ご質問をいただきました。
この質問は、みんなが聞きたいことをすごく含んでいるなと思ったので、ブログからお答えさせていただきますね。
Kさんより。
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4、5年くらい前から、クレッグのセッションやあべさんのセッション、方位術等々頑張ってきました。
仕事をやめたり、ある意味人生を一から立て直し中です。
あべさんの遠隔セッションは沢山受けさせていただいていますが、毎回の膿だしで大変なのと、少しづつしか変化しない自分ってなに???
って感じでした。
今回、アイデンティティーのセッション募集を見た時、受けいた、でも、あべさん依存症なのか?とも思っていましたので、アドバイス本当に
本当に力になりました。
私の積みあがったブロックは、少しづつ外していくしかないのでしょうか?
私だけが満載なのでしょうか?
こういうタイプは遠隔やヘミシンクを続ける以外ないのでしょうか?
その辺もブログ等でアドバイスをいただけると嬉しいです。
アドバイス本当にありがとうございました。
アイデンティティ喪失セッション、楽しみにしています。
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さて、このKさんの疑問が、以前の私の疑問だとしたら、みなさんはどうお考えでしょうか?
本当にこれは、私の感想そのもの。
そして私こそ、未だにアイデンティティを喪失しているかもしれません。
私こそ、ウロウロ癖があるかもしれません。
私こそ、どこに行って何をしても満足できない病におかされているかも。
実際にそうである部分と、ない部分と両面がありますが。
まず、私とKさんの違いを伝えると、どの周波数帯域を航行しているか。
周波数帯域とは、簡単に言えば「ドレミファソラシド」の「ド」なのか「シ」なのか「レ」なのかという問題。
ここではわかりやすく説明するために、いったん私を一番高い「ド」、Kさんを下から3番目の「ミ」としていきましょう。
一番高い「ド」にいる私には、「ミ」にいるKさんの姿は見えません。
なぜかというと、周波数帯域の違いによって切り分けられている世界はもうだいぶ前から始まっているから。
すると、Kさんはこう思う。
「私は『ミ』だからダメなんだ」
違います。
だいたい「ミ」のエリアにいる人々は、自己肯定感の低さと戦っていることが多い。
何でもかんでも「だから私はダメなのだ」「だから私はうまくいかない」「私だからダメだったのだ」と考え、意識がそこを向くから現実もそうならざるを得ない。
今のKさんの希望は「ファ」のエリアに行くこと。
しかしそれだけでなく、今のアセンションの時代は、「ファ」も飛びこして、「ラ」にも「シ」にも一番上の「ド」にだって行けるということ。
どういう意味か?
もう少しわかりやすく説明したいのですが、なかなか難しいのでまた例にとってお話ししましょう。
たとえばA子さんという人がいます。
自己肯定感がめちゃくちゃ低い。
性格は素直でそこそこ可愛いしファッションセンスも人並み。
だけど、両親から「お前はダメだ」「お前はできない」「お前は可愛くない」と言われて育てられた。
するとA子さんはこうならざるを得ません。
「私はダメなのだ」
「私は醜い」
「私は人より劣っている」
かくしてA子さんの孤独な戦いはそこに在り続ける。
しかし、幸いなことにA子さんは頭がいい。
真面目で優秀で、そこそこ機微があり、みんなから好かれています。
すなわち、良いDNAを家系から引き継いでいます。
簡単に言えば、先祖から守られているタイプの人。
さらには、スピリチュアルの知識があり、神様を大事にしたり、人への貢献がなんたるかを知って厭わずにそれをすることで、自分の住むエリアの土地神にも好かれている。
そうすると何が起こるか。
簡単に言えば、たとえば『アイデンティティ喪失解除セッション』などの解除系セッションの情報が耳に入る。
なぜならば、土地神やガイドやガイド的な先祖がその情報を耳に入れさせる。
そして、ピンときたA子さんはそれに申し込む。
すると、7回も連続で行われる遠隔解除セッションによって、いよいよ自己肯定感の低さとおさらばできる状況が整ってくる。
この場合、A子さんはそこそこまともで、あまりこれまでこのような類の遠隔ヒーリングなどを受けてこなかったと仮定します。
なぜなら、まともさの履き違えとして、「遠隔からエネルギーなんて本当に送れるの?」とか「そんなことしたってそれほど変わらないだろう」とかの考えがあり、これまで手を出してこなかった。
しかし時が満ち、もうこれ以上待てないと土地神やガイドたちが思うようになったとき、小さくA子さんの肩を押します。
「試してみたら?」
「何もやらなければ何も変わらないよ」
などと耳元で囁く。
すると珍しくA子さんはやる気になり、これを試してみよう・・・と相成った。
その結果、低かった自己肯定感が完全に良くならなくなったとしても、そこそこ良くはなった。
そこでA子さんがはたと気付くことがあるならば、「自分って、自己肯定感がめちゃくちゃ低かったんだ!」ということ。
すなわち、これまで自己肯定感が低すぎたA子さんは、まず「気づけていない」というエリアにいた。
自分が自己肯定感がめちゃくちゃ低すぎて、そのために自分が持っている素晴らしい資質を自分に使えず、ただただ人に垂れ流ししていただけだったと気付くところから旅は始まっていく。
A子さんは、これまでと世界の見え方が変わってきたことにも気付く。
「なぜ私はあんな受け答えをしていたんだろう」
「なぜ私はあんなことをされて怒らずにいられたんだろう」
「なぜ私はあんな愚にもつかない相手に惚れて、せっせと尽くすということをしていたんだろう」
などなどなど。
A子さんは自分に向き直り、自分の内側の何がそれをさせていたかを見に行く。
すると、両親との関係性の中で自分が汚され続けたことにも気付く。
さらには、過去世の中にも大きなブロックがいくつかあったことにも気付いていく。
なんなら、バーストラウマとしての難産だった自分の赤ちゃんの時の恐怖の記憶も発見する。
女きょうだいの中で、いつも負けまいとしていて、でもいつも賢く美しいと思い込んできた姉に負け続けていた記憶や。
さまざまな記憶がA子さんの中に蘇り出す。
かくして、A子さんは自分の中にある自分を幸せにしないこれらの記憶を取り外す旅に出かけることとなる。
さて、この場合、A子さんは先ほどの「ドレミファソラシド」のどのエリアにいるでしょうか。
たとえば、気づきが起き始める前を一番下の「ド」だとするならば、なんらかの遠隔解除セッションなどを受けて気づき始めたA子さんの状態は、おそらく「レ」か、よくすると「ミ」の一番下のレベルになるでしょう。
では、先ほど質問をくれたKさんは「ミ」のエリアにいると言いましたが、しかし同じ「ミ」の中でも段階があって、A子さんよりも高い「ミ」の中の一番上の段階にいるとしましょう。
すると、Kさんはそろそろ「ファ」の段階に入っていかないといけない。
「ファ」の段階は、そこそこ怖い。
なぜならば、自由度が「ミ」よりもかなり高くなってくるから。
自由度が高まるということは、すなわち、自分で選べる領域が増えてくるということ。
簡単に言えば、自己肯定感の低さが一つの大きな問題でもあったKさんにとっては、「自分で自分の選択を信頼できない」というタイプの強力なブロックがあった。
すると、この先の「ファ」のゾーンでは自由度が増し、なんでも選べるようになる。
だけども、自分は自分を信頼できない。
誰かが言ったことや、教えてくれた道は信頼できても、自分が決めた道は疑わしいし、なんなら後悔したり、元に戻りたがったり、こんがらがったりもする。
すると、Kさんはまた迷いの中に放り出されて途方にくれる。
そして、そんな途方にくれる自分にもう出会いたくない。
なぜなら、これまでも途方に暮れまくってきて、悲しんだり行き先がわからなかったり、迷ったり、自分を責めたり、泣いたり落ち込んだり、忙しくて疲れたから。
だけど、Kさんは知らない。
この先の自己肯定感の低さが取り外されて入っていく「ファ」の世界は、自由度が上がるだけではなく、ただ自分を信頼できるようにもなっていき、自分の手で掴み取ったあらゆるものを眺めて満足していく世界だということを。
だから私はKさんにも言いたいし、これを読んでいるみんなにも声を大にして言いたいのは、「歩みを止めないで!」ということ。
次の段階に上がる前は一番抵抗感が強い。
そして、虚しさにも襲われる。
「結局やったって大して変わってないじゃん」
「これまでの努力はなんだったんだろう」
「そこそこ良くはなったけど、また同じところで躓いて、私って変わらないな」
そんな風にも思う。
だけど、それこそが、その思いこそが、次の段階に自分を行かせない、潜在意識が元いた場所に引っ張る力だということに気づいて欲しい。
みんなにも。
新しい場所は怖い。
なぜなら、知らないから。
記憶と記録でできている私たちの体は、とにかく記録を取りたがる。
情報を尊び、役立て、そしてそのエリアにとどまることで、かつて自分が体験した記憶と記録の情報によりあらゆるすべてを処理し、安心する。
それがたとえネガティヴな体験だとしても、それはいつもの自分のパターンだから知ってる。
だから安心できる。
知らないゾーンに入ることをとにかく潜在意識は嫌がって、元いた場所にいたがって、そのためならいくらでも顕在意識を曲解させること。
そしてこのとき潜在意識は、もっともらしい言い訳や説明や言葉を私たちに聞かせること。
そして、「そうだそうだ」と納得した私たちは、次のエリアに手をかけていても、そこには行かずに引き返してしまうこと。
そして、「かつては私も夢見たよなあ、すべてが変えられるとか、すべてが選べるとか、ていのいい言葉に踊らされて・・・」なんて思う。
だけど、実は自分が怖くて元いた場所に逃げ帰っただけだということ。
安全地帯から出られなかっただけだということ。
だけど、昨日のブログに私が書いたことは嘘じゃない。
そうやっても生きれる。
変わらないことを選ぶこともできる。
いい悪いじゃない。
ただ選択があり、その結果があるだけ。
安全地帯にいることも。
安全地帯から出ることだって、もちろん選べる。
最後に、Kさんの「あべさん依存でしょうか」の言葉は、私がかつてクレッグに言った言葉と同じです。
私もクレッグのセミナーやセッションを受けまくっていた数年前、これは依存なのだろうかとはたと思ったことがありました。
そして、同じ言葉をクレッグにぶつけた。
するとクレッグはこう言った。
「よくなろうと思うことは依存ではないよ。あなたはただよくなりたいんだ。それだけだよ」
本当にはこんな言葉じゃなかったかもしれないけど、でもこんなようなこと。
「依存」とは、その人がいないと生きられない世界のこと。
だけども、私たちがやっているのはそうならないための自己レッスン。
自分の周波数が上がっていくということは、すなわちこの依存状態からの脱出に他なりません。
自分の自由意志であらゆるものを選べる時代に、その状態を自分の中に作っていくレッスン。
レッスンしている途中はやっぱり先生は必要だし、単なるレッスンではないから、エネルギーを書き換えてくれる導師のような存在も必要。
いつのまにか私はこんな導師みたいなことができるようにもなっていて、今はみんなを導いてもいるけど、かつての私は違った。
情けなかったし、何もできなかったし、何かになりたかった、いつでも。
自由が欲しくてもがいてもいた。
だけど、今の私はそこそこ自由。
そこそこ楽しい。
そこそこ満足度が高い人生を生きれてもいる。
今のそこそこから、もっと究極に、の世界に入ろうともしているけど。
先に旅を始めた私が今ここにいるとしたら、Kさんだってそうなれる。
なりたいかなりたくないかは置いておいて。
私も今でもいろんな信頼できるヒーラーさんのところに行くけど、以前ほど一生懸命行ってはいないのは、もう自分で自己ヒーリングも自己世界の構築もできるようになってきたから。
だからみんなもいずれそうなる、そう遠くない未来に。
その状態を作るための遠隔ヒーリングや解除セッションでもあるから、これは依存とは捉えなくて良いと思いますよ。
さらにこの旅は、一定の法則にのっとって粛々とやるしかないと見せて、たとえば自己肯定感の低さがぽろっと取れてしまうと、あっという間に「ミ」から二階級特進で「ソ」の世界も「ラ」の世界も生きられるようにもなりますから。
楽しんでこの旅を続けていってくださいね。
みんなもね
ではでは、またね