けいこ ヴァールハイト Keiko Wahrheit Official Blog

フィラデルフィアに来て理解し始めたさまざまなエネルギー変容

 

フィラデルフィアにいます。

 

 

今まで、聞いたことはあっても、どこにあるのかすらわからないほど興味のなかった街。

 

 

なのに、来てみたら懐かしい。

 

 

何なんだ、これ、この感覚。

 

 

街を歩いたら、馴染み深くて知っている感じしかしませんでした。

 

 

そして、そこで感じるフィラデルフィアは、これまでロサンゼルスで思っていたのとはまったく違う。

 

 

「ここは労働者の街だったなあ」という感覚。

 

 

労働者階級の私がかつてここで暮らしていて、その日暮らしのような日雇いの労働人で、ただ夢だけを見ながらその日稼いだお金を酒に費やして、酔いどれて、ただそれだけで終わった過去世を何度か繰り返し、そしてもう見切りをつけて去った街。

 

 

でも、懐かしいのは、ここで確かな人生があったことを表しているようで。

 

 

その日暮らしでもなんでも、とにかくここで私は泥臭く、人間臭く生きていたということ。

 

 

でも、今思い出せるのはここまでです。

 

 

そしてこれは、これまで、フィラデルフィアに来る一つの理由としてガイドたちから聞かされていたのとはまったく違うストーリー。

 

 

実際には、アメリカ建国の頃にたくさんあった、もともといた存在と、新しく入ってきた人たちの間にあった、さまざまなせめぎ合いの解消に来た。

 

 

そしてそれは、凄惨な死や孤独な死、事故や怪我に関する可能性の抹消。

 

 

それを知るのは、これからです。

 

 

でも、それらの影響力と思われる夢を、出発の1週間ほど前にまた見させられていたのです。

 

 

いや、それは夢ではなくて、確かな体感であり、夢よりも遥かにリアルな感覚としてはっきり覚えている。

 

 

真夜中に目が覚めると、まだまどろみの中、頭の真上に四角形の枠があった。

 

 

その四角形の枠の角には、それぞれ文字が書かれていて、一つは

 

 

「危機」

 

 

の文字。

 

 

あとの3つは、その時ははっきり覚えていたのに、目が覚めたらほとんど忘れてしまっていて、でも確かこんな感覚のものでした。

 

 

「理解」

 

 

「知性」

 

 

「美」

 

 

これが四角形の角にあって、「危機」の場所が一つずれたら、それに合わせて他の文字もガチャガチャっとずれて、

 

 

「元あった場所にしっかりハマった」

 

 

と理解した。

 

 

これは何かというと、エネルギーが大きく動くときって、すでに目に見えない世界での準備が終わっていて、それが現実に現れてくるのを待つだけになる。

 

 

この段階ですでにエネルギーが大きく動いていたのだという、それを知覚したエネルギー体験だったということなのです。

 

 

そして、だからこその、昨日書いたブログそのものようなことが、出発前から連続して起きていた。

 

 

それは、し損ねるパターンがありながら、し損ねないという現実を受け止める、ということ。

 

 

なるほど〜・・・。

 

 

さらには、この翌日に、明らかに呪術解除の夢を見たのです。

 

 

それはこんな夢。

 

 

「山岳宗教の場所で、非常にたくさんの人たちと白装束を着て修行をしている。

 

 

みんなが別の場所に一斉に移動していなくなり、私も後を追おうと、その時食べていたうどんを慌ててかき込む。

 

 

焦りながら「まだある!食べ終わらない!」と思ってよく見ると、うどんに混じって半紙を丸めてお経が書かれた紙がたくさん丼の中に入っていた。

 

 

「ああ、うどんはもう食べ終わっていて、これはうどんじゃなかったのか」と思う。

 

 

すると、そこにまだ姉と会社のスタッフが2人だけ残っていて、そのお経を「これはこうやって焼くんだよ」と言いながらつまみ出し、一面灰の場所で火をともして焼き始める」

 

 

というもの。

 

 

モノクロの暗いトーンの夢で、山岳修行やお経の黒々しい文字から感じたのは、過去世に大勢で行なっていた宗教やそれに関する呪術解除の夢だということ。

 

 

ここからは、高次元の存在からの解説を加えていきます。

 

 

彼らが言うには、「これこそが、あなた方のコミュニティの辻褄が合わなくなるタイプの呪術である」と。

 

 

つまりは、人と人同士を疑わせたり、誤解させたりしながら、ボタンのかけ違えをさせていくような、物事を微妙に合わせなくさせていく呪いだというのです。

 

 

結局は、物事がうまくいくかいかないかの最たるものは、関わる人たちの相互理解であって、お互いサポートしたい気持ちがあったとしても、理解できないレベルでお互いがそれをしてしまえば、虚しい結果に終わる。

 

 

また、お互い憎しみ合う必要のない人たちが憎しみ合っていくのも、誤解であると同時に、思いやりという思いやりのなさが勝手に発動していくとき、それはそうなると、彼らは言うのです。

 

 

結局はこれらの呪術は、誤解を生み出す元となり、それが、「わかったつもりになって、全然わかっていない」というパターンを持つ、誤解をしやすい人たちに長い間効き続けた呪術であると。

 

 

さらには、この呪術こそが、誤解やそこからの憎しみ合いを生むだけではなく、事故や怪我の元にもなると彼らは言う。

 

 

なぜなら、それが結局は孤独に生きていくことと繋がり、1人で生きていくという人生観は、「守られない」というパターンを生み出す。

 

 

さらには、たくさんの人たちと有意義なことを積み上げていく、そこからのさらなる発展という醍醐味を味わうこともなく死んでいくような、それは守られないだけでなく、自分の役割を放棄することにもつながるのだと、彼らは言います。

 

 

それは結局、お役目がありながら拒否し続けながら生きていくパターンを持つ人にとっては、早逝していくことにも繋がりかねないという・・・。

 

 

彼らの言葉をタイピングしている私は今、フィラデルフィアにいて、これらの言葉を初めてハッキリと理解し始めています。

 

 

きっと、本当の意味で呪術がもっとハッキリと外れていくのはこれからでしょうが、でも、外れ始めているんだなと、今思いました。

 

 

 

今日はこれから、フィラデルフィアの歴史を表すような市庁舎やその周辺を巡りながら、皆様に送るエネルギーの取り込みと解除の両方を行っていきます。

 

 

遠隔セッションにお申し込みの方、今しばらくお待ちくださいね。

 

 

それでは、本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。