フランス旅について、まだ三分の一ほども書きたいことが書けていません。
が、もうそろそろ、まとめに入っていきたいです。
詳しくは、オンラインサロン内のブログ記事でフォロー的に書いていきたいと思っています。
この旅が、私にとってなんであったのか。
端的に言って、生き直しの旅。
それは、生まれ変わりの旅というよりは、死なない未来を手に入れる旅であったようです。
ここから、高次元のガイド存在たちからのメッセージをお伝えしていきます。
「みなさま、ご自身が死に向かって歩いているとお気づきの方は何人いるでしょうか。
しかもその死とは、不慮の死。
予定していない時期に、予定していたのとは全く異なる方式での、突然死を含む、死です。
さらにその死は、死して名を残すタイプの、人のために働こうとしすぎたせいで、報われない死を遂げるというもの。
さらに言えば、これはけいこさんだけの話では無く、皆さんの話であるということです。
みな、人が良すぎますし、自分のことよりも人を優先させながらここまで来た。
その結果、得るものは。
今のアセンションの時期、地球においてはエネルギーだけが現実を創る。
だとしたら、人のことばかり考えているような人たちは、人の犠牲にただなっていきますし、人に乗っかられていく。
さらに言えば、人から疎まれてもいきます。
そういうものなのです。
なぜなら、人にエネルギーを漏らす人は、自己意識が足りなくなる。
いわゆる、自己愛の薄さを形作り、それによって皆知るのは、自分で自分を殺すタイプの、さまざまな問題は現実にどんどん起きてくるということです。
しかしながら、基本的に『自己愛を高めよ』と言ったところで、皆、自己愛の低さがどこからもたらされているのか知らなさすぎる。
それは、ヨーロッパ系の根深い呪術によってもたらされていることがほとんどなのです。
さらにいえば、集合無意識ゾーンには、個人的なカルマ領域を超えた、集合体としてのカルマがある。
それは例えば、戦争です。
戦争のカルマは、誰が負うのか。
戦争を始めようと言った人なのか、それとも当時の首相や軍の上層部なのか。
そうではなく、体験をした人全てにカルマはおりる。
なぜなら、戦いによって、その体験をした人すべてに恐怖のエネルギーは宿ります。
さらに、人を殺せば殺したカルマは殺した人につく。
また、その体験を共有するにあたり、皆知らなさすぎるのは、それこそ集合無意識エリアに消えない傷を残すのです。
それは、たとえば『口封じ』。
知っていても知らぬ顔をし続けなくては、自分達がやられる。
だから、むごたらしい死を遂げていく隣人たちに興味を持たない顔をして、そこから逃げ続ける。
あるいは、嘘をつかざるを得なくなることも多いでしょう。
正直であり続けると、殺されるか拷問に似た体験をさせられるから。
またこの時期、誤ったタイプの神と契約してしまった者たちも多くいて、そのほとんどは『死にたくない』という思いから。
あるいは、戦地に赴く息子や兄弟たちのために、誤ったご祈祷をし続け、自分の肉体を代わりにやるから彼らを助けよ、という祈りを誤ったタイプの神にし続けた者たちも多くいる。
結局、戦争とは何なのでしょうか。
そのほとんどは、実はホワイトサイドたちを騙し続けたダークサイドたちからもたらされてきたものであると同時に、ホワイトサイドたちも我慢がならなかった。
要するに、こういうことです。
皆、死にたくはない。
だけれども、栄誉を汚されると死んでもいいから戦いたい、となる。
さらに上乗せは、戦いによって恐怖を与えられるだけでなく、死んでも何ともならないのに、死ねば何とかなるような気にさえなる。
これがいわゆる、戦争の恐怖を含めた人類共通のカルマに値する、過去世の記憶のかたまりです。
そしてこれは、個人個人の過去世の記憶をただ浄化するだけでは、到底取れない。
なぜなら、記憶は凄惨すぎますし、数多くの人たちを巻き込んで起きた原爆や爆撃や焼夷弾や、そのようなものは、たくさんの方々に同時に起きた凄惨な死として、かたまりになって集合無意識ゾーンに確実に存在するから。
個人領域をあさるだけでは、それは取りきれない。
それも含めまして、竜巻や津波が起きる可能性も未だ否めず、それはなぜなら、人類が皆かつて体験をしたことだから。
いずれそうなる、と、皆の潜在意識が同時に思えば、それはそうならざるを得なくて、それこそが、意識が現実を創る今の時代の先駆けともなり得ます。
さて、ここからは話をガラリと変えていきましょう。
今、けいこさんは元気にロサンゼルスで生活をしていますが、今後、ハワイに戻る可能性も含めて、また世界中を旅して回ることになるでしょう。
なぜなら、今後、彼女のサイキックはさらに開かれざるを得ず、それも含めてフランスのカルマの多くは予定通り、いや、それ以上に喜ばしい変化をもたらしながら解消されたのです。
やがて彼女の口から語られるであろう、意識の変容について我々から一言申し上げるとしたら、それは『軽さ』です。
どんな軽さなのか。
それは、なにものにもとらわれない軽さ、とでも形容したらよいのか。
端的に申し上げて、これまでのけいこさんは重かった。
役割の重さに加えて、重たい重石を背負いたがる気質、さらに人のことを気にしすぎる気質や人と一緒に何かをしなくては気が済まない気質。
それらのどれをとっても、彼女はいつだって何かにがんじがらめになっているような気がしていたでしょうから。
それでは、また来ます。
本日はお呼びいただき、誠にありがとうございました」
なるほど、と、彼らの言葉をチャネルし正確にタイプをしながら、私はいつも感心する。
なるほど、確かにそうだと。
何かが、確実に違うのですが、それが今彼らの解説でよくわかった。
付け加えるならば、今の私は何も求めていません。
満ち足りている、という言い方とは少しだけ違った、何かただ、穏やかさだけがある。
そしてそれはおそらく、釈迦や仏陀やキリストや、それ以外の多くのかつての宗教家たちが求め続けた「無我」の境地に近いものなのだと思う。
そして、本当に人生はいま、軽いです。
目の前のことを楽しむ余裕が出てきましたし、無理をもう、自分にも家族にもさせたくない。
また、いつでもどこかにあった、怒りや焦りや「やらなくてはならない」という想いはもうないのです。
ただ穏やかさだけがある、この感覚は、おそらくずっと私が求め続けていたものなのだと思う。
思うのですが。
以前のエネルギーで創り上げてしまった現実は目の前に広がっています。
それはやはり、なかなかに面倒くさく、やらねばならないタスクも多くあります。
今はそれに向き合いながら、これから、今の私のエネルギーで創り上げられていくであろう、もっとより良き現実を楽しみにしていきたいと思います。
フランスの話はまだたくさんあるのですが、ぼちぼち現実に戻りつつ、おいおいしていきたいと思います。
それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。