2021年1月26日

映画『天気の子』から受け取ったメッセージ

 

 

『天気の子』を観ました。

 

 

昨年夏に公開された、新海誠監督のアニメ映画です。

 

 

私は普段、ほとんど映画もドラマも見ないので、こういうものを見るタイミングはガイドからの導きやメッセージであることが多い。

 

 

というか、たいていそうです。

 

 

今回も、全く観る気はなく、ひょんなことから観させられることになった。

 

 

 

ここからは、ネタバレ必須なので、ご容赦ください。

 

 

舞台は現代の東京。

 

 

ヒロイン陽菜(ひな)は、天気を操り雨を晴れに変えられる能力を持つ。

 

 

主人公の帆高(ほだか)は高校1年生で家出をしてきた。

 

 

ひょんなことから知り合った2人は、「雨空を晴れに変える」という広告をインターネットに出してバイトを始めることにした。

 

 

・・・というようなストーリーなのですが。

 

 

 

私は観ながら思っていた。

 

 

「雨を晴れに変えるって、時空を曲げるってことだよね。それはやったらいけないことなのになあ」

 

 

案の定、映画の中程でこれが問題になる。

 

 

帆高はとある編集プロダクションの社長に拾われ、そこはオカルト雑誌を作っている。

 

 

その取材先で、「天候を操る『天気の巫女』は人身御供になり、変えた天気を元に戻すために消える運命になっている」ということが伝えられる。

 

 

その取材先は、天気を操る存在がかつていたことを知っている神社であり、神職の当主がそれを教えてくれるのだ。

 

 

 

「やっぱり・・・」

 

 

私は思った。

 

 

天候をわずか3000円で変え続けた陽菜の体は、だんだんと透明になっていき、あるとき消えてしまう。

 

 

そして、東京の狂った天候はようやく元に戻る。

 

 

ここで映画は終わりではないのですが、解説は一旦ここまでで。

 

 

 

この映画が私に何を教えてくれたのか。

 

 

教えてくれたというよりは、私はしみじみ考えた。

 

 

私たち、神ごと好き、スピリチュアル好きな人たちは、おしなべて陽菜のような過去世を体験して、今ここにいるということ。

 

 

要するに、大なり小なり、霊能力を使って祈祷をしたり神ごとを行い、たくさんの人たちをわずかなお金で助けてきた。

 

 

その結果、他者の犠牲になってしまった。

 

 

そして、「もう2度と人身御供なんかになりたくない」と頑なになるとき、今世、私たちの霊能力は開かない。

 

 

開かないというよりは、自分の持つ霊能力を使って自分の霊能力を閉じる。

 

 

それはそれは、強固に。

 

 

私の知る限り、たくさんのクライアントさんの中でもスピリチュアル能力が高い人ほど、サイキックをとにかく開くまい、という方向に意識がいく。

 

 

そして、自分にはそんな才能はないと思い込んでいる。

 

 

さらには、自分を軽んじさせる発言や行動を通して人生をうまくいかなくさせる。

 

 

それは、2度ともう世に出たくなく、人から認められたくなく、ひっそり生きて、ひっそりと死んでいきたいから。

 

 

誰の役にも立ちたくない、この能力を使って。

 

 

なぜならそれは、再び人身御供になる人生が繰り返されることと同じだから。

 

 

私たちの潜在意識がこう思うとき、私たちはそうなります。

 

 

 

私も今、変わりたくない潜在意識を相手に四苦八苦している。

 

 

それは実は、ぐーっと引いて見てみると、結局は目立ちたくない、世間に認められたくない。

 

 

そして、もうこれ以上のサイキックセンスを開きたくない。

 

 

以上でも以下でもないときに、私は途方に暮れます。

 

 

私は、変わりたい。

 

 

極上の人生を生きていきたい。

 

 

そのためには、まだまだ、沢山の恐れを取り外す必要があるし、さらには、ハートを開いて素晴らしい愛を受け入れると同時に、そこからサイキックセンスを存分に開いていくことも必須となる。

 

 

全てが滞っている私に、ガイドたちはなぜこれを見せたのか。

 

 

それはやはり、メッセージをこのような形で伝えたかったのでしょう。

 

 

なぜなら、物語のラストでは、陽菜はこの世に戻ってきている。

 

 

人身御供から脱し、生きている。

 

 

これは、何を表しているのか。

 

 

答えは簡単で、「強い自由意志を持つことで、運命は変えられる」。

 

 

以上でも以下でもないときに、私はいったい今まで何にとらえられ続けてきたのか。

 

 

「これはこうなるしかない」という、頑なな思い込み。

 

 

それは結局は、運命に翻弄されながら生きる生き方と同等であるということ。

 

 

すべては、変えられるのに。

 

 

自由意志によって。

 

 

すでにその時代が幕を開けているというのに。

 

 

どれだけの強い思い込みがここにあったのか、今、改めて知る。

 

 

それは結局は、捉えられていく人生観でしかなく、自分で創れない人生をただ生きさせられていくことに繋がっていた。

 

 

 

皆にも、改めて言いたい。

 

 

私たちの人生は創れると。

 

 

かつて過去世で起きたことは、もう起きない。

 

 

起こさない選択もできるということ。

 

 

私が一体何にとらわれ続けてきて、そして頑なに拒否をし続けてきたのかは明らかであって、そして私はもうとらわれたくない。

 

 

自由意志で全てを創っていきたい。

 

 

未だ捉えられ続けていて、本当のサイキックセンスも使えていなければ、本質に沿った人生も送れていない大勢の人たちにも、ぜひ知っていただきたいことでもあります。

 

 

すべては、創れると。

 

 

創れないという思い込み、頑なな価値観をぶち壊していくには、まだまだ取り去らなくてはならない呪術はたくさんあるのでしょう。

 

 

私は引き続き、この頑なな潜在意識や呪術と戦っていきたいです。

 

 

最後に。

 

 

『天気の子』、よかったらぜひ見てみてください。

 

 

とても良い映画でした。

 

 

(ネタバラシをしてしまった後で言うのも何ですが)

 

 

それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

 

 

 

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