たくさんの「し損ね」について。
これまで私は、たくさんのし損ねをしてきた。
どんなことをし損ねてきたのか。
とてもシンプルに言って、数々のチャンスを逃してきた。
しかし、当の本人である私は、それに気づけない。
気づけないばかりか、「危ないところだった」と、それらのチャンスをむしろピンチだったと認識し、回避できて良かったとすら思ってきた。
ようです。
ようです、と書かざるを得ないのは、やはりそれはわからないから。
魔法にかけられているときには、それはそうとしか思えないことも含めて、とにかく自分ではわからない。
わからせられないのが、それが魔法であり呪術であるということです。
しかし、自分自身で一体何をし損ねてきたのか、わからないままここにいる私は、それでもまだ信じ込んでいる。
自分はもうし損ねることはないのだと。
そんなはずはありません。
なぜなら、全身にかかっていた魔法が完全に解けたわけではないし、魔法が解けきっていない以上、まだまだ、私はある種の出来事に関して認識違いをし続けるだろう。
その結果は、やはり「し損ね」という他はなく。
それでも、誤解を恐れずに言うならば、私はまだ諦めていない。
全ての呪術(魔法)が解けて、2度とし損ねないし、し損ねた分を急いでリカバリーできるような未来が来ることを。
それは実際に、必ず来るから。
このまま解除セッションを続けていけば、途方とないほどかけられた呪術は必ず解けていきますし、それに付随するさまざまなネガティヴブロックも外れていくから。
さて、ここで私が何を言っているのか。
し損ねがどうのこうのって、一体何のことなの?と皆も思うかもしれません。
端的に言って、数々の失敗に気付けないままここにきた私のことについて言っているのですが、それは、実はこれを読んでくれているみんなも一緒だよと。
そういうことが言いたいわけです。
たとえば私は、最初の旦那さんは酷かった、と割と最近まで思い込んでいたが、酷かったのはむしろ私の方でしかなく、最初の旦那さんはとても優しくて性格が良くて仕事でも成功をしただろうし、すごくいい人と実は結婚したんだなあと、今頃になって気づく。
そのときには私にスキルがなさすぎて、受け止めきれていなかった。
自分にとってより良いものを。
それがなんであるのか、わからないまま、つい最近まで生きていたということは、それ意外でもたくさんわからないまま通り過ぎたものがあるのだろうと思ったわけで。
それは、パートナーシップだけのことではありません。
仕事にしろ、お金にしろ、夢にしろ、全てがそうであって、逆にそうでなければ、私はもっと今お金を持っていたでしょうし、たくさんの物件も持っていたかも知れず、離婚などせずに幸せ家族でいただろう。
そして、夢も叶っていたはずで。
そうでなければ、ただひたすら努力、努力をし続け、未来のために慎重になり今すべきことをセーブし続けてきた結果が、こうであるはずがない。
「さしたる努力もしないで生きてきた」と自負するなら、今、大したものを持っていなくても「仕方がない」とあっけらかんと言えるだろう。
でも私は、確かに努力をし続けてきた感覚がある。
いやむしろ、以前は今よりもかなりあらゆる方面で無理をしながら生きていたし、それを努力だと信じ込んでいた。
そしてその理由は、「今よりももっといい暮らしをしたいから」「夢を叶えたいから」。
以上でも以下でもなかったときに、じゃあ、私が頑張って苦しさに耐え続けてしてきた努力って、一体なんだったのだろうと。
本気で思えるようになったのは、やはりここ最近のこと。
そして、そう思えるようになればなるほど、もう努力はできなくなってきていて、
「もう何も叶わなくてもいいから、努力はごめんだ!」
と、声を大にして言いたいほど。
やはり不思議なのは、そうなってくると俄然、人生は回り始める。
自分以外の誰かが私のために一生懸命に何かをやってくれる世界が開け始め、そうなってくるとこちらも感謝で頑張って返さなくてはと思って、でも無理せずたくさんのことをこなせるようにもなってきて。
その結果ある世界は、自分が無理せず、辛くならずに、だけど以前の辛くて苦しくて頑張って努力を続けていた世界よりも、はるかに開けた世界を生きられている現実。
そうであるときに、やはり、以前の自分はどれだけの魔法にかけられていたのかと、ほとほと思います。
繰り返しになりますが、これは、私だけの話ではなく、恐らくこれを読んでくれている多くの方に共通する話でもあるでしょう。
努力してきたはずなのに、てんてんてん。
努力は、自分を前に進ませるためのものだと勘違いさせられ続けた世界の果ては、ただ自分を苦しくさせるだけの現実があり続け、前に進むどころか後退していることもあり得る世界。
コンフューズした脳は、いいことをいいと捉えられず、悪いことをむしろ良いことのように捉え続けて、かくして流浪の旅は終わりを見せることがない。
そしてこれが私自身だけの話でない以上、やはりどれだけ多くの方々が、いまだに呪術の被害に遭い続けているのか、ということに他なりません。
前に進むための努力をやめた途端に、全てが進み始めるパラドックス。
これこそ、人生の妙であり、これこそが呪術の解放の要。
ですから、私はまた自分の体験と体感を通じて皆に奇跡の共有をしていこうと思っていて、それの発端が、今お伝えしたことに他なりません。
すなわち、人生は創れる。
全てを引き寄せられる。
しかしそれは、根深い呪術を解除してこそ。
これをしなければ、引き寄せているつもりで、創り上げているつもりで、同じ場所をクルクルと回り続けるだけだし、スクラップ&ビルドは繰り返されていく。
だから、また、皆様に呪術の解除セッションを提供させていただきながら、私自身の体感をシェアさせていただこうと思っています。
また書きます。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。