けいこ ヴァールハイト Keiko Wahrheit Official Blog

ラスベガスから帰ってきて感じる変化について

 

ラスベガスに行ってきました。

 

相変わらずの強行軍で、帰ってきたのは午前2時半。

 

翌日もなんやかんやでバタバタしており、報告が遅れましたが、、、

 

長らく悩みの元であったような、大きなブロックがようやく外れてようです。

 

その所感は、これからもっとずっとハッキリと日常生活の中で感じていくのだろうと思いますが、ここで軽くご報告を。

 

まず、私が何をしにラスベガスに行かされたのかは、少し前のブログに書いた通り。

 

ネイティブ・アメリカンであったときの過去世のし損ねの回収に行かされた。

 

では、どんなし損ねだったのか。

 

割とこれは個人的な話にもなるので、ザックリとお話をしていきますが、一つは恋愛にまつわるもの。

 

またもう一つは、自分の文化的活動にイマイチ真剣になれないような側面。

 

またもう一つは、お金です。

 

もちろんそれだけじゃなくて、家族との悲しい別れをしないようにだとか、身体的な痛みに関するものだとか、そのようなことも含みます。

 

そして、それらは実はネイティブ・アメリカンであった時の過去世だけではなくて、ゴールドラッシュによってできた賭博の街、ラスベガスに生きていた開拓者だった過去世の時に負った傷が大きかったから。

 

そういうことのようです。

 

えっ、そうなんだ、、、と今頃気づいて、今驚きを隠せない。

 

私はいつも何も知らされないで、過去世解除の旅にたいていは出かけるのですが、今回もそうだったようで、、、

 

「変容の所感を述べます」とは言いましたが、ここからは私では分かりかねる部分も大きいため、やはりガイドたちにゆだねたいと思います。

 

ここから。

 

「私たちガイド存在の悲願でもあったのは、けいこさんやけいこさんの家族、家族ライクな人たちを不慮の事故によって死なせないことにありました。

 

また、もっと大きくサイキックを開いて欲しいが、そのどれもけいこさんは聞いているようで、実は聞けていなかった。

 

なぜなら、内的意識はいつでも死にたがりますし、それが故に間違った選択をし続けたがりますし、それはなぜなら、彼女の内的意識の中には『死ぬことなど怖くない』といった誤った思い込みがあったから。

 

その思い込みは、実は皆様方の中にもあるかもしれなくて、そのうちの一つはこうです。

 

『どうせ生きていたって同じ』

 

『私なんて役立たない』

 

『私より素晴らしい人なんてゴマンといる』

 

以上である時に、ではそのような内的意識を抱えた人たちはどのような行動に出るのか。

 

一つにおいては、無茶をしがちです。

 

人に迷惑をかけようがかけまいが関係ない。

 

私は、ただしたいからそれをする。

 

あるいは、間違ったなら自分が死んでお詫びをすればいい。

 

違った側面から書くならば、

 

『私なんて尊くもなんともないんだから、どうぞ汚してください』

 

とばかりに、人に対する印象を含めて、必要なことをしなかったり、余計なことをしたりもします。

 

内的意識に先導されてそれをする時、外的意識、すなわち顕在意識的にはそれに気づけない。

 

気づけないし、気づこうともしない。

 

しないばかりか、『なぜ私がこんな目に遭ってばかりいるのか』とレ・ミゼラブル癖は終わらない。

 

そしてこれは、けいこさんだけの話ではなく、今回の旅の同行者の一つの内的思考と、そこから無自覚的に現れてくる一つの癖でありました。

 

その一つは、ヤンチャ癖。

 

どうせ私なんて役立たない、から始まるような、自分勝手に無茶苦茶をやって、後悔こそしないが反省ばかりし続けるような面。

 

あるいは、そのような選択が自分にとって有利になるのかならないのかすら考えず、ただやる。

 

やった後に人の反応を見て傷ついたり、むくれたりもする。

 

そのような癖がある人たちとの関係性の組み敷き直し、是正も含みます。

 

要するに、荒くれ者でもあった当時のラスベガスに多くいたフロンティアたちは、何をしていたのか。

 

酒池肉林とばかりに、とにかく富を掘り出せ、金を手に入れろとばかりに争いをたびたび起こしていた。

 

たびたび起こしてもいましたし、負ければその街から去らなければならない。

 

決闘しかり、女の取り合いしかり。

 

まさに、西部劇さながらの人生観はそこにありましたから。

 

そしてこれは、けいこさんや旅の仲間に消えない傷を残した。

 

女の取り合いしかり、金の取り合いしかり。

 

負けた者は去らなくてはならなくて、では、けいこさんや旅の仲間はその時負けたのか、勝ったのか。

 

おそらくどちらのパターンもあったようで、だからこそ彼らはいつでもしっちゃかめっちゃかやりたがりますし、勝てば申し訳ないといい、負ければ悔しいと奮起し、しかしまた勝てば申し訳ないと言って負けたがり、結局はどっちつかず。

 

ですから、私たちとしては今回はけいこさんよりも旅の仲間に対して『乾杯』と申し上げたいのは、彼女はこれから真に変われるでしょうし、けいこさんもその悪しき影響を受けなくもなります。

 

そしてこれは『自己愛』とも関係していくゾーンにあった過去世の傷を癒したことからできてくる、より良い関係性の構築にもつながる。

 

それはまた、真の自己愛を引き出しやすくもなりますから。

 

また来ます。

 

このたびはお呼びいただき、誠にありがとうございました」

 

 

うっ、、、

 

なるほど、と唸るしかない、仕組みが、、、

 

私は本当にいつも何も知らされずに行くのです。

 

確かに、ラスベガスとはそのような街であったようで。

 

行く前には全く知りませんでした、ラスベガスがどういう風にできていった街なのか、またそこにどういう人たちが過去にいたのか。

 

でも、行ったら行ったで興味は出てきますし、すると耳に入ってもくる。

 

ラスベガスがなぜ今、ラスベガス的にそこに存在しているかの所以を。

 

それはいわゆる、西部劇でよく見るような風景そのままであったであろうこと。

 

ゴールドラッシュによって、たくさんの開拓者たちが他の地から一攫千金を夢見てやってきて、土地に元々いたインディアンたちともドンパチやり合いながら、昼間は金の採掘に出かけ、夜は酒と女と賭博、そしてそこから派生するように起きてくる派閥争いや決闘の類。

 

それがラスベガスエネルギーの元になっているとは、、、

 

行く前には(というか今の今まで)、全く知りもしなかったのです。

 

 

そして今、私が非常に感じている感覚はこれです。

 

「もう無理をしたくない」。

 

以前は、したくないと思いながらもいつも自分に無理をさせてしまい、それによっていつでも苦しさや辛さを感じていたけれど、そのしわ寄せはおそらくたくさんの周りにいる人たちに迷惑という形でかかり続けた。

 

私はそれについて申し訳なく思う一方で、やはりガイドたちに指摘されたように、それによってさらに苦しんでいく自分に憐憫していた。

 

やめたい、やめたい、無理をしたくない、無茶をしたくないと言いながらし続けてもこれたのは、一つにおいては自己愛の薄さだと感じていましたが、実はそんな過去世に影響されていたとは、、、

 

でもね、私は帰ってきた翌日、ほとほと思ったのです。

 

「もう絶対に無理はしない!」と。

 

それはそれは、強く強く。

 

そしてそれは、今のガイドたちの解説によって、納得がいきました。

 

私はもう、自分に無理をさせるようなことも請け負わないし、やらない。

 

というか、以前にも感じ始めていたこの感覚が急にラスベガスから帰ってきて強くなり、戸惑ってもいたのでしたが。

 

そういうことだったのかと。

 

しかし、まだラスベガスから帰ってきて、2日弱しか経っていません。

 

まだまだ、そこで受けたエネルギー的変容はこれから1ヶ月弱は続いていくでしょう。

 

ですから、フランスで変わったエネルギー的影響含めて、大きな心境の変化と現実の更なる変容を楽しみにいきたいと思います。

 

またもう一つ、自己愛とは異なる側面での大きな気づきもありましたが、今日は時間がないので、また今度ゆっくり時間が取れる時に書いていきたいと思います。

 

それでは、本日は最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。