けいこ ヴァールハイト Keiko Wahrheit Official Blog

自然の息吹がもたらす、あらゆる恵とゆとりのある生き方について

 

 

ロサンゼルスに暮らしていると、いろいろな日本との違いに気づきます。

 

 

まず、街が明るい。

 

 

これは、気候的な問題であり、また地形が大いに関係しています。

 

 

こちらの気候はとても過ごしやすくて、一年を通して暖かく、じめっとしていなくてカラッとした気候なので、暑すぎないし寒すぎない。

 

 

街中にもたくさんの花が咲いていて、緑も豊富で、都会なんだけど自然もある、そしてあまり高いビルがたくさんなくて本当に綺麗なところです。

 

 

 

対して、東京はというと、やはりコンクリートジャングルというイメージが否めなくて。

 

 

銀座や六本木、新宿、西麻布などなど、東京の名所ともいえる場所にはおしゃれなビルがたくさん立ち並んでいるし、それなりに舗装されていて緑も配置されているようだけど、やはり自然という感じではありません。

 

 

何を言いたいかというと、そういう場所が放つエネルギーについて、です。

 

 

私は、ロスと日本の違いを伝えようと思ったのだけど、これは簡単に言ってアメリカと日本の違いとは違います。

 

 

ロサンゼルスには、たしかにロサンゼルスのエネルギーが息づいていて、それはアメリカ全土のエネルギーとは違うのだという話になっていく。

 

 

なぜかというと、それがロサンゼルスだからなのです。

 

 

私がエネルギーを感じるとき、明るさとか色とかで感じていくことも多いのですが、ロサンゼルスは中央が盛り上がった形に明るく光に満ち溢れている場所に感じる。

 

 

そのエリアだけに感じる光です。

 

 

だからロスは明るく爽やかで気候が良いのだと思うのですが、実は仕組みはそれだけではないようで。

 

 

ロサンゼルス全土に渡るあちらこちらに、モニュメントのように見える意識体たちがいて、彼らがどうやらロサンゼルスという土地を好いていて、守りたがっているように感じます。

 

 

なぜなんだろう?と考えてみると。

 

 

ロサンゼルスには、宝のような土地がたくさんある。

 

 

ハリウッドスターたちがたくさん別荘を連ねるような、マリブの土地。

 

 

同じくハリウッドセレブたちが住宅を構える、ビバリーヒルズやロデオドライブ。

 

 

さらには、ハリウッドという名作を生み出す場所があり、またサンタモニカやその周辺は観光地としても有名ですし、風光明媚な場所でもあります。

 

 

そのような場所を守りたい、土地に根差す意識体たちが多数いて、徒党を組んでその場所を守っているのです。

 

 

ですから、ここロサンゼルスとその近郊のアナハイムやロングビーチや、少し離れたオレンジカウンティや、あちらこちらには通常のアメリカとは少しだけ違う仕組みがある。

 

 

 

それらのエネルギーは、おしなべて人に好意的です。

 

 

訪れる人たちを皆、平等に迎え入れる暖かさがある。

 

 

そのため、この土地には多数の人種がいて、国の違う人たちがいて、それでもなんとか均衡を保っていられる。

 

 

それがロサンゼルスなのです。

 

 

 

私はロスに住んで初めて思ったことは

 

 

「ここは住みやすい」

 

 

ということ。

 

 

ただそれは良き過去世が多くあったからというだけでなく、このような理由で、多くの人たちが押し合いへし合いすることなく、なんとなく良きバランスを保ちながらここにいる。

 

 

そのとき、アジア人であり日本国籍を持つ私も、少しの違和感はあったとしても、ただそれだけでなんとなく馴染んでいける。

 

 

これがロスの良さでもあるわけですが。

 

 

対して、日本はどうかというと、とても排他的であると感じます。

 

 

それは、他の国民をなかなか入れないような政策にも表れていますし、VISAや永住権取得の難しさにも表れている。

 

 

それだけではなくて、久しぶりに日本に帰ると必ず感じる息苦しさがあります。

 

 

それは、排他的とは少しだけ違って、ただ、狭い弁当箱のような小さな箱にすし詰めにあらゆるものが入れられている息苦しさ。

 

 

デパートに行けば、これでもか、これでもかというほどのサービスがあふれ、ものがあふれ、それだけでなくて、人々が鷹の目のように光らせてお客さんを獲得しようとしている感。

 

 

なんだか自由がなくて、それはSNSやたびたび炎上するネットサービスやYouTube番組などオンライン上にも表れている。

 

 

ゆとりがない、といったらそれまででしょうが、実はこの違いはやはり、緑があるかないか、自然の息吹の中に暮らしているのかいないのか、の違いに尽きます。

 

 

要するに、私たちは皆、地球の息吹をいただきながら、自然と呼応して生きている動物だということを忘れすぎている。

 

 

我先に、私が私が、のその先には、やはり地球温暖化現象があるでしょうし、CO2は減っていかない。

 

 

ということは、このすし詰めのような日本にいる限り、日本の本来の息吹は損なわれ続けますし、それがすなわち「和の心」でもある。

 

 

何が言いたいかと言うと、その昔、日本はもっと自然の息吹を大切にする国民性を持ち、月の巡りや陽の巡りに合わせて生きてきていた。

 

 

太陽が昇れば「おはよう」と言って一日を始め、沈めば大人しく灯がない中、早々と眠りについたでしょう。

 

 

そのような暮らしが失われてなお、私たち日本人は国家を大切にし、皆シンプルに生きようともがいていますが、しかし。

 

 

やはり、自然の少ない東京や地方の都市では同じように生きることができず、国民性も失われようとしている今、あなたは何を思うでしょうか。

 

 

私は、自然の多いここ、ロサンゼルスで暮らしながら、ゆったりとした心を取り戻しつつあり、それはかつて日本にもあったゆとりやのんびりと自然の息吹に合わせて生きる生き方そのものでもあると感じています。

 

 

やはり、自然を尊び、近づき、その流れに沿って生きることは私たち人間にとってはなくてはならないものだと感じます。

 

 

今日はそんな、ぼやきのような、つぶやきのようなブログでした。

 

 

では、おやすみなさい。

 

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。