エネルギーの法則は裏切らない、という話をします。
今の私は、おそらくこれまでの人生で一番良いところにいるはずです。
そして、それはもう落ちていかない。
落ちていかないどころか、これからより浮上していくことが予想されます。
なぜならそれは、宇宙のエネルギー法則を手に入れたから。
そしてこれが今、安心感と共に私のそばにあるのは、誰かから教えられたことでもなく、ものの本で読んだからでもない。
自分自身で試して来て、そして実感しているからに他なりません。
以前の私はそうじゃなかった。
いつだって不安でしかなく、たくさんの本を読み漁った結果、少しだけ試してみて、「やっぱりダメだ」と。
なぜなら、私でないものに、その当時の私も同じようになれなかったから。
つまりは、ものの本に書かれていることって、結局、その著者の人生観でしかなく、やり方でしかない。
私ではない人たちが成功したそのやり方は、私には今ひとつ合わず、合わないばかりか、それはやる気を失くさせるような理由にしかならなかった。
今考えて思うのは、すべての人は平等に生まれついてなんていないこと。
容姿しかり、家柄しかり。
しかし、ものの本の教えの中には、これさえ無視しているようなものが多くあり、その結果私は劣等生的な気分で本を閉じたものです。
要するに、私には呪術、もしくは呪術ライクな思い込みの元がたくさん付着していて、それの大元のほとんどは父方、母方の先祖ブロックだったけど、それがある人には効かない、ということは、それらの本のどこにも書かれていなくて。
それは、あまりにも当たり前であると同時に、不条理でしかなかった。
だって、たとえばお料理本の片隅に「こういう体質の人は食べないでください」とか、書かれていないのと同等であり、そして誰もそんなことは知らない。
知らないけれどそうであったとき、私は途方に暮れた。
そんな私が再び歩き出せたのは、やはりヘミシンクとの出合いが大きかったが、でもそれだけじゃない。
ほとほと自分の人生に嫌気がさしていたから。
そして、本当に変えたかった、根底から。
不自由のない暮らしがしたかった。
お金ついてだけじゃない。
パートナーしかり、夢がどれだけ求めても叶わない生活しかり、健康的でもなかったし、いつだって精神は不安定だった。
だけど、道は厳しく、師はおらず、どこに行って何をすればいいかよくわからない時期も長かった。
今思うのは、それでもここまでたどり着けたのは、やはり自分の内的変化にとにかく敏感であったこと。
そして、それを失うまいとだけはして来たこと。
要するに私がここで言いたいのは、皆も、ものの教えに頭でっかちになるのじゃなくて、内的自分にもっと慎重に、敏感になって、ということです。
たとえば私が「Aだ」と言ったら「Aなのだ」と思い込むのではなく、Bの可能性も探りつつ、Cであるかもしれないと疑ってみる。
たとえばそれが無駄な行動で、やはりCでもなくBには少し近いけど、結局Aだった、とわかったとしても。
そうやって、自分を通して実感し、腹落ちをしたものは、誰にも汚されていかないと同時に、深く濃い、自分だけのどっしりとした柱になるから。
そうやって私は一人で旅し、手探りでここまで来ましたが、しかし、その一方でたくさんの仲間たちは増えた。
同志的な仲間は、これを読んでくれているみんなもそうだけれども、これからも私の支えになってくれるでしょう。
それもこれも皆、私が間違えた道をあっちゃこっちゃ行きすぎて、でも戻って、また進み始めてをひたすら繰り返しながらここまで来れたからに他ならない。
そして、エネルギーの法則は裏切らない、を実感できている今、私の世界にもう恐れはありません。
これらの、私の周りに今ある良きものたちは、取り去られてしまって、2度と戻ってこないものはではない。
それは、確かな法則でしかないから。
使いこなす術を得た私には、もう何も怖いものなどないのです。
さて、今日はクリスマスですね。
最大級に天から福音的なエネルギーが下されてくる日でもありますから、どうぞ一日、健康で、幸せにお過ごし下さい。
それでは、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。