すると、普段は全く気にも留めないのに「◯年前の今日書いた記事です」と言うところに出てくるリンクの記事が気になった。
「不思議な不思議な鹿児島旅行」と題されたそれは、3年前の記事だった。
3年前!
鹿児島に姉と甥っ子と行ったことはとてもよく覚えている。
導かれて霧島神宮や桜島にも行ったし、グレッグとも会って山野先生にもご紹介された。
何より、自分自身の知覚力のアップや起きてくる出来事が不思議すぎて、何が何だかわからないまま導かれまくって熱田神宮にもその後行かされたり、さまざまな神社を訪ね歩くことにもなったきっかけの旅でもあった。
懐かしい、というよりは、わずか3年でどれだけ今の自分はあの頃と違う人生を生きているのかということと、知覚力のアップが半端なさすぎるということに驚いた。
今の私はハワイに住んでいて、夫とも離婚して一人暮らし、仕事は相変わらず盛況でありがたいことこの上ないが、さまざまな次なる課題に苦しんでもいる。
苦しむっていうと少しだけニュアンスが違うけど、本当の意味での充実ある人生の構築に取り組まされて久しい。
そして、その先にはもっと大きな繁栄があると信じているが、そしてそれこそが私の魂が求めてやまなかったものがと知ってはいるが、ここ十数か月、産みの苦しみに、それこそ苦しみまくってもきた。
幸せを生み出すために苦しむって本末転倒みたいなんだけど、これはこの世の法則の真実でしかない。
なぜならば、私たちは基本的に幸せになりたくありません。
潜在意識は幸せという状態が長く続かないことを信じ込みすぎている。
実際は、信じない心がその状態を創るわけなんだけど、とにかく、過去のエビデンスの積み重ねでできている私たちの心は、それを信じられない。
幸せには簡単になれるもの、そして未来永劫続くもの。
これは一つの真実でしかないのに、私たちは、特に私はこれを信じられないでここまできた。
そして私がこの記事を読んで真っ先に思ったことは、
「もしかしたら、このときの方が感覚的には幸せだったかもしれない」
ということでした。
涙さえ出そうになったくらい。
何も知らなかったこのときの私。
自分が呪術にかけられていたことも知らなかったし、パートナーシップに大きな問題を抱えたまま生きていたことも、自己肯定感が低すぎてそれゆえ何をしても満足感が得られなかったことをも。
また、知覚力がマックスに近く開いているという大いなる勘違いもしていたし、とにかくこのときの私は何も知らなさすぎた。
今の私の方が、あの頃の私とは比べものにならないほどの色々なものを手に入れている。
そして、周波数も格段と高いです。
サイキック能力もできることも、また役割もこれからさらに高まるであろうことも予想してはいる。
だけど、、、
何だかわからないけど、心がモヤモヤとしています。
ガイドたちが少しだけヒントをくれた。
今の私は、幸せになる一歩手前にいて、それを潜在意識がとても怯えているのだと。
私たちは幸せが皆怖いと先ほど書きました。
幸せになんかなれはしないし、それはまやかしで一瞬なってもすぐ取り去られると潜在意識が信じ込んでしまっていると。
そうすると、その一歩手前で踵を返してさっさと元いた場所に戻ろうとする人は多いです。
また、私のように本当の幸せの一歩手前で足踏みを繰り返す人も。
それが、私がさっき言った「産みの苦しみ」って言うことでもある。
それを私が心でしっかり把握できていなかった時、かつての自分と出会わされて、何も知らずに幸せを得るために一生懸命だった自分、がむしゃらに生きていた自分に懐かしさを覚えて、そしてちょっとセンチメンタルにもなってしまったらしい。
その記事はこちら。
今の私はそれでもやっぱりかなり幸せでもあり、このとき得たくて得られなかったものも、今はいっぱい持ってもいます。
でも幸せって感覚値でしかないから、「これを持ってるから幸せ」「これがないから幸せじゃない」とは言えない。
得るものもたくさん得て、欲しいものをたくさん手に入れてなお、「幸せ」と書けねなく言える人生をやはり手にしていきたいですね。
世界はコロナウィルスに未だ揺れてるけれど、恐れすぎず喜びに目を向けていきましょう。
それでは、今日も1日良き日をお過ごし下さい。