明日、呪術解除ディープのセッションを行います。
もう、何回目になるだろうか。
最近では、とにかく立て続けに重めの呪術系解除セッションばかりであるので、どれが大変でどれが軽めであるかなど、ほとんど関係なく、全部重いです。
そのせいか、寝られていない。
一昨日は、3日連続セッションや遠隔セッションをコンコンとやったおかげで、ネガティブエネルギーが溜まりすぎて、久しぶりに眠れないし、背中は重たいし、で悲惨だった。
その後、ヘミシンクで浄化を徹底的にやったので昨日は眠れましたが、やはり、解除セッション特有のたくさんの人が出てくる夢系。
さらには、やはり母方の先祖ブロックの取り外しらしき、先祖にまつわる夢ばかり見させられていた。
いったい私はどこに行こうとしているのだろう?と、お掃除マシーンのように成り果てている自分に自問自答しつつも。
やりがいはあるのでやめる気はない。
なぜなら。
やはり、本当にたくさんの人に知ってもらいたい、そして体験してもらいたいから。
呪術解除セッションの効果と、その結果起きてくる人生の変容について。
未だみんな、軽んじています。
呪術、呪術と大げさに言って!などと。
本当に日本は呪術大国でしかなく、たくさんの一般庶民が未だに古い時代に先祖がかけられた呪術のせいで、右往左往していることについて、みんな気にしなさすぎ。
私は時々、母の発言にイラっとすることが本当にあって、そのどれもこれもが、呪術にかけられた人特有の物言いだから。
「恥ずかしい」
「キチンとしなさい」
「こうであるべき」
「これはこうでなきゃならない」
などなどなど。
そのどれもが、発信元は
「他者」
であることに、全く気づいていないばかりか、
「ちゃんとしていない娘」
に対して羞恥の心を持っていることが窺い知れるから。
なぜ私たちは、他人に気を遣わないといけないのでしょうか。
なぜ、一般的な生き方をしていないと恥ずかしいのでしょうか。
ちゃんとしていない、と言われて貶められてしまうのでしょうか。
そのどれもが、そのアイデンティティこそが、呪術にかけられた状態であるのに。
その意識の変容は、たとえば諸外国で少しの間でも暮らしてみると、だんだんわかってくることはあるでしょう。
どれだけ日本人が、狭苦しいアイデンティティを押し付けられて育ったのか。
そして、それが当たり前の人たちの中で生きることの息苦しさを。
日本にいると、外国人は図々しくて、自己主張が強くて、ずさんで、なっていないような気さえする。
でも私は、こっちの方が当たり前で本当であると信じたい。
なぜなら、こちらの人たちは皆、柱がちゃんと「自分」に立っている。
自分のことは自分でするのが当たり前だし、そのために必要な要素を取り込むことも当たり前。
当たり前すぎて、疑問にすら思わない。
そのとき、日本人はどうなのか。
人のために生き、人の心を慮り、3歩退く。
それが良いかどうかはいったん置いておいて、それをしない人たちを毛嫌いしたり、図々しいと言ったりもするでしょう。
それだけならまだしも、そういうことをしていない自分を卑下したり罪悪感を感じたりもする。
みんなみんな、呪術でしかないというのに。
自分のことは自分思想は、誰のものでもない、人類共通の当然の権利でしかないのに、私たち日本人は、その意識が希薄すぎます。
そのとき、あなたはどうでしょうか。
他人に依存しすぎていないのか。
他人を意識しすぎていないのか。
他人に影響されすぎていないのか。
あなたの人生はあなたのものでしかないときに、なぜあなたは、他人の物差しを参考にして生きるのか。
誰かがいいと言えばいい、ダメだと言えば悪いという、他者の物差しで生きることをやめない限り、私たちは永遠に完全なる幸せに辿り着くことはないでしょうし、それを得ることもできない。
なぜなら、他者の物差しはいつでも変わりますし、いつでも中途半端でボヤけている。
あの人はこう言う、あっちの人はこうだと言う、だけどあそこの人はこうである。
みんなそれぞれの考えを持っているときに、なぜあなたはそれをみんな参考にしようとするのか。
意味がありません。
2021年は、2021年こそは、自分中心に生きることをぜひ選んでいただきたいですし、自分の物差しは自分で決めていただきたい。
それこそが、アセンションが進む地球の当たり前の生き方に他ならないならば。
2021年こそ、自分元年としてください。
私もそうありたい。
だから、もう一押し、呪術解除セッション、パワフルに続けていきたいと思っています。
今日はここまで。
明日に備えて、眠ります、おやすみなさい。