2022年8月20日

私のネガティヴな面にばかり引っ張られていく魔法が解けた瞬間

 

 

昨日、大きな気づきがあって、気づきというより呪術が外れて、しかもそれが相当大きかったので、びっくりした勢いでブログを更新した。

 

でもまた今朝、さらなる気づきに襲われたので、それもまた呪術解除に関係がするらしく、ここで捕捉的に書いていきます。

 

でも、ちょっとだけ。

 

またさらに、これに付随した気づきがあるようなのでね。

 

 

今朝、Twitterを更新していて(エネルギーが変わったらできるようになりました。ぜひフォローお願いします)、自分で自分にかけ続けてきた言葉の魔法に気づいたのです。

 

これ、実は私と同じ魔法にかけられている人が多いので、解きたいなら、意識してみるといいと思います。

 

私、自分でネガティヴだとか、ペシミストだとかあまり思ったことがなかったのですが、実はそういう考えにいつも支配されやすい人だったのだと、気づいたのです。

 

言葉で、自分にいつも魔法をかけていたのだと。

 

たとえば、今朝方Twitterに、こう書こうとした自分がいた。

 

「ロサンゼルスは今日も快晴🌞 でも涼しくて半袖が着れないから残念」

 

ネガティヴなことは書くのをやめよう、と消しかけて、待てよ、と思った。

 

私って、このロジック、多くない?と。

 

「◯◯って、サイコー!だけど、◯◯」

 

っていうトーンに突然気づいたのだ。

 

あれ、いつもこういう言い方してないか?と。

 

上げておきながら、下げる。

 

自分を下げる書き方(言い方)もそうだし、その環境や状況や物の見方に対しても、同じロジックが働いていたのだと。

 

これって結局、最近もう一つ立て続けに気づきというか自分に対する理解があったのだけど、それと同じだと思ったのです。

 

その最近の気づきとは、前々から薄々気づいてはいたのですが、

 

「物事の良い面のことは忘れて、悪い面にばかり意識がいく」

 

というものの見方です。

 

 

たとえば、ずっと欲しかった高価なものを買ったとする。

 

すると、それを買って嬉しい、というポジティブな面よりも、買ったことに関するネガティヴな面がフォーカスされてくるのだ。

 

お金を使ってしまったとか、似たようなものを実は持っていたなとか、もったいなくて使えなかったらどうしようかとか。

 

ネガティヴなことを考えつかないほど気に入れば、ただそれについて忘れてしまう。

 

その繰り返しは、結局、何かで自分を満たしたくて、終わることのない消費活動が延々と続くだけ。

 

だから、私はいつでも何かに突き動かされるように動いていて、その繰り返しが、昨日の気づきに現れていたように、「何かは獲得する」という風に終わる。

 

だから、一見、具現化力が高いかのように錯覚されて、そういう認識だったということ。

 

ちょっと待って!

 

さらに今気づいてきたのは、昨日の気づき(呪術解除の感覚)と、前々から気づいていた

 

「重箱の隅をつつくようにネガティヴに着目してそこを消していきたがる気質」

 

がシンクロしていたこと。

 

え、そういうこと、、、!?

 

 

ここでまた、交通整理に入るように、高次元の存在からのメッセージが入りました。

 

「繰り返しにはなりますが、あなたが長い事かけられ続けていたその呪術の除去には本当に難儀したのです。

 

たとえば、私たちが『赤』と言う。

 

するとあなたはこう答える。

 

『赤かもしれないけれど、時々朱色になるし、朱色かと思えばダークカラーのワインに近くなることもある。本当にこれは赤なんですか』。

 

この言葉の意味がわかるか。

 

そしてこれこそ、今朝方のけいこさんの大きな気づきとしての、『言葉で自分に魔法をかけ続けてきた』ということにもつながる。

 

すなわち。

 

ものごとの二側面に対して、許し難いという気質である。

 

あらゆる物事には、陰と陽の部分があり、それで成り立っているということは古来から皆が知るところであって、それこそが古代中国の教えそのものでもある。

 

しかしながら、あなたは常に『陽は許すが陰は許し難い』と言って、陽を見ずに陰を見て、見るだけではなく消して行きたがった。

 

だからこそ、あなたは長年モグラ叩きをしているような様相で、あれがダメならこれをやる、これがダメだから次にはこれ、そしてこれもダメだろうからこっちもと、手を出し続けてきたということ。

 

これに輪をかけて、元々の成功を追い求める気質、さらにはハイパーサイキックの高さ、類い稀なる生命力の強さに突き動かされてもきた。

 

すなわち、行動力が高いというよりは、動かなくてはおれない気質によって、ただ動き続けてきて、山ほどの失敗と、ほんのわずかな成功の種を掴んでは、捨て、また掴んでは、捨てをしてきただけ。

 

これは、実は具現化力とは程遠いところにある、ただやり続けてきた、その結果そうであった、ということにしかなかったということ。

 

さらに言えば、あなたの自己肯定感はやはり呪術によって下げられても来たので、そういう思考の元に気づけなくもあった。

 

自分みたいなものがこれをつかめたのだから、そんな奇跡的なことは普通起こらないから、だからこれは具現化なのだ、と。

 

そうじゃない。

 

あなたには得る権利があり、そのために山ほどの無駄な手数を打ってきた。

 

それで手に入らないならおかしいと思うほど、他の人よりもあれもこれもそれもやって、しかしながら、それにしては、本当に欲しいものだけは得ていない。

 

であるならば。

 

この気づきにさえ到達できれば、あなたの次の段階まで上がることは容易であろう。

 

それは、真の具現化について、もっとエネルギーの法則に即して考えること。

 

すなわち、ちゃんと休むこと、他者を愛するように自分を愛すること。

 

以上でしかないときに、今さら同じことを申す必要もないでしょう。

 

短命に終わる鍵は、働きすぎでありますし、一人で危険区域でもどこでもどんどん行きすぎてしまうことである。

 

また、ロクなものを食べる時間がないほど、一つのことだけに集中することも、それに当たるであろう。

 

それを共有して、制してくれて、正しい方向に引き戻してくれるようなパートナーこそ、あなたは毛嫌いして逃げ続けてきた人生の前半生において、あなたの短命に終わる宿命は、今書き換えられようとしていますから。

 

また来ます。

 

本日はお呼びいただきありがとうございました」

 

 

昨日の気づきのショックからワンクッションおけたので、冷静にこのブログを書こうと思って書き始めたのに、今のガイドの言葉が衝撃すぎて言葉を失っています。

 

気づいていなかったことに気づくのが、「気づき」です。

 

そして、その気づきは、気づけていなかったことがバカバカしいほど単純であり、なおかつ他の誰でも気づいていただろうことであればあるほど、衝撃でもあります。

 

なぜ、こんな簡単なことにも気づけなかったのだろうかと。

 

しかし、それこそが、呪術の魔法の力だということなのです。

 

長年かけられ続けてきた呪術は、私にこんな単純なことすらわからせないように、巧妙に、ただそこにあったのだと。

 

驚きます。

 

 

また書きます。

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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