
喜びがここにある。
人々の心を癒す。あなたも癒される。
その重い扉を開ける。今そのカギを渡す。使いなさい」
カギを渡される。受け取る。
首にぶら下げる。
「いつ使ってもいい。今でもだ」と声が言う。
胸の真ん中にカギ穴がある。
カギを差し込み、回す。
カチッと音がしてカギが開く。
扉を開けると、ハトやハートや色とりどりの綺麗なものたち、たくさんのかわいらしい物語が胸からあふれ出してくる。
ポップでパステルカラーの水色やピンクや綺麗な色のたくさんの物語。
美しい色彩が拡がる。
涙があふれてくる。
場面が変わり、黄色い菜の花畑が広がっている。
着物姿の私がいて、着物姿の男の人が手を広げて私を抱きしめる。
男の子が後ろからついてくる。
着物姿の男の子。菜の花畑にいる。
小さい手を差し出す。ひろげると手のひらに青い花。
男の子が笑う。
「許す」と聞こえる。
「ママを許す。だからもういじめないで、自分を。
いじめないでいい、許したから。
好きなものを書いて、お話をいっぱい。
たくさんの物語を書いてください。
お話を世に広めて。忘れずやって、このことを。
みんな待ってる、母さんの物語を」
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大号泣・・・・・・・・・・
いや、この体験をしたときはむしろびっくりして、びっくりしすぎて涙はちょびっとしか出なかった。
え、なにこの過去世、初めて見た・・・。
こんなのもあったんだ・・・。
びっくり・・・
私はこのブログでも以前何度か書いたような気がしたが、小説家になりたくて、小説を書きたくて、でも書けなくてずーっともがいていた。
このヘミシンクやその他の精神の旅は、この自分を癒したくて、小説を書きたくて始めたようなもの。
11年前のライフラインでも「小説を書く
30歳の頃、一念発起して書き始めたが、苦しさのあまりやめてしまって、最後に書いてから数年が経つ。
ずーっとずーっとやりたいけどできないでいたこと・・・。
この過去世一つだけじゃなくて、たくさんの書くことに関するブロックとなる過去世がある。
でも、これまでたくさんヘミシンクのワークをやってきて、ここまでダイレクトにこのブロックと解放が出てきたのは初めてで、本当にびっくりした・・・。
本当に書けるようになったのかな。
ブロックは根深いと強固だから、まだ安心はできないな・・・。
そして大号泣はシェア中。
だいたい私はハートのブロックがあってけっこう実は閉じてるから、こんな私的な大事な体験をシェアするのはまっぴらごめんというタイプ。
でも、テーブルごとにグループシェアだったので言わざるを得ず、同じグループの人の勧めで全体シェアとなった。
軽く笑いながら話しはじめたが、
「明治時代のシングルマザーで、中居さんとして住み込みで働いてて、小説家に・・・」
と言った瞬間、涙があふれて号泣
「小説家になりたくて」という言葉とともに、その想いがあふれ出してきて、涙が止まらなくなってしまった。
嗚咽しながらシェアをする自分を冷静に観察するもう一人の自分がいて
「ああ、こうやって恰好つけずに泣きながらシェアする自分、それだけでもハートのブロック外れたんだなあ」
って思った。
この日は4日目の朝だったけど、実はそれまでの体験は、自分のハートを癒すものが多かったのだ。
愛されない自分、自己否定する自分、殻にこもる自分、心の奥底を見せない自分・・・。
そういう自分を癒すセッションが多かった。
そこに来てこの体験。
実はセミナー中、もう一つの暗示があった。
2日目の夜、テレビで『アナと雪の女王』をやっていたのだ。
ヘミシンクセミナー中にテレビをつけたことなんて一度もないのに、ふと思い立ってつけたらアナ雪をやっていた。
流行っているときに映画を見なかったので、良い機会かなと少し見ていた。
すると劇中でフルセットであの大ヒット主題歌が歌われた。
「ありのままの~姿見せるのよ~、ありのままの~自分にな~る~の~♪」
おなじみのフレーズだが、心に残った。
その歌が終わってからすぐにテレビを消した。
でもずっとセミナー中に口ずさんでいた。
そこにきて、ヘミシンクの体験がハートチャクラと第1&第2チャクラに関するものばかりで、メッセージも「自分を愛せ、そのままの自分を認めろ、隠すな」ばかりだったから、今回のテーマはそれなんだなあって思った。
そこにきてのこの体験。
そして普段だったら絶対に死んでもしたくないような、自分の大事な大事な体験のシェアとみんなの前での大号泣・・・。
閉じてたハート開いたんだなって思った。
毎回ね、このモンロー研究所公式プログラムでは一つのテーマがある。
途中で気づくんだけど。
今回はこれかあ、「愛と恐れ、その癒し」かって思って・・・。
もうメインイベント終わった気持ちになったんだけど、実は今日、5日目も朝から大号泣。
なんなんこれ、この大号泣イベント
自分がここまで泣くとは思ってなかったよ
11年ぶり2回目のライフラインで
侮ってた。
侮りすぎてた・・・。
はあ。
つかれた。
てことで、今日の体験シェアはまた明日。
ではまた