そのようにして、土地神と産土神に守られながら私たちは死後約1ヶ月半あまり(49日)を過ごし、それから禊を終えるといわゆるあちらの世界に移ります。
あちらの世界はよく三途の川で表されるけど、本当にこの世とあの世の境には川があるらしい。
ヘミシンクでいうところのフォーカス22〜26までの間だけど、本当に隣接するフォーカス21には川があって、橋があります。
その先には、やはりこれもヘミシンク用語で言えば「生まれ変わりの中継点」があります。
フォーカス27ね。
再び肉体を持って生まれ変わるまでの間にショートステイするエリア、とでも言えばいいか。
さて、ここから少し難易度を上げていきます。
まずもって、生まれ変わりの理論を本質的には知らない人はここからついてこれなくなるかもしれません。
かまわず行きます。
たとえば、じゃあ、ご先祖様ってどこにいるのでしょう?
仏教的な用語では、神界とか、幽玄界とか、幽界とか、そんな言葉があるかもしれません。
しかし、実はご先祖様たちはもうあの世にはいません。
いわゆる、あの世という場所はショートステイ先。
次に生まれ変わるまでの間に短い滞在をする場所と定められています。
すると、100年前に死んだ先祖、1000年も前に死んで成仏していない先祖も含めて、私たちがいわゆるいっぱひとからげに「先祖」と言っている存在たちは、どこにいるんでしょう?
肉体的にいないのはもちろんのこと、魂的にもいない。
なぜならもう生まれ変わっているから。
しかし、ご先祖様は度々現れる。
しかも、死にたてホヤホヤじゃなくて、100年も500年も前に死んでいるのに。
生まれ変わってないの?
いえいえ、そんなことはございません。
なぜなら、私たちの中には、先祖であり過去世であるという存在は多数いるから。
これが一番影響力は大きいのね。
自分の過去世でありながら、肉体的にも繋がっている先祖だから。
この理論もいったん置いておこう。
何を言いたいかというと、私たちが先祖だと思い込んでいるものは、実は幻影でしかないということ。
こういうことを言うと、柳の幽霊の正体見たり枯れ尾花かと、なんだ、つまらん!と言う人もいるかもしれないが、話は違います。
単に、その存在の想いは残る。
つまり、死んでもういないのに、果てはもう生まれ変わりを果たしていて本体の魂はいないにも関わらず、想いグセは残ります。
私たちは、形骸的でなく、この想いグセを残している先祖の幻影に惑わされ、あるいは悩まされているだけなんです。
どう言う意味か?
紐解きはあとにして、Tさんの感想の先を読んで行きましょう。
しかし、長くなるので次に続きます。