満を持して、イスラエルツアーのことを書きます。
こういう仕事に私情を入れてはいけないとは思うのですが、私にとってこのイスラエルツアーはなんというのでしょうか・・・断腸の思いで、という言葉だと日本語としておかしいのかもしれませんが、本当に断腸の思いで決断したツアーなのです。
何が断腸の思いなのか。
結論としては「行くこと」なのですが、なぜ見も知らぬ国、そして行ったこともなければ基本的にイスラエル人には会ったこともないし、縁もゆかりもない場所・・・のはずなのにこんなに思い入れがあるのか。
もちろん日本人として生まれたのならば、日本以外の諸外国は基本的に縁もゆかりもなければ、訪れたこともないなら関係のない国。
だけども、みんなそうだと思うけど、どこか大好きだったり大嫌いだったり、すごく興味があったりぜんぜん考えたこともなかったりという国があるでしょう。
そういうのは、私たち人間的な頭で考えたら、親が好きだったからかなあとか、映画で見て憧れてとか、あるいは絵本の中で繰り返し出てきたからとか、いろいろ理由づけはできる。
だけど、じゃあなんでそれを絵本で見たから記憶に残ってるのかとか、映画で他の国を舞台にしたものがあってもそこじゃないのはナゼかとか。
突き詰めて考えると、嫌いとか好きとかいう感情の向こう側には、実際の人間的な生活から培われたものとは違う思いが表出する。
やっぱりそれは過去世に他ならなくて、私たちは今回の生だけじゃなくてたくさんの生を魂を肉体に乗せ変えて旅を続ける中で、よかった人生もあれば最悪に終わったものもあって、それらは秤にかけてもはかれないほどの重みを持って私たちの今回の生に大きな影響を投げかける。
だから、私たちはだからこそもう一度生きさせられてもいるのは、そのときにし損ねたこと、し過ぎたこと、あるいは失敗や悲しみなど、たくさんの記憶の貯蔵庫の中にあるいわゆる「カルマ」的ブロックを解消するためと言えなくもない。
だから私は思う。
なんでこんなにイスラエルに思い入れがあるのかと。
実際には、思い入れ以前に、全く興味が湧かなかった時期もあった。
しかし、私のチャネリングでたくさんの存在たちが降りてくる中で、イスキリやマグダラやヤコブやヨセフ、あるいはキリストの弟子たちとの関係性を紐解くような存在たちが現れだしてから、どんどんイスラエルやユダヤや、あるいはキリスト関係との縁を感じる出来事が起きてきた。
たとえば、一昨年行ったイギリス・グラストンベリーの旅。
なぜかわからないけど、イギリスに行かなくちゃなんだとわかり、そして「アーサー王を巡る旅」というタイトルを銘打って開運ツアーを行った。
その旅は、初期メンバーというか、私が過去世でネガティヴにもポジティブにも深く関わってきた旅の仲間たちとそこに行くことでまとまったカルマの引っこ抜きをした、その本当に初期の段階の出来事。
そこから私はグラストンベリーの丘の上にあるトーと繋がり、アクセス回路を開いてサイキックは増したし、なんなら魔法使いマーリンと繋がれるようになったり、アーサー王は実は魂としてはイスキリだと教えられたり、このイスキリはクフ王として表出したこともあると聞いたりもした。
そして、チャネスク生たちの中から、やっぱり今世も深く関わっていく人も含めて、エジプトにも行ったし、なんならマルタ島にも行かされたし、そのあとはスペインと南仏の旅。
思い起こせばこの旅のほとんどすべてか、キリスト教と深く深く関わり過ぎてしまった過去世の組み敷き直しだった。
もちろん、マルタ島やスペイン・南仏はドンズバだけど、じゃあエジプトってなんなの?と聞かれたら、やっぱりそれはモーセ。
あるいは、シナイ山。
あるいは、イエス・キリストやマグダラや弟子たちがたくさんその辺りの地を旅して、修行を行った場所かもしれない。
あるいは、スペインやグラストンベリーなんかもそう。
そして、はたと思い当たるのは、イギリス・グラストンベリーの旅に行かされる前に、ポルトガルのファティマに入り、よくよく考えたらこの時からイスラエルへの導線は敷かれはじめたんだということ。
そして私は後ほど知るのは、これらの私が行かされている旅の仕組みは、全部というかほとんど、『ダ・ヴィンチ・コード』に載せられている話と一致しているらしいということ。
「らしい」というのは、私は実はこの本をまだ読めていないの。
映画も見ていない。
というのも、なぜか見れなかった。
そして本もみんなに勧められて「読んでみるね」と言いながら今だに読んでいない。
だけども私が後で知らされたのは(すでに読んだ人から)、「けいこさんが辿っている足跡は、全部『ダ・ヴィンチ・コード』に書いてある内容まんまですよ!」ということ。
私は本の中身がまったくもってわからないので、彼女の言葉が何を指しているのかわからない。
しかも、なぜイギリス・グラストンベリーからのスペイン・南仏で、そのあとイスラエルだと高次元の存在たちに言われたのかもわからない。
わからないけど、グラストンベリーに行き、スペインと南仏のカミーノの道を辿り、そして満を持してイスラエルへの旅に出かけようとしている。
これが何を指すのか。
正直、今の私にはわからないことだらけ。
でも一つだけ言えるのは、私は、あるいは旅の仲間たちと合わせて「私たちは」、ついに終着点に向かうのだということ。
そして私は今思うのは、ここで一体何人の人が死に、残酷さを味わい、のたうち回るような火の苦しみ、人から誹謗中傷されたこと、ただ槍で突き殺されるだけじゃなくてひどい拷問を受けたのか。
そんな記憶を持つ人が、日本人に何人いるんだろうかということ。
なぜなら、私たちはやっぱり記憶装置としてはユダヤに起因する。
DNAとして。
あるいは、過去世の記憶として。
やはり日本人はユダヤ民族ととても近しい国民性をしていて、そして本当に原初の記憶はそこから来ているとしか言えない。
あまたいる、こうした過去世の記憶を紐解いていくようなスピリチュアリストたちや、研究家の人たちが「日ユ同祖論」なんかをさかんにケンケンガクガクしているときに、私はちっともそういうの興味がなかったし、まったくわかりもしなかった。
だけど、自分がスピリチュアル探索を重ねていくうちに知ったのは、どうやら自分や仲間やクライアントさんたちもイスラエルやイスキリ・マグダラ、そしてイエス・キリストと関係のある過去世があり、あるいは肉体として流れ込むDNAがあり、そしてはるかかなたの記憶としてはそれはとてもネガティヴだということ。
すなわち、ここを紐解かなければ私たちは基本的に楽になれないし、楽になる発想も湧いてこないということ。
私は今このブログを、高次元の存在の中でもとてもサポート力の高い存在の力を借りて書いているんだけども、これ以上は教えられないと言われてしまった。
行ってみないと、私が何をさせられるのか、私たちが何をしに行くのか、本当にはわからない。
しかし私が感じるのは、全部嘘じゃないということ。
だって、なんで私は知らないのに『ダ・ヴィンチ・コード』そのままの足跡をたどって、グラストンベリーからスペイン、そしてエジプトやシナイ山を通ってからイスラエル入りしようとしていたのか(このルートで行くように言われたのですが現在の国事情によって変更になりました)。
また、イスラエルの写真を見ると背中がゾクゾクしてしまうのか。
この記事を書くにあたり、早く募集告知をしないとと思いながら気が乗らなかったのはなぜか。
その前に、旅のプランを提出することすらなかなかできなくて、仕方なくはじめたときやはり背中がゾクゾクして鳥肌を立てながら資料をひっくり返して旅のプランを練ったのはなぜか。
私の内側にいるインナーセルフがきっと教えてくれているから。
この旅は特別でしかないということを。
そしてやはり、かなりネガティヴな凄惨な体験がこの地を舞台に繰り広げられたことを、私の記憶装置が覚えていて、本当は二度と近づきたくもないんだということを。
しかし、こんなことをつらつら書くと、じゃあお前はなんなんやと。
イスキリやマグダラや、あるいはイエスの弟子や弟子の仲間たちの生まれ変わりなんかと。
そう聞かれたら、私もわからないというしかないし、だけども一つだけわかるのは、「分け御霊」という発想においては、私たち日本人の中でこのようなことに興味のある団体や人たちは、みんな関連する過去世を持っているのだと思う。
魂はいくつにも分裂しますから、ドンズバそのものじゃなくてね、いくつかの記憶のエッセンスはみんな持たされているんだと思うよ。
だからさ、集団でここに行き、カルマの引っこ抜きをバンバンすることで、私たちだけが変わるんじゃなく、関わる人たちにはみんな良い影響力があるんだと思います。
グループソウルという流れの中でみんな起きている出来事だから。
だから私は満を持して、という言い方をしたし、断腸の思いで、という少しおかしな言い方もした。
この旅、関わる人は必ずピンときているはずです。
だけど、恐れがまだまだ残っている人は逃げると思います。
私も企画しておきながらなんだけど、逃げたかった人のうちの一人ですが。
でも、逃げない人たちによって席は埋まりつつあり、残すところ残は3席のみです。
人生を根本から変えたい人、自分の魂のいわれを紐解きたい人、もっと現状をよくしていきたい人は、ぜひ共に旅しましょう。
本当に私は心からのアテンドをさせてもらいます。
心からアテンドというのは、もちろんエネルギーサポートのことだけど、アクティベーションあり、個人セッション並みの個人の話とエネルギーの動かしと、家族関係や友人関係、そして仕事関係者の中から人生から追い出したい人がいればエネルギーコードの断ち切りや組み敷きもします。
そして、ピンと来る人はきっと必ずサイキック。
ということは、やっぱりこの旅に参加する人たちはこの世ごとが得意じゃなくて、あの世ごとの方が得意かもしれないけど、でも私はしっかりこの世にいながらあの世ごとができるようになりたいし、私の今一番の課題でもあるそこのところを深掘りする旅にもなりそうです。
ということで、ピンときた方や、実は行こうかと迷っていた方などは、本当に早めにお申し込みくださいね。
詳細、お申し込みはこちらです。
『キリストとマグダラのマリアの足跡をたどる愛と奇跡の巡礼地イスラエルの旅 8日間』
それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました