2019年3月9日

イスラエルの旅3日目、その2。ヨルダン川沿いの洗礼所でバプテスマのヨハネの名を聞く

前回のブログの続きです。
イスラエルの旅の3日目、午後。
ベトシャン遺跡を見学した後、私たちはクサルアルヤフードにあるヨルダン川沿いの場所に来た。
ここは、イエスが洗礼を受けたとされる場所。
前日にたくさん雨が降ったおかげで、川の水が濁り、またものすごく増水していました。
ガイドのアキさんいわく「こんなの初めて見た」。
イスラエルに45年住み、ガイド歴も長い大ベテランのアキさんでも見たことのない、大増水したヨルダン川。
それでも、たくさんの人たちが洗礼を受けようと列を作り階段の下に。
普段は、河岸まで降りられるのだそう。
ヨルダン川は、イスラエルとヨルダンを隔てる国境沿いの川。
川の向こう側はヨルダンです。
洗礼場所は、イスラエル側とヨルダン側と両方あるのですが、ヨルダン側は立ち入り禁止になっていたのか、人の気配はありませんでした。
ここで私に起きた不思議なこと。
とっても平易な言葉で言えば、泣けた。
涙が溢れてきて止まらなくなった。
そして、なぜ自分がこんなにも哀しいのか、泣けるのか、まったくわからないけど、とにかく泣いていた。
それは、特にガイドのアキさんのこの言葉を聞いた直後から。
「ここは、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたとされる場所です」
バプテスマのヨハネ。
バプテスマとは洗礼という意味。
洗礼者ヨハネは、古代ユダヤの宗教家。
イエスの前に、人々を洗い清めるために神から遣わされて地に降りたとされている。
一説によると、イエスの最初の弟子であるペトロとアンデレはこの洗礼者ヨハネの弟子だったそう。
イエスの前に道を作り、その道をイエスや弟子たちが辿ったと言えなくもない、古代ユダヤにとって先駆者的な神ごとを正しい姿勢で行なっていたとても重要な人物。
私は、バプテスマのヨハネの名前をそれまで知らなかった。
どこで知ったのかというと、ここに来る途中の飛行機の中。
この旅に出かける前に、私をそこに導いた高次元の存在たちから言われた『マタイの福音書』。
そこに、バプテスマのヨハネの名があった。
指定された14章には、ヨハネの死に関する話が書かれていたのだ。
簡単にまとめると、こんな話。
「領主ヘロデは、自分の異母兄弟の妻であったヘロデヤと恋仲になり、自分の妻と離婚してヘロデヤと結婚した。
洗礼者ヨハネは『それは律法に反している』とヘロデを責め、そのために捕らえられて投獄された。
ヘロデはヨハネを処刑したかったが、群衆を恐れて行わなかった。
なぜなら、多くの人々は洗礼者ヨハネが正しい行いによって人々を導き、また数々の奇跡を起こすなどして宗教家として素晴らしい大人物だということを認めていたから。
そんな折、ヘロデの誕生日の祝いの席で、ヘロデヤの娘が素晴らしい舞を見せた。
ヘロデは大変喜び『欲しいものをなんでも与える』と言ってしまう。
すると、ヘロデヤの娘はヘロデヤにそそのかされて『洗礼者ヨハネの首が欲しい』と言う。
ヘロデは困ったが、一度約束をした手前、破るわけにはいかないとヨハネの首をはね、ヘロデヤの娘に渡した。
その話を聞いたイエスは深く悲しみ、ひとり寂しい場所に赴いて祈った」
私はこの話を飛行機の中で読んだとき、ひどいこともあるものだ、というような本当にごくごく平凡な感想と、今回の私たちが行く旅の一つの目的でもある「神に対する怒りと認識違いを解き放つ」というテーマについて思いを馳せた。
そして、このヨルダン川沿いの洗礼の場所でアキさんの口から「洗礼者ヨハネ」と聞くまで思い出さなかった。
しかし、この場所でその名前を聞いた途端、慟哭のような怒りと哀しみと、突き上げるような気持ち、そしてたくさんの涙が、私の内側から溢れ出てきた。
それはやはり、私だけのものではなかったようで、たくさんの旅の仲間たちが泣いていた。
特に、Mちゃん。
「さっきからずっと、遠藤周作の『沈黙』の中にあった『なぜ神は助けてくれないのか』という言葉が頭の中をグルグル回っていて」
なぜなのかと思っていた、と言う。
Mちゃんは、もともとの資質が神ごとをする人そのもので、でも、たくさんの過去世において過ちを犯しすぎて(なぜならたくさんの人がしたくない汚れた仕事を神性の高さにより請け負いすぎた)、自分を許さない・・・と固まったままだった人。
今、さまざまなエネルギーワークによって元の自分の資質を取り戻しつつある。
だから、天然サイキックセンスが強い。
天然サイキックセンスの最たるものは「ただ解る」という感覚。
理由はないけど、確信するような、「解る」という感覚。
そのサイキック力で、かつてこの地で行われた出来事と、またその時の自分の記憶とつながってしまったよう。
『沈黙』とは遠藤周作の歴史小説で、長崎のキリシタン弾圧を描いた物語。
たくさんの隠れキリシタンたちが捕らえられ、神への忠誠を誓って拷問にかけられていく姿を見た敬虔な宣教師が、神の存在を疑い始める・・・というような内容。
私は読んだことはないのですが、テーマが今回の私たちの旅とよく似ていると思いました。
少し話が長くなってしまったので、記事を分けます。
続く。

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