2020年2月28日

自己肯定感の低さを作るもの、それは親からの「お前は間違っている」というすり込み

 

 

先日、『自己肯定感を高め願望実現力を高める解除セッション』の2回目を行わせていただきました。

 

 

その直前に、さまざまなお知らせがまた現実に現れてきたので、それについて今日は少しだけお話をしたいと思います。

 

 

そのうちの一つは、やはり映画です。

 

 

以前、『呪術解除セッション』の前日に『塔の上のラプンツェル』を見たというブログを書きました。

 

 

すると今度は、『自己肯定感を高める解除セッション』の前日に、同じくディズニー映画の『Brave』(メリダとおそろしの森)を見たのです。

 

 

今回も本当にたまたまで、特にディズニー映画が好きなわけでも選んで見ているわけでもなく、また映画そのものもを頻繁に見るわけでもありません。

 

 

適当にAmazonプライムビデオをつけたらそれだったのです。

 

 

今回のものは、娘と母親が本当の絆を取り戻す、ということが一つのテーマとなっている映画でした。

 

 

『塔の上のラプンツェル』では、母親だと偽る魔女に塔の中に閉じ込められて育てられたラプンツェルが、真実を知って魔女(呪術のメタファー)から解放されていく。

 

 

かたや『メリダとおそろしの森』では、女王陛下である母が王女のメリダに政略結婚を強いる、というところからストーリーが展開されていった。

 

 

主人公のメリダは1000年前のスコットランドの王女で、国を守るために自国の領主の息子と政略結婚をさせられそうになる。

 

 

責任としつけを強いる女王陛下の母と大喧嘩をして城を飛び出す。

 

 

すると、森の中で魔女と出会う。

 

 

魔女に「母の考えを変える魔法をかけて欲しい」と依頼すると、魔女は一つの薬を作った。

 

 

メリダはそれを持ち帰り母に食べさせると、なんと母は熊に変わってしまう。

 

 

魔女はその後、初めて手の内を明かして言った。

 

 

「親娘が絆を取り戻した時、人間の姿に戻れる。

 

 

しかし、2日目の朝日が上り切ったあとは、もう人間の姿には戻れない」

 

 

絆を取り戻すってどういうことだろうかとメリダは考え、熊になってしまった母と行動を共にしながら様々なことを理解していく。

 

 

そんなストーリー。

 

 

荒唐無稽に見えて、とてもよくできた、メタファーがあちこちに隠された映画だと思いながら見ていた。

 

 

しかし。

 

 

私のガイドたちはそう言わなかったようで。

 

 

「絆を取り戻すために、なぜわざわざ母を熊にする必要があるのか」と。

 

 

「魔女は悪ふざけをしたかっただけで、人を困らせたかっただけだろう。

 

 

そして、絆なんか取り戻せるわけがないから、メリダが自分のわがまま勝手な思いで簡単に魔法なんか注文し、そのせいで母を熊に変えてしまったことで一生苦しめばいいと思ったのだ」と。

 

 

さて、ここに隠されていたメタファーとはなんでしょうか。

 

 

私のした体験含む(前日にこの映画を観させられたこと)、この映画に隠された、またこれを今ブログで書かされている真のガイドが伝えたかったこととして、思い当たる方はいるでしょうか。

 

 

それはやはり、「呪術って何か」ということと「それがかけられている状態とはどんな様子か」ということ。

 

 

母が熊に変わってしまったことだけが呪術のメタファーではなく、頭ごなしに「国のために娘が苦しんだとしても政略結婚をすべきなのだ」と頑なに信じて疑わない状態、これこそ一種の魔法にかかっている状態だということ。

 

 

また同時に、「真の親子の絆とは何か」についても私たちは考える必要があるとガイドたちは言う。

 

 

たとえば、メリダは「人として」の正当性を持って断固政略結婚を拒否したい。

 

 

だけど、女王陛下としての母は「国を守る責任がある」という自説を曲げない。

 

 

それがメリダにとってもいいことだと信じ切っている。

 

 

さて、私が今回行った「自己肯定感の低さを取り去るセッション」ですが、自己肯定感の低さを作る一番の要因は何か。

 

 

端的に言って、このような父母からの誤った思い込みを延々とすり込まれながら育った私たちが、アイデンティティ崩壊を起こしていること。

 

 

すなわち、「自分たちは間違っていない」という強い感覚の欠如です。

 

 

日本の教育は「責任」を重んじ、自己を曲げてでも他者に合わせることを良しとする「個としての喜びを無視する教育方法」。

 

 

ということは、このような教育やすり込みは、まず「個人のアイデンティティを失わせる」というところから行われていきます。

 

 

「お前の好き勝手をするな」「お前の意見を言うな」「お前は黙っていろ」、以上です。

 

 

つまり、私たちは「個としての誇り」どころか、「自分は間違っていて、自分が自分のままでいてはいけないのだ」という意識を持たされて育つ。

 

 

それがそっくりそのまま「自己肯定感の低さ」となるのです。

 

 

今回の解除セッションでまず解放する必要があったのは、やはり父母からの呪縛としての「お前は間違っている」という、親としての権力を利用したすり込みに他なりません。

 

 

私たちは、常日頃から、まず親たちに一種の呪いをかけられながら育ったと知る必要があります。

 

 

しかし、親たちはやはり自分たちの親にそれをされた。

 

 

これもやはり、一種の先祖的影響力から来る呪術と言えるでしょう。

 

 

 

また、もう一つのメタファーについて言うならば。

 

 

なぜ魔女はくだらない魔術などを教えて一家を危険にさらしたのか。

 

 

この映画では、魔女を良い者とも悪い者とも表現はしていなかった。

 

 

しかし、魔女は何も教えずにメリダに薬を渡した。

 

 

「熊に変わってしまう、そして二度と戻れなくなる危険があるけど、それでもいいか?」と言わずに。

 

 

これこそ一つの呪術のトリッキーなところであります。

 

 

つまり、私たちが過去世において延々とかけたりかけられたりし続けた魔術は、依頼した方も、もちろんされた側も、どんな結果がどのくらいの影響力でどのくらい続くのかなんて、知らされないということ。

 

 

これこそが、呪術をさも素晴らしいように見せかけながら仕掛けてくる、暗闇の神たちの思う壺であるということです。

 

 

彼らはいいことしか言わないかもしれない。

 

 

「望みが叶います」

 

 

「相手の気持ちを変えられます」

 

 

「幸せになれます」

 

 

しかし、その代わりの対価がどれだけのものなのか、伝えない。

 

 

また、誤って使うと劇薬で大変なことになるとも言わない。

 

 

彼らは人間のエゴを利用する。

 

 

暗闇存在たちは。

 

 

エゴに凝り固まった人間たちは、とんでもないことを考えたりするものです。

 

 

自分だけが一番になりたいとか、自分だけが得をしたいとか、もっとお金が欲しいとか、有意義な生活をしたいなど。

 

 

このとき魔女はほくそ笑む。

 

 

また獲物が来たと。

 

 

やはり魔女は暗闇の世界の存在でしかなく、エゴを餌にして人を操り混乱させたいから。

 

 

そんな、奥深いメタファーが詰まっていた『メリダと恐ろしの森』という映画。

 

 

なかなかに興味深かったです。

 

 

 

なお、呪術解除セッションは、また3月に行う予定があります。

 

 

3月に入ってから募集開始予定ですが、定数制になりますのでご希望の方はお早めにお申し込みくださいね。

 

 

また、自分を愛する心を育てることが一つのテーマでもある『恋愛・結婚ブロック解除セッション』の方でも、父母からの誤った取り仕切りや先祖系呪術の解放なども行っていきます。

 

 

こちらも締め切り間近となりますから、ご希望の方はお早めにお申し込みください。

 

 

それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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