フランスのアルザス地方にあるコルマールという街、そこは宮崎駿監督の『ハウルの動く城』のモデルとなった場所。
昨日更新した2つのブログでは、私の衝撃というか、驚きで少し支離滅裂になっているところがあるので、本日のブログでは高次元の存在の読み解きも交えながら、もう少し整理して情報をお伝えします。
その昔、実際には、中世ヨーロッパにはたくさんの魔女や魔術師がいたらしい。
日本でいうところの、行者や陰陽師と基本的には一緒。
古来から、1つの誤った神参りの方法として、「呪術」や「まじない」というのは世界中にあった。
日本だったら、「丑の刻参り」と言われる五寸釘で藁人形を打って相手に呪いをかけるような、そういうまじないの手法。
西洋式はもっと残忍で残酷だと高次元の存在たちは言う。
今、私のサポートガイドたちが、やはりここはキチンと情報を伝えたいということで降りてきているので、いったんマイクを回します。
「けいこさんの驚きに対して、私たちはさして驚いていない。
だからコルマールであなたに言わせたのは、真実の1つでしかなかったということ。
たとえば、『コルマール式の呪術』と私たちが言う時、けいこさんは常に首をひねっていた。
『コルマール式の呪術ってなんだろう』と。
私たちは重ねていうが、ローゼンクロイツに端を発する『薔薇十字結社』的なまじない集団は、その時代、ドイツにおさまらずあちらこちらのヨーロッパにはあった。
だが、ことコルマールにおいては、その力は強大で、だからこそ、あの街は戦争の最中もびくともせず、広範囲で焼けずに残っている。
しかし、呪術合戦の成れの果てとはなにか。
とてもシンプルに言って、今世にババを残す生き方に他ならない。
先祖供養によっても収まらない、様々な問題の根本を探ってみると、それはやはりまじないの類だと私たちは言う他はありませんから。
また、私たちは言う。
あなた方がかけられている魔法の種類は、多岐に渡ると。
あるときはコルマールで、あるときは京都で、またあるときは自然霊とむつみあいながら呪術を行なっていたアンデスの山々で。
これら世界中に呪術の傷跡が残るとき、あなた方は端的に言って、呪術合戦のど真ん中にいるとも言える。
だが実際には、それすらも、宇宙戦争の火種を残す地球の鋳型。
簡単に言えば、宇宙でかつて行われた白と黒の戦いが、今世、こんな現代になっても残されていくのが、ひとつのまじないの後遺症でもある。
あなた方がなぜ、真の意味合いにおいて自由になっていかないのか。
1つの出来事に捉えられたまま、同じ場所をぐるぐると回り続けるのはなぜか。
すべて、過去世や現代において、また先祖たちによって、魂や肉体にかけられたまじないの一種が作用しているからに他ならない。
かつて、たくさんの魔術師たちが活躍をした時代があった。
魔女、魔術師たちは、今で言う行者や陰陽師とは少しだけ異なり、悪魔に魂を売った者たちが、その存在を操りながら時空をやすやすと曲げ続けることができた。
それがいわゆる、ハウルだとしたらどうなのか。
実際には、ハウルは悪魔そのものではない。
ただ、悪魔に魅入られ、全てが手に入ると勘違いし、悪魔と契約をして、火の悪魔を雇い入れた。
火の悪魔は火の悪魔で、契約が切れるまではハウルの元で働き続けなくてはならない。
ハウルはハウルで、火の悪魔がいなくなったらでくの坊になってしまうと、契約が切れることを恐れながら、結局全てが手に入る世界はないと悩みながら暮らす。
そして、この物語をなぜ、宮崎駿監督がコルマールを舞台として選んだのか。
実際には、映画の原作である『魔法使いハウルと火の悪魔』の舞台は架空のファンタジーの国である。
ということは、これをリアリティに富むアレンジにした宮崎駿監督は、コルマールでかつて呪術合戦があったことをご存知なのか、否か。
おそらく、ご存知ないだろう。
ただし、彼は常に見えない糸によって操られているように、知らず知らずのうちに1つの真実を暴き出す。
『となりのトトロ』しかり『もののけ姫』しかり。
そこには、真実と類するメタファーが常に漂う。
すなわち、この作品は、ハウル的な悪魔に身を売ってしまった哀しき私たちの過去の誤った行いを正すためにも作られている。
むろん、宮崎駿監督はご存知ないままに。
なぜ、ハウルの動く城は、原作とは異なり『薔薇十字団の見えない学園』とほとんど同じ姿をしているのか?
火の悪魔のそもそものモデルはなんだったのか。
私たちには知る由もない。
しかし、1つだけ言えることとして、宮崎駿監督は、常に時空間を超えてあなた方に真実を伝えたがるということ。
そのうちの1つは、私たちがけいこさんに伝達をした、コルマール式の呪術であり、時代背景としては止むに止まれぬ宗教戦争の30年間ヨーロッパが戦い続けた戦いの歴史でもあるということ。
そして、そもそものその発端は宇宙にあるということも、ここではお伝えしておこう。
あなた方がのちに知るのは、コルマール式の呪術こそ、私たちが皆かかっていて解かなくてはいけないものの筆頭であるということと、それとマインツの呪術との関係性。
現代に生きるあなた方は、望みをいくらでも叶えることが本当にはできるのに、呪術のコードに踊らされ続けている限り、それを虹の彼方の希望の光だと勘違いし続けていくでしょう。
また来ます」
私は驚きを通り越して、ボンヤリとしています。
なるほど、そうなのか、という納得とともに。
宮崎駿監督作品は、私はほとんど見ていないんだけど、1つだけ、子供の頃の記憶がある。
『未来少年コナン』という、当時やっていたテレビアニメのオープニング映像が怖くて大嫌いだったということ。
その、『未来少年コナン』こそ、私たちがたどるかもしれない未来の1つだと、私はのちに悟る。
だって、その物語は、人類がひどい戦争によってほとんど死に絶え、生き残った人たちが原初の地球に近い場所で生きるドラマ。
そのオープニングの画像は、コナンが、海底に沈んだ壊れた高層ビルの間を泳いでいくというもの。
私は初めてそれを見た時、多分小学校の低学年だったと思うけど、
「これは必ず私たちが体験する未来だ」
と思った。
もしかしたら、今回の人生の未来でそれは起きないかもしれないけど、次の生まれ変わりかその次にでも、いつか必ず私たちはこの体験をするんだ、と思った。
怖すぎてガタガタ震えた。
そして、私は思う。
宮崎駿監督って、誰なんだろう?
なぜ、全ての人類の記憶とシンクロする物語を、たびたび下ろして作るだろうかと。
まさかの、『ハウルの動く城』がそうだったと、最近知った私。
もともと、『ハウルの動く城』の原作は、イギリスの作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔」。
だけどその舞台は、地球ではない架空の魔法の国。
宮崎駿監督は、そこをコルマールとして選び、物語の中では語られないが、30年戦争を下敷きにした戦争を描いた。
そして、薔薇十字団と関わるような動く城を。
このシンクロは、今の私たちに何を問いかけるのか。
今の私には知る由もない。
そして、今度は『もののけ姫』を見なさいとガイドたちはいう。
そこにも1つの真実が語られているからと。
この驚きは、当事者の私でないと理解できないかもしれません。
でも、もしまだ『ハウルの動く城』を見たことがない方がいたら、ぜひこの機に見ていただけたら、いろいろなことが思い出されてくるかもしれません。
今日はここまで。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。