イスラエルの旅、5日目。
私たちはいよいよ、旅の本丸でもあるエルサレムへと到達した。
ここは神殿の丘。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教にとっての聖地です。
もともとは、ユダヤの民の始祖であるアブラハムが神に試されて、息子イサクを生贄に捧げようとした、モリヤの丘でした。
金のドームは「岩のドーム」と言って、イスラム教の第三の聖地です。
この場所は、3つの宗教が、さまざまな時代を経てそれぞれが聖地として大事にしている場所でもあり、またそれだけに所有権争いが絶えなくて、未だに3つの宗教は、いがみ合うでもなく、咎め合うでもなく、ただとにかく必死にバランスを保ちながら存在してもいます。
宗教的な仕組みや歴史的背景はさまざまにあるのですが、私は詳しくないのと、今はその解説に文字数を割くのももったいないかなと思いまして。
私なりの、目に見えない世界の解釈とさせていただきます。
この上空に感じたのは、歴史的背景とは少し違う、不穏なエネルギー。
それは、ここが聖地とは違うという意味ではなくて、単純にさまざまな存在がお互いに睨みをきかせながら存在していて、そのバランスがあまりにも絶妙でありつつも、あまりにも刹那的で危うくもあったから。
一触即発とはまさにこのことで、ここは上空に高いレベルの管理官(高次元の存在)を置かなければ、あっという間にポシャってつぶれて暴発して、大変なことになる地域。
地域特性って結局、どんな存在がどれだけの力を持って、どれだけの熱量でサポートしているか、ということに他ならなくて。
だから、例えば熱田神宮にサポートされる名古屋は、豊田という地区のエネルギーも含めて、全国からたくさんの人が訪れたり、ほかの流行や流れが来てもデンとして動かない「名古屋気質」が作られていたりして、それはやっぱり上空の管理官がドッシリとしていて力強いから。
熱田さんがそれなら、東京大神宮や日枝神社や明治神宮に彩られる東京はどうかというと、実際にはそこまで力はない。
でも、それとは違う流れにおいてサポートされてもいるから、東京は堅牢。
それは徳川家康が制定した、江戸の文化に根ざされた風水というか、江戸文化気質の陰陽師的な一種のまじないの力によるもの。
この話は逸れ過ぎてしまうので、また今度。
話を元に戻します。
そんな上空の気配を感じながら、私たちは神殿の丘を出て、いよいよ「ヴィアドロローサ」に向かった。
ヴィアドロローサとは、イエス・キリストが十字架を担がされて、処刑場まで歩かされた道。
この先が少し長くなるので、いったんここまでで記事を切ります。
続く。