2021年3月30日

私たちはなぜ産まれ、生きるのか

 

相変わらず、断続的にディープな呪術解除と思われる夢を見続けています。

 

 

そのほとんどが、やはり悪魔系というか、囚われの身に関係するようなもの。

 

 

あるいは、落下の恐怖。

 

 

死への恐怖とも少しだけ違う、肉体を狭められるような、拷問とも近しいような肉体に関する恐怖エネルギーです。

 

 

過去世でどれだけの恐怖をいったい私たちは味わわされたのだろう?と。

 

 

ついつい思ってしまうくらいの、呪術と恐怖解除祭りの嵐です。

 

 

まだまだ根深いブロックはあるんだなあ、と思う一方で、いや、ここまで来たからこその本丸退治でもあるんだと、前向きに考えています。

 

 

やはり、飛躍上昇に備えて、自分のエネルギー場に何があったのかを正確に知ることも大切だし、そこからさらに発展して行くためにどういう道筋を通るべきなのか、正しく考えて行くのも大事だなと思う、今日この頃。

 

 

みなさまへの知恵知覚も含めて、また引き続きお知らせしていきますね。

 

 

 

さてしかし、今日は少しだけおもむきを変えて、違うフェーズの話をしていきたいと思います。

 

 

私たちは、なぜ、産まれて生きるのでしょう。

 

 

誰もその答えを知らない。

 

 

知らないようで、実はみんな知っている、という、少しミステリアスで謎かけみたいな話です。

 

 

 

実は私たちは内側に、みんなサイキックセンスを持ち合わせている。

 

 

そして、そのサイキックセンサーは、このように働きます。

 

 

「好きなものは好き、欲しい、手に入れたい」

 

 

「嫌いなものは嫌い、嫌だ、欲しくない」

 

 

その心は?

 

 

要するに、本当の意味で「いる」「いらない」を、潜在意識含めて、私たちの大元の部分は知っている。

 

 

そして、それに沿った取捨選択を、いつの間にかしているのです。

 

 

 

例えば、潜在的に有するサイキックセンスのうち、あなたを助けるものと助けないものがあったらどうでしょうか。

 

 

助けるものは、たとえば「この人に近づいてはいけない」という警告を発して、自らその人を自分から遠ざけていく。

 

 

それによって、その人から来る厄災に遭わずに済みます。

 

 

では、助けないものとは?

 

 

同じ比喩を借りて説明するならば、遠ざけよう、危険だと思ってもなぜか吸い寄せられてしまい、結果、ババを引かされる。

 

 

しかし、実はどちらも内なるサイキックセンサーが正しく働いてのことだとしたら?

 

 

 

要するに、こういうことです。

 

 

私たちは、実は知っている。

 

 

紆余曲折あった先に、本当の価値あるものに出会えることを。

 

 

だから、一見良くないように見えることを通して、その先へとつなげて行くこともあるということ。

 

 

だけど、もう一方の私たち(自己意識で「私」と認識している表層的な場所にいる私たち)は、知らなすぎるし、また信頼できないし、焦りすぎてもいる。

 

 

そして、紆余曲折などしたくない、本来のいいものに真っ直ぐストレートに出会いたいと思ってもしまう。

 

 

内なる自分は知っているのに。

 

 

いくら大変なことばかりだとしても、最終的には必ず自分にとって価値あるものに出会えるということを。

 

 

そして、そのために通らなくてはならない、しち面倒臭い道路はあるということを。

 

 

だけど、ショートカットしたがる。

 

 

 

何を言いたいのか。

 

 

皆、私も含めて、知らなさすぎます。

 

 

必ず意義のある、意味のある人生を、私たちはプラン通りに送らされているということを。

 

 

そう、全てがプランであるということ。

 

 

あの人との出会いも、別れも、それに際しての苦しみも、罵り合いも、騙り合いも、すべてがタッグマッチ。

 

 

全てが予定調和でしかなく、全てが元から用意されていた筋書きでしかないということ。

 

 

ということは。

 

 

私たちは、焦らず、やきもきせず、不安がらずに、自分のきた道をまた素直に歩いて行くしかない、ということになります。

 

 

それでいいのだけど。

 

 

だけど、私たちは疑いもする。

 

 

不安がりもする。

 

 

そのとき、あなたは何を指標にしますか?

 

 

 

私は、もう疑わない。

 

 

疑えない、と言った方がいいかもしれなくて。

 

 

なぜなら、やはり私の内面改革と同様に現実面でも大きな改革は起きざるを得なくて、その結果私が得た人生における家宝について、私はやっと今、その意味を理解しようとしているから。

 

 

そうか、あの先にこれがあったのかと。

 

 

あのときあんなに傷ついて、うまくいかないと嘆いて、何なら高次元の存在のサポートすら疑ってみたりして。

 

 

だけど、今、わかります。

 

 

あれらやこれらがあったからこその、今の私の立場、地位や名誉を超えた先にある、個人的な幸せに直結する人生の変容を得たのだと。

 

 

かなりまだるっこしい言い方になってしまっていますが、要するにこういうことです。

 

 

私は今、とても満足している。

 

 

人生の変容、変転の先に得た大切なものに対して。

 

 

だから、やはり多くの人に伝えたいのは、起きる一つ一つのことには必ず意味があって、一つも欠けることはないということ。

 

 

それだけじゃなくて、起きる出来事の一つ一つ、細かいパズルのピースに対してジャッジメントを下す必要もないということ。

 

 

なぜなら、知恵の輪は絡まり続けて、その果てに驚くべきものが生まれたりする。

 

 

そして、その驚くべきものは、知恵の輪が絡まり続けたからこそ生まれた。

 

 

パズルのピースの一つ一つはしっちゃかめっちゃかだったとしても、全部組み合わさってみたら、それはそれは素晴らしい造形物だったりする場合もあるということ。

 

 

だから私は、産まれ生きる意味について、答えを知っているわけではないけど、今、こう思っています。

 

 

全ての人との出会いと別れ、それに直結するような素晴らしき出来事、その体験のために、私たちは産まれてまた生きるのだと。

 

 

人生が70年や80年だとしても、私たちの地球年齢は本当は何千年、何億年単位かもしれなくて。

 

 

その流れの中で、私たちは何度でも肉体を持って産まれ、生きて、死んで、また別の肉体を持って生まれ変わる。

 

 

そして、再び出会う、懐かしい仲間たちと。

 

 

家族やかつて愛した人たちと。

 

 

その出会いと別れの繰り返しの中で、私たちは一つ、また一つと学んでいく。

 

 

魂の成長のためにしか起きてこない、この寄せては返す波のような繰り返される人生。

 

 

これこそが、私たちが産まれて生きる意味なのだと。

 

 

やっと、そこの境地に達することができています。

 

 

懐かしい仲間とは、今これを読んでくれているみんなに他ならないし、家族や友人や愛する人とは、たくさんの周りにいてくれる人たちのこと。

 

 

誰一人として欠けることなく、今ここにいる全ての人たちとの出会い、別れ、体験を共にすることでしか分かち合えない学びがあるならば。

 

 

私は今、生まれてきて本当に良かったと思っています。

 

 

これからも続く未来において、今ここ、この瞬間にいる自分は幸せでしかなく、だからこそ未来も必ず幸せでうまくいき続けると信じられるから。

 

 

みなさまにも、こんな境地を味わっていただきたく、引き続き、解除セッションを行っていきますね。

 

 

エネルギーが変わった先にしかない、新たな体感ですから。

 

 

特に、根深い呪術を徹底的にはずしていく呪術解除セッションでは、到達できないと思い込んでいた境地に必ずみなさまを導いて行くことができると感じています。

 

 

ぜひ、多くの方にご利用いただけたらと思っています。

 

 

引き続き、『呪術解除スーパー』

 

 

『お金に関する呪術をあらゆる方向から外す「金銭的悪しき影響力解除セッション」』

 

 

2つのセッション募集を行っています。

 

 

まだ若干お席ありますので、ぜひご利用いただければと思います。

 

 

それでは、このたびは最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

 

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