相変わらず、ほぼ毎日のようにブロック解除の夢は見続けています。
そのほとんどはやはり、呪術からの解放のようです。
でもこれらの夢は、本当にいろいろなパターンがあります。
夢を見たあと「あれは呪術だったのか!」と気づくこともありますし、また知らなかった自分の過去に受けた傷に今更ながら気付かされるパターンもあります。
最近の特徴としては、過去世とか宇宙の記憶とかよりも、今世の過去の記憶に関する解除がほとんどになってきている。
これは、過去世や宇宙系の傷がなくなったわけじゃなくて、今は先祖系の呪術解除や先祖系のブロックに手をかける時期だからのよう。
なぜなら、やはり、先祖系呪術の最たるものは「気づかない」という風に出ることが多くて、過去の失態や、なぜあんなに傷つけられなくちゃならなかったんだろうという出来事まで、今世の私たちの肉体を通して行われていくから。
それらは、実際の失敗や傷として現れてくるため、呪術が解除されるのと同じレベルで、そのとき受けた傷も解放されていく。
たとえば、先日はこんな夢を見た。
昔、好きだった彼が出てきて、再びいい雰囲気になっている。
だけど彼はもう結婚して子供もいる。
二人でいるときに、たまたま彼の携帯が開かれていて、奥さんや子供と楽しく遊んでいる写真や動画を見てしまう。
とても傷つく。
また、嘘をつかれていた!と悲しみと怒りで絶望的な気持ちになる。
実際には、もっとたくさんのメタファーが含まれているこの夢ですが、端的に言えば、「かつてくだらない男性を素晴らしいと思いこまされていた」一つの呪術の解除を表している。
私は当時、本当に彼のことを好きだったが、同時に「この人はたくさん問題があるなあ」とも思っていた。
その傷に惹かれていたとも言えて、そういう、人を傷つけ、また自分を傷つけるタイプの人にばかり夢中になっていたような時期がかつてあった。
この夢は、そのときに傷つけられた、実際には自分では傷だとは認識していなかった傷の解放と同時に、まやかしに惑わされる呪術が解除された証。
同時にそれは、私の中にある人を疑いたい気持ちと、どうせ愛されていないだろうという感覚と、それだからこそ本気で愛されかけると嫌になって逃げるみたいな、ひん曲がった葛藤グセの解放でもあるようです。
端的に言って、その頃の私の潜在意識は、絶対に愛されたくなかったし、ましてや幸せになんて絶対になりたくなかった。
じゃなかったら、なんであんな人に思い焦がれて、しかもかなり失礼な態度を取られても延々と許し続けることができたんだろうか。
結局、人は他者に汚されたいとき、一番効率よく汚してくれる相手を上手に選ぶ。
その代わりに、大事にしてくれるような人には興味を全く持てずに、そこそこ声をかけてくれる人はいても、それでは全然ダメだった。
そして実は、こんな恋愛に関わるコンフューズ癖は、金銭との関わりに必ず如実に現れてくる。
たとえば、本当に必要なものにお金を出すことを嫌がり、その代わりに具にもつかないものに浪費しても屁とも思わないとか。
私の場合は、たとえばシャンプーがなくなったり、これまで使っていた化粧品がなくなって、どうしても買い足す必要がある。
そんなとき、なんだかお金を使うのが嫌で、ぐずぐずして買わないうちにとても面倒なことになったり、代わりに変なもので代用したりして困る。
その割には、二度と会わないような人に気前よく奢ってしまったり、駐車場代や高速代やタクシー代など、本当は払わなくてもよかったものにズルズルと浪費しては「まあいいか」で済ませていた。
最近では、たくさんの気づきの中でも最たるものとしての、自分のお金遣いのバランスの悪さにとうとう気づけたり、物をどうやって選べばよいかというのが、突然降って湧いたように降りてきて、目からウロコがポロポロと落ちるということを体験しています。
この気づきについては、改めてシェアしたいと思いますが。
さて、もう一つの夢は、こういうもの。
昔働いていた出版社に今もいて、とにかく横暴な女性上司がいる。
若い女の子が働かされていて、ものすごく理不尽なオーダーに対しても、無表情でパッパカ迅速に対応し、それが理不尽だとも思っていない様子。
横暴な女性上司は感謝するというより、しめしめこいつは使えると考えているようだ。
この夢もまた、たくさんのメタファーがありますし、実際にはもっと長い夢でした。
が、切り取ったここだけで言うならば、これは私の過去の姿とだいぶダブる。
また、当時、私が憧れて尊敬していた大好きだった女性上司がいて、彼女がこの夢の女性上司のメタファーだと理解した。
そうだ、あの出版社は実はダークサイド系だったのだ。
そして、まさかの私が憧れて絶対服従していたあの上司こそ、ダークサイドたちから操られた人だったのだ。
実際には、彼女は魂がダークサイド由来の方ではなく、ダークサイドの手先として操られているうちにダークサイド風になってしまった人。
なので、良かれ悪しかれではありますが、私は彼女の正体に気がつけなかったし、そこまでレプティリアン魂の生れ変りタイプよりやることは酷くはない。
酷くはないけど、確かに私たちは彼女によってほぼ24時間稼働で働かされていたし、それによってプライベートな生活はとにかくまったく送れていなかった。
休みはないし、旅行には行けないし、本を読む暇もなければ何かを学ぶ時間もない。
言ってみれば、お風呂に入る時間や何かを食べる時間すら削りながら、私たちは彼女の号令に従ってただ働かされていた。
それでも私たちはみんな彼女のことを愛していたし、ハートフルな編集部だと信じていたし、みんな助け合って仲は良かった。
でも、今になってよくよく考えてみれば、性格がキツいタイプの人は「やってられるか」という感じですぐその編集部から去っていったし、どちらかというとMっ気のある人たちしかその編集部には合わなかった。
極論としては、誰かから何かを指示されるタイプの人たちだけがそこにいた。
いく人かはそこでうまく渡り歩いて、別の仕事にありついたり出世の糧ともしていたけど、いく人かの人たちは特に昇給もないまま、未来への展望があるでもないままだったし、いまだにそこにい続ける人たちもいる。
何を私が言いたいかというと。
これこそ、呪術であったということ。
大好きな出版社で、大好きな人たちと一蓮托生めいた形でせっせと働かされ、そして、以上!みたいな状態で満足しながら、その実、苦しい。
好きなことはできず、自分のための時間は取れず、やめたくてもやめる方法がわからない。
それにみじんも疑いなく「あの頃は楽しかったなあ」と思ったり、それを強いてきた人を好きだと思い込んでいたり。
そこで働かせてもらえることに、感謝すらしていた。
幸いなことに、私はそこで文章力がかなり鍛えられたし、また、せっせと働いたおかげでお金は稼げた。
出版社は大手だったので、みんなから羨ましがられたりしたし、好きな雑誌や本に仕事を通じていつでも触れていられた。
でも、その先は何もなかった。
あったとしたら、それは、孤独な死だったでしょう。
働きすぎて体を壊して死ぬか、歳をとって同じレベルで仕事ができなくなって、仕事を減らされて困ってもっと安くて大変な仕事しか回ってこなくなるとか。
それを避けられたのは、やはり私が自分のマインドに従って生きていたから。
たとえば、地位やお金にふらつき、そこから離れられないタイプの人間だとしたら、いまだにそこにしがみつこうとしていたかもしれない。
でも私は幸いにもそういうタイプではなくて、またスピリチュアルメソッドも知っていた。
そのため事故に遭わないで済んだだけであって、もしかしたら私が欲に目がくらむ人間であり、自己判断ができなくて、本当にやりたいことが見つかっていなかったら、かなり危うかった。
そういう意味でも、呪術解除を含めた先祖供養は大切で、なぜなら先祖がまともに働いてくれるとき、私たちは自分たちの頭で物を考え、何かを正しく決めることができるから。
これこそ、いたくない場所、いる必要のない場所からの脱出方法に他ならない。
そのために私たちは、センスを磨かないといけない。
「なんかおかしいぞ」というセンスであり、「長くここにい続けてはいけないんじゃないか」と考える頭の良さ。
頭の良さというよりは、直感であり、それこそが呪術が解除されて初めて備わってもくるもの。
今の私にはそれが完璧に備わっているかというと、単純にそうとは言い切れないところがあるけど、でもやっぱり自分で決められる能力は持ち合わせている。
すなわち、私たちが自分たちの人生を変えたいとき、人に揺り動かされてはならないということを含む、自分で決めることこそ大切だということ。
つまりは、自分で決めて、いる必要がないと判断したら、自らの力で立ち去ること。
いつまでもいたくない場所にいるのではなく、いたくない人とズルズルつるみ続けるのでもなく、ただ、決める。
やめると決めるところからしか、新しい発展はあり得ません。
そして私は、過去にしでかした間違いを今世でもしないようにと、たくさんの仲間たちを引き連れてエネルギー改革に勤しんでいるわけですが。
とはいえ、今の私でも全く間違いを犯さないわけではない。
だから、みんなに言いたいのは、マイオピニオンをしっかり持ってねと言うこと。
私が何を言ったってやったって、結局、決めるのは皆の意思でしかない。
私を真似しても真似しなくても、あるいは私の言うことに従っても従わなくても、自分が正しい判断さえできれば人生は必ず開かれますし、ダークサイドたちからの取り仕切りにも遭わなくなるでしょうか。
今日はそんな気づきについて、少しだけシェアさせてもらいました。
またあとで、他の大きな根源的な変化をもたらすであろう気づきについてもシェアしていきたいと思います。
それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。