けいこ ヴァールハイト Keiko Wahrheit Official Blog

なぜエネルギーを上げ続けていくと現実を変えざるを得なくなるのか

体調がどうにも悪い・・・と思ったら。
 
 
 
 
今晩から『恋愛恐怖症ブロック解除セッション』が始まるんでした。
 
 
 
 
どうりで最近、また眠れないし調子悪いし、エネルギー的に黒々しい映像も見えるし、自分自身もなんだかナーバス。
 
 
 
 
すでにどんどん内側から膿が出てきている感じです。
 
 
 
 
来週からは『アイデンティティ喪失解除セッション』の方も始まってくるから、体調整えていかないとですね。
 
 
 
 
 
 
さて、エネルギー変容の法則の中で「ここまできたら現実を動かさないともう変われない」というポイントについて、もう少し補足的に解説をしたいと思います。
 
 
 
 
前回の記事の、Kちゃんのシェアの解説の続きみたいな感じで聞いてもらえたらと思います。
 
 
 
 
たとえば私は今、ハワイに住んでいます。
 
 
 
 
これ以上東京に住んでいても変わらないポイントまで、自分のエネルギーが来てしまったから。
 
 
 
 
もちろん、これ以外の理由もなくはないんだけど、大きな理由としてはこれがある。
 
 
 
 
その前の前は白金台に住んでいて、そこから赤坂に引越しをした。
 
 
 
 
その時もガイドたちから「この家に住んでいる限りこれ以上は上げられません。引越しをしてください」と言われたから。
 
 
 
 
別に鵜呑みにして引越しをしたわけじゃなくて、実際にそうだなと納得したから。
 
 
 
 
なぜなら、その白金台の家はタワーマンションで見た目は良かったけど、立地があまり良くなくてエネルギー的には弱かった。
 
 
 
 
また、部屋がかなり狭くて物が増え過ぎて圧迫感があった。
 
 
 
 
エネルギーの法則って結局は私たちの感覚値でもあるわけだから、圧迫感がありながら住むってことは、かなり狭められたエネルギーでいなきゃならないってこと。
 
 
 
 
その状態で暮らしていては、いくらエネルギーワークをしてもそれ以上上がっていくのは難しくなる。
 
 
 
 
加えて、その家に住んでいる限りどこにも行けずにぐるぐる同じところを回り続けるブラックマジック的なものをかけられていた。
 
 
 
 
この3つの理由によって、エネルギー変容のつき止まりにきてしまった私は、さらなる上を目指すために昨年の9月に白金台から赤坂のタワーマンションに越したのだ。
 
 
 
 
そこはかなり背伸びな家賃だったけど、やはり強いエネルギーの人たちが住むエリアで、その中の最高峰ともいえるタワマンで、ここに住んだらエネルギー的にかなり上がれるだろうと思ってのこと。
 
 
 
 
そして、実際に赤坂に住み始めてから仕事の内容も収入形態も大きく変容した。
 
 
 
 
それはやはり私のエネルギーが変わったからに他ならない。
 
 
 
 
そして半年しか住んでいないのに、次のステップとしてのハワイ移住の話が持ち上がり・・・。
 
 
 
 
目まぐるし過ぎますね
 
 
 
 
まあ、これがいいか悪いかは置いておいて、こんな風に住むところで人のエネルギー値はかなり変わるし、それが地方都市だったり田舎の方から都会に越してくる、というようなことがあれば自分のアイデンティティも変わったり、役割や意図や意思も変わったりと大きく変化するのもわかるでしょう。
 
 
 
 
たとえば、会社を辞めた。
 
 
 
 
いつも会う人たちと会わなくなった。
 
 
 
 
それだけでも、よくなったり悪くなったりもする。
 
 
 
 
たとえば、わからず屋の上司に振り回されていて、意地悪な先輩ややり手の後輩にやり込められていたとしたら、このストレスを感じなくなっただけでもエネルギーレベルは上がらざるを得ない。
 
 
 
 
逆に悪くなるパターンとしては、すごく優しく親身に愛情を注いでくれたお母さんみたいな人が周りから消えて、全部自分でやらなきゃならなくなって、混乱してし損ねるとかね。
 
 
 
 
私たちは必ずエネルギー的に人と繋がりながら生きているから、良かれ悪しかれ、動くことによって大きな変化が必ずあります。
 
 
 
 
そしてここからがポイント。
 
 
 
 
エネルギーの変容を求めてエネルギーワークをしてもしてもちっとも変わらない人、あるいはつき止まりにきていてこれ以上変われない人は、こういう周りの影響によってエネルギーを押し下げられていたり、自ら上がっていかないように止めていたりもする。
 
 
 
 
潜在意識の働きによって、はからずもということも含めて。
 
 
 
 
なぜかというと、私たちは怖い、変わっていくのが。
 
 
 
 
そして運もリバウンドする、いきなり大きく変えすぎると。
 
 
 
 
良いエネルギーを取り込んで自分が良くなっていく兆しが見えた途端、怖くなってこれまでの場所に逃げ込もうとして、せっかく変えた良い環境を自ら悪いものに変えようとしたりあくせくする。
 
 
 
 
それが私たち。
 
 
 
 
だからやはり徐々に慣らしていくしかない。
 
 
 
 
 
そして、冒頭に述べた、なぜつき止まりにきたらエネルギーワークをしていてもさほど効果が出ず、現実を変えないとそれ以上先に行けないかの話。
 
 
 
 
つまりさ、これまで生きてきた現実は、私たちがその時持っていたエネルギーで創った現実。
 
 
 
 
でも、もうエネルギーが変わり始めていくと、その現実に自分が合わせられなくなってくる。
 
 
 
 
これまでは心地が良かったり、さほど良くなくても疑問がわかなかったり、こんなもんなかなーで生きてこれた。
 
 
 
 
だけど、自分のエネルギーが変わり始めてしまうと、もうそこが窮屈に思えたり、バカバカしく思えたり、何もないということにも気づいてしまう。
 
 
 
 
急激に色あせていく世界に、あなたはい続けることができるでしょうか?
 
 
 
 
もちろん、エネルギーの法則を無視して、左脳的な思考によって無理してい続けることはできるでしょう。
 
 
 
 
見ないようにして、フタをしてやり過ごす。
 
 
 
 
だけど、エネルギーはもう合わないからストレスは溜まる。
 
 
 
 
イライラする。
 
 
 
 
もっと自由にのびのび広がっていきたいけど、いけないことに。
 
 
 
 
すると、ブレイクスルーはなかなか起きない。
 
 
 
 
そのストレスによって恒常的にエネルギーは下げられても行くから。
 
 
 
 
でもそれだけじゃなくて、新しい居場所、自分の新しいエネルギーで創った新しい世界に飛び込むことで、急激に人生は拓けていく。
 
 
 
 
なぜなら、そのエネルギーとその世界はマッチしているから。
 
 
 
 
楽しいし、自由だし、ノンストレス。
 
 
 
 
新しい世界に飛び込んでしばらくは、慣れないから心配になったり不安になったりするかもしれないけど、でも気がつけばそれが当たり前になっていて、「なんであんな小さい世界にこだわっていたんだろう」とむしろ笑ってしまうかもしれない。
 
 
 
 
だから、エネルギーの訓練をしてエネルギーが上がって、違和感を感じることが増えたら一つ一つ手放していく。
 
 
 
 
これを繰り返していくだけで、現実は恐るべきスピードで変わっていく。
 
 
 
 
だけど私たちは、これまでの小さい世界にも愛着があったり、役立たなくなった人間関係に執着したり、離れていくと思うと悲しみもする。
 
 
 
 
だから、つき止まりにきてしまった時にはすぐに次のステップにはたいてい行けずに、もがく。
 
 
 
 
半年や一年近くもがくのなんてザラ。
 
 
 
 
だけどそれでもフガフガやってると、あるときスコーンと腹落ちして、行くぞ!と決めて次に歩き出せる。
 
 
 
 
これは、このステップを繰り返してここまできた私だから言えること。
 
 
 
 
でも私だけじゃなくて、同じような体験をしてきた人たちはみんなそうだと思う。
 
 
 
 
言うは易しだけど行うのは本当に大変で、だけどもその先の素晴らしい世界を見ちゃったらまた前に進むしかないから。
 
 
 
 
 
そして、このアセンションの地球は止まることがありません。
 
 
 
 
基本的に地球は上がり続ける、進化の方向に。
 
 
 
 
進化の方向とは、すべての人々が本質に帰っていく世界。
 
 
 
 
これまでのようなエネルギー的に嘘がつけた世界とは違って、とにかく嘘がつけなくなる世界が加速して広がっていくだけだから。
 
 
 
 
だから、昭和や平成の時代には私たちはまだまだ逃げも隠れもできたし、自分でない状態で生きれた。
 
 
 
 
だけど、来年から新しい年号に変わりますが、その時代からはもうできないって思った方がいい。
 
 
 
 
もちろん、今この瞬間からだってそうだけど。
 
 
 
 
だとしたら、変わりたくないからどこかに逃げようとか隠れようとか、もうエネルギーのことはやめておこうとかしても無駄。
 
 
 
 
だったら積極的にがっぷり取り組んで、とにかく変わってしまう方向の波に乗ること。
 
 
 
 
えいやっと飛び込むと、意外と浅瀬で泳ぐよりも歩けちゃったりして、そのうちもっと泳ぎやすくて美しい海に出て、波乗りも上手くなって、仲間たちも増えて、すいすい波に乗ってるかもよ。
 
 
 
 
 
私もまた一つ、成長します。
 
 
 
 
自分の臆病でフタをしていたことに向き合ってみるよ。
 
 
 
 
いつかまた、そんな報告もできたらと思います。
 
 
 
 
ではでは、またね