2021年2月13日

罪悪感を人生のどこかに感じている限り、人生は良くならない

 

 

今日は学校がお休みで、セッションも何もなく、久しぶりの完全休日で嬉しいです。

 

 

が。

 

 

なんなのでしょうか、この罪悪感。

 

 

休みであることの罪悪感ではなくて、12時まで寝ていて、そのあとシャワーも浴びず犬の散歩にも行かず、ただダラダラとソファに横になってネットサーフィンをしている状態に対してです。

 

 

「あぁ、シャワー浴びなきゃな」

 

 

「散歩行くかぁ」

 

 

「仕事するかなあ」

 

 

なんて、誰もいないのに言い訳のように連発しながら、でも動きたくなくてまだダラダラしている。

 

 

罪悪感と共に。

 

 

 

近年、私がエネルギー改革に取り組んでからずっとメインテーマだったのは、この「罪悪感の解消」だった。

 

 

最初の頃は(もう10数年も前になるが)、自分を苦しめ続けているのは言葉にすると「罪悪感」なのだ、ということにすら気づけずにいた。

 

 

ただ、ひたすらひたすら苦しい日々があって、常に何かに追われている気がして、焦って走り続けていた。

 

 

もう少し具体的に言うと、仕事の締め切りに追われていたし、誰かの約束を履行することに追われていたし、とにかくいつもそれらが守りきれなくて(請け負う量が多すぎた、今考えると)、

 

 

「ごめんなさい、私が悪いんです、本当にごめんなさい!」

 

 

と心の中で叫んで、実際、人に謝ってばかりいた。

 

 

常に何かに追われて、約束が守れない自分が嫌でたまらず、こなしてもこなしても襲ってくる「やらなきゃいけないこと」リストに、休む間もなく、寝る間もなく、それでもそれは全然なくならず、心は常に焦って苦しんでいた。

 

 

やがて気づいていったのは、その状態を作り続けてきた心のあり方に名前をつけるとしたら

 

 

「罪悪感」

 

 

なのだと。

 

 

私の中には「罪悪感エネルギー」がありすぎて、だからいつも謝る状況を呼び起こし、引き寄せ、心が罪悪感でいっぱいになって自分を責めまくり、そして人様に迷惑をかけまくってきたのだと。

 

 

理解するまでには2〜3年を要し、そこから根深い「罪悪感ブロック」を手放していくまでには、さらに5〜7年を費やした。

 

 

 

今、ほとんど昔のような根深い「罪悪感ブロック」はなくなってはいるけど、でもこうやって

 

 

「今私がしたいこと」

 

 

を100%やり切ろうとすると、またそこはかとない罪悪感に浸される。

 

 

 

おそらくこの罪悪感は、母方の先祖からもたらされるもの。

 

 

働き者一家の母方の家系では、ダラダラし続けることをとても恐れる。

 

 

嫌がると言うよりかは、恐れると表現した方がいいほど、いつも動き回っています。

 

 

部屋掃除から縫い物からメルカリまで。

 

 

メルカリって最近の母のお気に入りの趣味になっていて、とにかくいらないものを整理するとそれらをメルカリで叩き売る。

 

 

儲けたいとかお金がないとかではなくて、とにかく動いていないと(かつなんらかの生産性のあることをしないと)気が済まない、今の母の暇な状態をなくすのにぴったりなツール、それがメルカリらしい。

 

 

 

そんなこんなで、ただだらしなくなっていく自分を律するというよりは、罪悪感を持ちながらただ日当たりの良い部屋でダラダラアイホンをいじっている。

 

 

こういうときに、罪悪感を感じなくなるか、またはちゃっちゃとシャワーを浴びて犬の散歩に行って仕事をはじめる、ということができるようになったとき、それは私のもう一歩幸せに近づくときだと知っている。

 

 

なぜなら、どんな場面においても、それがたとえそこはかとなくても、「罪悪感を感じる」ということは、そのエネルギーがまだ私の中にあるからで。

 

 

このエネルギーが完全に近い形でなくなるとき、私はもう罪悪感に振り回されなくなり、好き勝手に今したいことをただする人になれる。

 

 

知ってはいるんだけどね、、

 

 

 

最近、私はYouTubeばかり見ているんだけど、そこにたくさんの発見がある。

 

 

先日、元日本一の売り上げを誇るキャバクラ嬢だったエンリケさんのYouTubeを見ていたら。

 

 

「コロナ禍のルーティン」

 

 

という内容をアップされていた。

 

 

すると、もう本当にあっけらかんと、ただだらしない(けど楽そうで楽しそうな)生活を披露していて、部屋も散らかりまくっているし

 

 

「もう毎日、こんな感じなんよ〜」

 

 

と言っていて、衝撃を受けた。

 

 

申し訳なさそうでもなく、恥ずかしそうでもなく

 

 

「ただ、私はこうなの!」

 

 

と真っ直ぐ言い放つオーラに。

 

 

ただそれはそうなんだ、と思えたときに、同時に自分に想いが至って、私だったらこういう日々を送っていることに対して、まず誰かに見せることが絶対にできない。

 

 

し、もし見せられたとしたらどこかで申し訳なく思い、なんらかの言い訳をしてしまうと思った。

 

 

それはやはり、自分の全てを受け入れられていなくて、許せていないからなんだなあと、思ったわけです。

 

 

エンリケさんの場合は、とはいえ普段はとても忙しくお仕事をされているようで、ただ何もしない人ではないようです。

 

 

それでも、コロナの緊急事態宣言中に家にこもっているときには、朝の7時や8時まで起きていて、そこから寝て夕方起きてきて、だらしない格好でご飯を食べて旦那さんと遊び、映画を見たりネットサーフィンをしたり、散らかった部屋の片付けもせず、また翌朝まで、、の繰り返し。

 

 

「私はこんなんだよ〜!」

 

 

とてらいなく言える潔さが、結局人生の成功者たるゆえんなのだなあと。

 

 

自分の全てを全肯定している、という意味合いにおいて。

 

 

これはもう本当に、エネルギーの法則的に言って、成功者になるための必然的な要素ですからね。

 

 

私もかくありたい。

 

 

が、まだまだですね。

 

 

 

さて、そろそろ起き出してシャワーを浴びて、犬の散歩に行ってきます。

 

 

ではまた。

 

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

 

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