ドイツ旅の5日目。
私たちは一路、南ドイツを離れて飛行機で北ドイツはベルリンへと旅立った。
今回の旅のもう一つのメインイベントである、ドイツベルリンにおけるアウシュビッツ関連の呪術やカルマ解放のため。
正直、私たちはあまりベルリンには行きたくなかった。
なぜなら全員、エネルギーのことがわかる人たち。
ミュンヘンやフランクフルトあたりに漂うエネルギーと、東ドイツ占領下にかつてあったベルリン(一部のみ西ドイツ領だったが)とでは、エネルギーの差が歴然だったから。
前半もお遊びのつもりはなかったが、より緊張感を増していく後半、ベルリンへの旅。
やはり、空港について街を車で行くほど、エネルギーの差を感じる。
ベルリンはドイツの首都なのに、荒廃した荒々しい感じ。
街中は常にものすごい交通渋滞だし、美しい景色というよりは荒っぽく都会なんだか風光明媚なんだからよくわからない感じ。
ザラついたエネルギーを感じた。
そしてそのエネルギーを反映するかのように、ケルンで前半の旅の目的をコンプリートし、意気揚々としていた私たちの士気も下がる。
何となく、ザラッとした感情に皆支配されている感じがする。
疑い合うような、押し付け合うような、誰のせいでこうなったんだとでも言い合いたいような・・・。
特段、何があったというわけでもないが、ただそういうお互いの懐を盗み見合うような雰囲気が漂い始めた(気がした)。
その時、私のガイドはこう言ってサポートをしてくれた。
「今その、あなたたちに漂う雰囲気こそ、この街のエネルギーに他ならない。
また同時に、ミュンヘンから来る祝いのエネルギーを阻害し合うような、戦い合いながら生きたあなた方の一つの過去世の感情が浮き彫りになりつつある証拠だ」
と。
つまりは、ベルリンに来るとベルリンのエネルギーにやられているだけでなく、単純にベルリンで(あるいはベルリンに程近いアウシュビッツも含めた近隣諸国で)かつて過ごした過去世の記憶が浮き上がりつつあるから、雰囲気が変わり始めたんだよということ。
まさにこれこそ、解除旅の特徴でもあります。
そして我々はベルリンについて早々、一つのベルリンブロック解除のために、ポツダム近郊へと向かった。
ポツダムは、「ポツダム宣言」が発令された場所。
ポツダム宣言とは、米英中が日本に対し無条件降伏を要求した降伏勧告のこと。
実際にはこの宣言とは関係がなく、私たちの過去世がある場所に行き、過去世ブロックを解放したかった。
が、いきなりピンポイントで場所を探せず、近くに位置するポツダム近郊へ行くことになった。
ポツダムやその宣言に漂うエネルギーを利用することも含み、ここで戦い合うエネルギーのブロックを解除した。
疑いを持ち合いながら、他者を受け入れているようで入れていないような、疑念ブロックをメインとした。
それは長年私を悩ませてもきた、「本当の意味で他者を受け入れられない」という、人に世話になり切れない孤独癖ブロック解除に他ならなかった。
また、旅の同行者たちも同じようなブロックを持っていたため、まとめてカルマの引っこ抜きを行った。
人をもっと信頼できるように。
他者信頼は自己信頼にも必ず繋がると、ガイドたちは教えてくれた。
なぜなら、人を信じられないとき、人は自分を信じてやるしかない。
しかし、オールマイティな人間などおらず、一人で何もかもやろうとすることは、明らかな自分の失敗をも指し示す。
すると人はやはり、自分のことも信頼できなくなる。
どうせまた間違える。
どうせ自分はできないと。
できるところは自分でやり、できないところは他者に任せるということができたとき、成功は一人で何もかも行おうとするよりたやすい。
その時、他者も信頼できれば、自分自身のことも信頼できるようになり、様々なことが進むのは当然でもあるということ。
そんなことも、ガイドたちは教えてくれた。
その後私たちはUターンして再びベルリンを目指した。
次なるチェックポイントは、まさに「チェックポイント・チャーリー」。
ここは、ベルリンが東西に分断されていた時に、東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所。
復元された検問所の屋根には、ソ連軍兵士とアメリカ軍兵士の写真が掲げられている。
またその近くには、ベルリンの壁が置かれていたり、歴史資料館のようなものがある場所がある。
こちらは、西ベルリン側の壁。
そしてこちらは東ベルリン側。
歴史史料館の中には、たくさんの戦時中の資料があった。
実はここでは、とても私的な解放が行われた。
同時に、旅の同行者のエネルギーサポートも得ながら、その晩に解放させていただく予定だった「ベルリン解除セッション」のお客様の解放も先んじて行った。
もちろん、私たち旅に来た全ての人の中にある、し損ねる癖の解放も同時に。
旅は明日、最終回へと繋がります。