※フランスから帰る途中、書きかけていたブログに加筆しています。
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今、フランスからの帰りの飛行機の中でこれを書いています。
何だかよくわからないのですが、とてつもない体験をしたのだ、ということだけはわかる。
でも、その「とてつもない」という言葉の意味合いを知るのは、もっとずっと後のことなのだとも思います。
まず、前のブログで今回の旅のカルマ落としについて書きました。
もうすでに起こっている、と書いたのですが。
しかし、その後、それはそれはとんでもないカルマ落としが起きたわけです。
それは今も尾を引いており、単純な体調不良や飛行機キャンセルでは終わらないような話として、これまでしてきた数々の過去世浄化の旅でもぶっちぎりの大変な体験でした。
一つ前のブログを読むと、この時の私はなにもわかっていない、、、
あんた何もわかっちゃいないよ、この後どんなことが起きるのか!
と、叫びたくもなるわけで。
そして思うのは、私はどれだけの悪しきカルマがフランスにあるのか、ということです。
そもそも、(これは一般論として)カルマの重すぎる場所には普通の旅ですら行くことができない。
私はフランスには昔から興味もなければ行きたいとも思わず生きてきて、そして行こうと思ったとしてもなかなか行けなかった。
それはこの仕事を始めてから初めて知ることでもあったのですが、フランスに重い重いカルマがあったから。
この仕事を始めて、行きたいなと思ってガイドに聞くと「まだ行けない」と止められていたという経緯があります。
しかし、ようやく準備が整って、約4年前に初めてパリに行けた。
その後、南フランス近辺やストラスブールのあたりには少しだけ立ち寄ることができましたが、今回ほど本格的にフランス周遊はできなかった。
前回パリに行った時、感動もしましたし、もっとたくさんの場所を巡りたいなと思って、「またすぐ来るよ、フランス」と思った。
だけどその時ガイドたちからは「次はそんなにすぐには行けない」というニュアンスの情報を受け取った。
それは
「まだまだ、もっとずっとたくさんの過去世カルマが山積みで、今回は表面に上がってきたネガティヴエネルギーをサラッと解除できたのみ。
まだたくさんのカルマがあって、それはまた準備が整わないと解除に来れない」
という意味合いだと、その時思ったのです。
今回旅に来て、そしてカルマ落としの酷さを体感するにつけ、ガイドたちの言わんとしていたことがやっとわかったという次第です。
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そしてここからが、今、帰ってきて4日経った今日、です。
まず、とにかくひどい旅でした。
何がひどいって、予定変更につぐ、予定変更。
もともと立てていた予定の半分も履行されなかったのではないか、というくらい。
そしてそのほとんどが、私自身のし損ねによるものだったという。
もう今さら、振り返りたくもないのですが、さらっと何があったのかを事後報告的に。
まず、ガソリンと間違えて軽油をガソリン車に入れたことから全ては始まります。
車が動かなくなった。
リヨンを出てマルセイユに向かおうとした矢先のこと。
私はそもそも、軽油をガソリン車に入れると車が壊れて動かなくなるという知識がなく、さらに、フランス語が読めず、「gazole」と書いてあるのをすっかりガソリンだと信じ込んで、入れた。
その直前に、ガソリンスタンドのコンビニで、フランス語しか話せないレジのお姉さんとのやり取りがあった。
言葉が通じないので「ガソリンを満タンに入れたい」、ということを英語とジェスチャーで伝えたら、お姉さんは「ガゾ?」と言ったのだ。
私は単純に「フランス語でガソリンは『ガゾ』と言うのか」と思った。
実はフランス語でガソリンは「essence」と言う。
そんなのは後で知ったことで、私は信じ込んでそれを入れた。
車は発進直後から不穏な音を発し始め、左端に寄せた信号機の手前で突如、動かなくなりました。
セドナのデジャブが、、、
車が停まった直後、私たちの真後ろにパトカーが停まった。
私たちに注意するためかと思いきや、全く違う車を注意するために停まったらしい。
結果、そのパトカーのおまわりさんにGoogle翻訳で
「車が停まって動きません。助けてください」
とフランス語で助けを求めた。
でも、そこからがまた長かった。
全てを書くと長過ぎて気が遠くなりそうなので、ことの経緯はすべてYouTube動画真実の現実創造
内の特別動画でアップしていく予定がありますので、ぜひそちらをご覧いただきたいのですが。
話を単純化すると、その日は土曜日だったので、フランス中が止まっており、私たちの車を助けてくれるJAFのような機能の会社もなく、地元の修理工場も空いておらず。
最終的には、それから約3時間後、私たちは見知らぬ街の修理工場にいた。
トラックで車ごと運ばれたのだ。
私はカルマ落としがこういう形でやってきたのだ、とわかったので、基本的に心配はしていなかった。
また高次元の存在たちもいっさい降りて来ることもなかった。
ただ「ああ、今回はこういうことか、、、」と思ったのだ。
さらに言えば、この出来事が起きる直前に、高次元の存在たちが予告めいたことを言ったのを思い出したのです。
「これから、集合無意識ゾーンを動かし始めるので、何かは起きます。
どこに影響が出るのか、私たちもわからない。
この旅の仲間に起きるかもしれないし、それ以外のところで起きる場合もある。
でも何か驚くようなことが起きたら、(ネガティヴエネルギーの除去は)成功していると思ってください」と。
また、こうも言った。
「けいこさんは、今日これから行う解除セッションのために、たくさんの顧客のエネルギーを背負っているので普通な状態ではなくなります。
ですから、周りの方がしっかりするように」
まさに、、と思うのは、車はレンタカーをしたものなので、事故や故障の時には真っ先にレンタカー会社に電話をすべきなのに、全く思い浮かばなかったのです。
そのせいで話しはややこしくなり、また払う必要のないレッカー代なども支払うハメになった。
ちなみに、その時の気温は1℃で外は雪。
修理工のおじさんたちはフランス語しか話せず。
話が長くなるのではしょりますと、そこからタクシーでリヨン駅まで戻り、フランス語の話せる友人の助けでレンタカー会社に電話をしてもらい、代替車を出してくれると言うことで待っていても、いっこうに連絡は来ず。
まだ私たちは、フランスという国がどういう国なのか、知らなさ過ぎました。
そういう国、だったのです。
要するに、非効率極まりない。
言ったことがほとんど、個人的采配で処理をされるため、たらい回しは当たり前。
2時間近く待ってもいっこうにやってこない代替車の連絡に痺れを切らして、もう一度連絡をしてもらうと、手配がまだできていないとこのと。
仕方なく私たちはマルセイユまで電車で行くことにしたのですが、また、マルセイユ駅の表示がわかりにくい、、、
迷って、乗る予定の特急電車に乗り遅れ、さらに1時間待つことに。
ほうほうのていでマルセイユ駅に到着をしたのは、夜の8時を過ぎていましたとさ。
朝10時から行動をして、これです。
しかしながら、これでカルマ落としは全く終わりにならなかったのです。
長くなるのでつぎのブログ記事に続きますが、一言付け加えると。
私は今までフランスを知らなさ過ぎた。
しかし、その「知らない」だけでは済まされないような辛酸を舐めさせられるような経験を、それから数日間連続でさせられるハメになった。
そして、旅はそこからさらに混迷極め始めるのです。
どれだけ、私の重いカルマがフランスにあったのかと、痛感させられる滞在だったということだけお伝えして、次のブログ記事に移ります。
ぜひ続きをお楽しみに(自虐笑)。