フィラデルフィア最終日。
この旅のメインとも言える、『リバティ・ベル』と隣接する『独立記念館』『革命博物館』に行った。
リバティ・ベルとは、アメリカ合衆国の独立と自由の一つの象徴とされている鐘のこと。
かつて、フィラデルフィアがアメリカ合衆国樹立の際に主要都市であった頃、現在は独立記念館となっているペンシルバニア州議会議事堂に吊るされていたもの。
1776年7月4日に、このペンシルバニア州議会議事堂で独立宣言が行われた。
リバティ・ベルは、1753年から1852年までの100年の間、ここに吊るされ続け、アメリカ合衆国のさまざまな重要シーンに鳴らされてきた。
そのため、アメリカ合衆国の自由と独立、また奴隷制の廃止のアイコンとして知られていて、いまだに世界中から人々が訪れているのです。
また、この近くにあった革命博物館では、アメリカ政府軍とイギリスが戦った独立戦争の、さまざまなシーンがわかりやすく展示してありました。
その一角に、この頃アメリカ本土に何十万人といた、ネイティブ・アメリカンのさまざまな種族たちの葛藤を彷彿させる展示部屋があったのです。
その頃いた、さまざまな種族のネイティブ・アメリカンの蝋人形と、彼らの葛藤を描いた映像が背景に流れていた。
その頃、本当にたくさんのネイティブ・アメリカンの種族たちは東海岸にいた。
そして、時代の移り変わりに従って、アメリカ本土に移り住んできていた、ヨーロッパからの入植者たちとの付き合い方を、部族ごとに示さなくてはならなくなっていた。
ある部族は、イギリス軍につき、またある種族はアメリカ政府軍につき、またある種族は中立的な立場を崩すまいとしていた。
けれども、結局はそのほとんどが戦争に巻き込まれていき、数多くのネイティブ・アメリカンたちが死に追いやられたり、居場所をなくして別の場所へと移動を余儀なくされた。
というようなことが、その資料には書かれていたのですが。
私は、これまでまったくピンと来ていなかったことがあって、それは、まず一つ
「これほど多くのネイティブ・アメリカンがこの頃アメリカに住んでいたのだ」
ということ。
また同時に、彼らは彼らなりに独自の方式で政治を執り行っており、指導者的な立場の人から支配される側まで、その独自の世界観の中にいたのだなということ。
ただ、ネイティブ・アメリカンは自然の中で縦横無尽に草の中を駆け巡りながら生きていただけだったと、勘違いしていたのです。
ここで、何が起きたのか。
私の中の意識の変容があったとしたら、まず一つは、彼らは彼らなりに狡猾であり、土地の取引も含めて部族たちを守るための何らかの外交の手腕を使って土地に乗り込んできた存在たちと渡り合っていたんだなという理解。
これは、これまでなかった理解でした。
これまでの私は、ネイティブ・アメリカンは被害者なのだと一方的に思い込んでいた。
被害者である以上、非力であり、パワフルで強引で狡猾な新しくきた奴らにただひれ伏すしかなかったのだと、勝手にイメージを膨らましていた。
そして、実はそのイメージこそが、私の中における自分自身に対する被害者意識と実は繋がっていたのだと。
今頃ガイドたちに明かされるのです。
「けいこさんは今まで知りませんでした。
あなたの中に長いことあった被害者意識の出どころを。
実はそれは、ここ、フィラデルフィアで行われた独立宣言や、それに際して死闘を繰り広げた独立戦争のさなかに培われたものであったことを、今ようやく伝えることができるようになりました。
実際には、北海道の旅でアイヌの同じようなざわめきを解消してからでなくては、ここに来れなかったほど、あなたの中の被害者意識は強かった。
なぜなら、それはやはり、ここで酷い殺され方をなさりましたから。
ここで殺されたのは、けいこさんばかりではなく、けいこさんの部下やスタッフの方、それだけでなくオンラインサロンメンバーの方々もしかり。
これを見てくださっている、会員以外の方の多くもそうでしょう。
だからこそ、あなたはいつも言っていた。
『私は悪くない』。
誰もあなたを責めてもいないのに、あなたはいつもどこか誰かに責められているような気がしていて、実はこれはこの地における惨殺という無念な死に様を経て、あなたの中に消えない思いとして芽生えてしまった罪悪感と嫌悪感、そして消えない罪の意識であることを今お伝えしましょう。
あなたは、かつてこの土地の有力者であった。
そして、多くの入植してきた者たちを殺し、最後は自分や仲間たちを同じように殺されるという体験をなさった。
それが故に、あなたの中には消えない恐怖心や、痛みに対する多大なる恐れが芽生え、同時に同じようなことをした自分に対する許し難い思いと恐怖心を宿した。
やった者、またやられた者、両面の恐怖と罪悪感と葛藤、せめぎ合いが、この地において生まれたのです。
でも、今はもうないはずで、なぜなら、それこそあなたにおいて解除したかった最たるネガティヴエネルギーだから。
あなたは変わった。
変わらざるを得ないならば、皆さんはどうでしょうか。
この地における遠隔解除セッションでは、単純に死なない意識の刻印や眠れるリソースを掘り起こそうとしたわけではない。
ただ、皆の中にもあった、決して自分を許さない領域にも手をかけさせていただいた。
それだけでなく、あなた方の中にあった、消えない思いとしての劣等感や厭世観や、自分に対して卑下する思いなどの除去も、それぞれの方々の様式に合わせてさせていただいたのです。
その結果は、今ちょうどこのくらいからはっきりと現れてもくるでしょうから。
ぜひ、その感覚の違いについて感じてみてくださいというこの言葉を持って、私たちからの導きは以上になります。
また来ます。
本日はお呼びいただき、ありがとうございました」
私は、今少し体調が悪くて、そしてそれはフィラデルフィアに行く少し手前から始まった。
風邪をうつされて、ずっと鼻水がひどくて、治ったと思ったらまた別の風邪をうつされた。
その間に、風邪だかなんだか原因がわからない、首の痛みと頭痛と今まで体験したことのないひどいめまいがしていた時期があって、もうかれこれ1ヶ月近く、とにかくずっと体調が最悪なのです。
風邪で体調を崩す前は、突然歯茎と歯が痛んで、夜眠れないほどだったり、また同居の家族も同じくらいの時期からずっと具合が悪い。
家族は一時的にまぶたがお岩さんのように腫れてしまったりもしたし、39.6度の高熱で救急病院に行ったりと、それはそれは2人して体調不良で苦しめられた1ヶ月。
この1ヶ月がようやく過ぎようとしている今、やはりこれらの体調絶不調は、死なないようになるための膿み出しでしかなく、だからこそ、私はこれから健康にもなるし、健康にもっと気遣えるようになったり、きちんともっと用心深く生きられるようになるのだなと、先ほどのガイドたちの言葉をタイプしながら思ったのです。
ちなみに、今回の旅では忘れ物、落とし物がひどくあって、一つはiPhone、もう一つはiPad。
また、買ったばかりのジャケット、帽子、メガネもなくした。
これだけの物をなくすカルマ落としは、これまでなかったくらいの量でした。
ということは、これに相当するだけのカルマが外れたんだなと思うと、私はやはり嬉しいと言わざるを得ません。
物を失くさなくなるのかもしれないし、もっといいものが手に入りやすくなるのかもしれない。
さらには、短命に終わる可能性をなくし、家族ともども健康で幸せになれるだろう。
こんなふうに、今は軽やかな気持ちで思えるようになったのも、やはり旅で相当量の大きなカルマが外れたからなのだと思うのです。
さて、この日、リバティ・ベルと革命博物館を出た私たちは、やっと大きなエネルギー漬けから解放されて、フィラデルフィアの通常の観光の場所に行った。
レディング・ターミナルでご飯を食べて、クリスマス・マーケットへ。
クリスマス・マーケットでは、有名なラブシグネチャーの下でウエディング・ドレスを着た新婦が新郎と記念写真を撮っていました。
これも何かのメッセージかな?
ということで、直近で今回ほど大きなエネルギーが動いたことはないんじゃないかというほどの、巨大エネルギーを動かして帰途に着いた私たち。
あれから3週間が経ち、現在の私はやっとのこと、日常の生活と本調子を取り戻しつつあります。
長かった・・・。
今の私には、今回の旅の変化の本当のところは、まだ完全に把握していない。
夢がひたすらに、大きな場所をゆっくり動かすタイプのものなので、夢での把握もしずらいし。
帰ってきてすぐに、『呪術解除スーパー』をはじめとした重めのセッションや個人セッションをしたりもしていて、体調も悪くて必死にただ日々をこなしていただけなので。
でも、はっきりといくつかのことは変化を感じています。
このような話は、またオンラインサロン用ブログにて、ゆっくり記していこうと思います。
まだ、ガイドたちからは、ここに書いた以上の話もあるようで・・・。
それらも合わせて、引き続きサロン内ブログで記していきたいと思っています。
フィラデルフィアでの話は、ここでは一旦おしまい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。