2020年7月26日

『もののけ姫』が教えてくれたこと、高次元の存在からのメッセージ

『もののけ姫』を見ました。

 

 

実は、DVDを半年以上前に買っていたのですが、なぜか見ていなかった。

 

 

このDVDを買った理由は、『ハウルの動く城』を見たときに、高次元の存在たちから

 

 

「次は『もののけ姫』を見なさい」

 

 

と言われたから。

 

 

そもそも、なぜ私が『ハウルの動く城』を見たのか。

 

 

それは、過去ブログをぜひ見ていただきたいのですが、知らずにフランスはコルマールに行かされたときに、そこで過去世において秘密結社団と関係していたことを知った。

 

 

そのときに外国式のネガティブな呪術をかけたりかけられたりしていて、その後遺症で今も呪術にかかっている状態があると知らされ、その流れで『ハウルの動く城』を見ることになった。

 

 

『ハウルの動く城』は、コルマールが舞台になっているのです。

 

 

その映画を見ると、なるほど!と思った。

 

 

なぜなら、魔法にかけられてしまったかわいそうなヒロインと、はぐれ者の愚かな魔法使いの話は、自分と見事にシンクロする内容だったから。

 

 

(この時のブログはこちら)

 

 

コルマールと『ハウルの動く城』と私たちがかけられている呪術のつながり

 

 

『ハウルの動く城』が教えてくれる呪術の秘密、私たちが知らない本当のこと

 

 

『ハウルの動く城』とコルマール、宮崎駿監督のサイキックについて高次元の存在たちよりメッセージ

 

 

そして、私はなぜこの次に『もののけ姫』だと言われたのかを、今、知ることになったが、なぜ、今だったのか。

 

 

それはやはり、今、知るべきだったから。

 

 

『もののけ姫』の世界観は、今現在、熱心に私が行っている

 

 

「先祖系呪術解除」

 

 

ほぼそのものであったこと。

 

 

そして私はたぶん、知る勇気がなかった。

 

 

自分自身が、もののけ姫やアシタカや、また他の登場人物の中にも、かつての自分の面影を見ることになることに。

 

 

アシタカは、私がかつて東北地方に住んでいた、縄文文化の成れの果ての狩猟の民であった頃の名残であったこと。

 

 

たたら場は、行き場のない民たちのたまり場であり、地元の侍たちからも狙われるような背景があり、その中にも、自分や自分の先祖の面影を見た。

 

 

もし、『もののけ姫』を見たことがない方がおられたら、ストーリーや時代背景はWikipediaに詳しく書いてあるので、ネタバレしますが興味があれば見てみてください。

 

 

ここで私が何を言いたいのか。

 

 

この映画の中には、今の私たちからは到底見当もつかないような、室町時代のリアルが描かれているということ。

 

 

正統な民ではない、流れ者やはぐれ者たちが山間部で小コミュニティを作り、山の神と戦う。

 

 

あるいは、土地の侍たちは村を襲い略奪を繰り返す。

 

 

山の神を傲慢な人間たちが殺そうとして、そのせいでいらぬ死者を出し、呪いにかかる者も続出する。

 

 

この映画に描かれているすべては、アニメの中の物語でなく、現実にかつてあったであろうこと。

 

 

そしてここから発せられる因縁や怨念や呪いは、先祖というエネルギーコードを伝って、未だに私たちに影響し続けているということです。

 

 

地侍であり、他者の村を荒らし、人を略奪し奴隷として売り渡した先祖を持つ者たちはどうなるでしょうか。

 

 

山の獣たちを多く殺し、山の神の怒りを買ったような先祖がいる家系は?

 

 

あるいは、ライ病で苦しむような民たちも描かれている。

 

 

打ち捨てられたであろう、不具の者である彼らの子孫はどうなるだろうか。

 

 

様々な憶測は、私の中で渦巻いた。

 

 

ここからは、高次元の存在たちがやはり補足をしたいと降りてきたので、場所をいったん明け渡します。

「ここからは私たちが話を紡ごう。

 

 

実際には、私たちがけいこさんにこのアニメを見ていただきたかった理由は、別の場所にもありました。

 

 

たたら場を経営していた女ボスこそ、かつてのけいこさんの姿かもしれなくて、怖れ知らずに森の神を殺そうとした罰は、今の神ごとを必死にし続けて多くの人を救うことでしか許されないのかもしれない。

 

 

あるいは、それはけいこさんの話ではなく、これを読んでくれているあなた方の話になるかもしれない。

 

 

その昔、蝦夷(えみし)は、東北地方に住んでいた、古い時代から大和の地にいた土着の民であった。

 

 

彼らは戦いを好まず、お互いをサポートし合いながら、森や自然とも共存共栄を図ろうとしていたであろう。

 

 

しかし、大和朝廷に追われた。

 

 

そして、山間部でひっそり小さなコミュニティを作って生き延びようとしていた折、祟り神が現れ、ひょんなことから蝦夷の時期リーダーと目されるアシタカが旅に出る。

 

 

しかし、なぜ、アシタカは用事が終わった後、蝦夷の村に帰らなかったのか。

 

 

サンとの恋模様があったにせよ、ここにも一つ、宮崎駿監督が描きたかった世界観があると言わざるを得ないのは。

 

 

もう、一時代を築くことに興味のなくなったアシタカは、蝦夷の村を率いることよりも、サンとともに自然と神と人との共存共栄を、その場所に残って伝えたかったのではないか。

 

 

では、たたら場のメタファーとは何なのか。

 

 

端的に言って、疎外された者たちの居場所である。

 

 

行き場をなくした者たちを飼い慣らし、仕事を与え、生きる希望と力を与えた、たたら場のボスは、いい人なのか悪い人なのか。

 

 

祟り神をこしらえて、森の神を殺そうと企む、悪いやつと捉えられなくもないが、同時にたたら場で生きる人々に役目と勇気を与える優良な指導者でもある。

 

 

私たちが何を言いたいか、わかるか。

 

 

この物語に延々と描かれ続けるのは、一つの矛盾である。

 

 

良い面も悪い面も、人間たちは持つ。

 

 

また、神々としてここで描かれる存在たちですらそう。

 

 

山の神・シシ神は、生と死を司る存在として描かれているのはなぜなのか。

 

 

生物に生命力を与えながら、また同時に命を取り去ることもする。

 

 

昼の顔と夜の顔が違いすぎる神。

 

 

ここまで書いて、我々の言わんとすることがわかったであろうか。

 

 

人間の中に存在する矛盾こそ、あなた方が戦わなくてはならない唯一のもの。

 

 

自分を憎むな。

 

 

そして、恐れるな。

 

 

あなたという存在は、この世に生を受けた瞬間から、様々な葛藤にさらされることになり、それは必要悪であると同時に、微悪である。

 

 

悪的要素を自分の中に発見し、それを嫌うとき、人はどこにもいけない。

 

 

本日、我々はけいこさんと一つの解除セッションを成し遂げたが、そこでのテーマは、まさにこれであったことを、今ここで明かそう。

 

 

すべての人の中にある、完全性を求める力の消去と、矛盾をかいくぐりながらも自分自身であろうとし続ける皆を称えたいと。

 

 

しかしながら、あなた方の先祖から連なるエネルギーコードの中には、必要悪でもなく、微悪でもない要素もたくさん詰まっていた。

 

 

それを取り除くことが、本日のセッションの一つの主題であった折、それは、細かい糸をより分けるようにしかなされない。

 

なぜならば、素晴らしいこととネガティブなことを同時に持つ者たちが多すぎた。

 

 

喜びを完全なる喜びと感じるよりは、少しの罪悪感と引き換えに、あるいは、少しの苦しみと同時に嬉しさをもらおうとする人間も多すぎた。

 

 

そのとき私たちのできるサポートは何か。

 

 

これを綿密に丁寧に選り分けること。

 

 

そして、喜びはただ喜びへと、哀しみはただ哀しみへと分けた折、哀しみは切って捨てた。

 

 

あなた方は、父母からこのようなアイデンティティを常に引き継ぐ。

 

 

『良いことの後には悪いことがある』

 

 

『いい子にしていなくちゃ、いいことは起きない』

 

 

『苦しみを得たくないなら、良いことをしなさい』

 

 

『いいことばかりは続かない』

 

 

すなわち、中途半端である。

 

 

すべての人のアイデンティティにこの仕組みが入るとき、人は哀しみと喜びを等分ずつ持とうとする。

 

 

あるいは、苦労をしてから幸せを手に入れようとする。

 

 

この思想の発端は、やはり先祖から来ていると言わざるを得ず。

 

 

このような話をし出したらキリがありませんから、一旦ここで終いにしたいが、これらも含めて実際にこのアイデンティティは、室町幕府や朝廷の者たちが作り出した嘘八百や、先祖系呪いにやはり関わってくるということ。

 

 

これらは、コルマール式の諸外国の呪いよりも、かなり複雑性が高いため、一旦今日はここまでとさせていただく。

 

 

また来ます。

 

 

本日はお呼びいただきありがとうございました」

 

 

私は、知らない。

 

 

室町時代が実際にはどういう文化であったか、あまり表面的には語られない庶民の本当の暮らしぶりがどうであったかも。

 

 

略奪が日常的に行われるような時代背景と共に、神が尊ばれすぎる反面、軽んじられ続けるような背景も。

 

 

人が当たり前に売られていく時代。

 

 

私たちは、力なく、権力や暴力にひれ伏すしかなかっただろうし、その挙句には、祈祷やまじないに頼るほかはなかったのかもしれない。

 

 

そんなことを思いながら、見たこの映画は、

 

 

「だからこそ、今なのだ」

 

 

と思った。

 

 

なぜなら、昨年の10月にこれを見させられても今ひとつピンとはこなかっただろうから。

 

 

今、熱心に先祖系呪術解除セッションをやる流れが来ていて、それを発端として、日本の古い時代がどのようであったのかを、私はようやく理解しはじめてきたところだから。

 

 

自主的に勉強したというよりは、必要に駆られて勉強をさせられつつ、今ここに到達している私がいます。

 

 

またもう一つの、この映画の重要なメタファーについては、記事を分けて書いていこうと思います。

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