2016年7月24日
ミラノの夜、寝ようとすると司祭が現れ・・・
こんにちは、あべです。
なう、名古屋でワークショップ真っ最中です。
イタリアから帰ってきたと思ったらすぐ名古屋〜。
相変わらず落ち着かん(笑)。
で、時差ぼけなんだかよくわからないけど5時に起きてしまい(なんでわからないかっていうとイタリア時間では22時だから・笑)、眠れないのでブログ書く

ヨハネの生まれ変わりだと上がX氏に告げてきて、無事伝えてホテルに帰ってきた・・・というところまで書きました。
同行のNちゃんと「すごかったね〜」「びっくりしたね」とか普通の感想を言い合いながらベッドに横になる。
しかしなぜか眠れない。
目をつぶっていると、夢を見ているように頭の中で映像が勝手に動いていく。
ちょうどヘミシンクやマインド・スパをやっているときのような状態。
どんな映像かっていうと、イタリアのどこかホームに立っていて、次から次へと綺麗な汽車がやってきては、去っていくというもの。
私はただホームに立っていて、なんとなくどの汽車にも乗らない。
乗るべき汽車が来るのを待っている感じ。
でも、よく基準がわからない。指示されるのを待ってるのか

なんだこの映像、なんで汽車待ってるんだ
と思っていると・・・。

ん

突然映像に司祭みたいな人が現れた。
ローマちっくなおごそかな装飾がついた電光掲示板を持っている。
んー

眺めていると、突然そこに文字が流れ出した。
「次はペテロだ・・・」



な、なぬっ

なんだと

びっくりしていると、頭の中で声がこだまする。
「次はペテロだ、ペテロを救う」
ま、まじかーーーーー







声が言う。
「ペテロの死からだいぶ経ったが、その死が凄惨だったため、まだペテロは癒されていない。
今度はペテロを癒す必要かある。その導きを下ろすのでしばし待つように。
トリノに行け、次はトリノだ、そこで次の導きをおろす。
ペテロに会わなくてはならない。それは役目だ。次はペテロを救う」
おーい、ちょっと待ってよ〜



慌てて枕元にある携帯を探り、片目を開けて必死にメモを取る。
このまま寝たら忘れちゃう

誤字脱字だらけ、ひらがなだらけで必死にメッセージを打ち込む。
次はペテロって・・・。
びっくりしたのなんのって。
わかります
この私の驚き


でね、翌日起きてからペテロについて調べてみた。
本当に私、まったくキリスト教やイエス、12使徒のことなど知識がない。
もともとこの世界のことが大好きなので、聖書の漫画版を買って読んだり、聖書も持ってるし、キリスト教に憧れて洗礼を受けたいなーって思ったこともある。
でもだいぶ前の話だし、単純な憧れ。
その後、神社や日本の神様に気持ちは移り、ことしはハワイの神々に意識がいっている。
なんで私にこんな出来事が

謎すぎる・・・。
しかし上が言うには、私は特定の宗教や神様に縛られることなく、必要なときに必要な場所に行って、必要な人に伝える役目なんだと。
そういうのが好きで見えないものを感じる能力があり、上が言うことをハイハイって聞いて、また人の役に立ちたいと思っていて、腰が軽くどこへでも行く。
また伝える能力がある。
だから役目にぴったりなんだってさ。
まあ、そういう話ならわからなくはない・・・。
個人的な喜び、どっかでのんびりしたり美味しいものを食べたりするより、役目を仰せつかって果たす方がワクワクする。
なんでも興味持つし、言われたら行きたくなるし、もともと人間界でも何かを断るっていう頭がない(笑)。
そりゃー上も便利屋として使うかもなー。
それはどうでもよい話。
で、ペテロについて。
さまざまな伝承や文書によると、ペテロはローマでX型の十字架に逆さ磔(はりつけ)にされて殺されたということです。
また、イエス受難の折に「イエスなど知らない」と弟子であることを3度も否認したということも書かれています。
いろいろネット情報を調べていたら、ペテロが弱く人間的であったという話が載っていて、面白かったです。
ヨハネがペテロのことを怒っていて許してないとか、上が言ってきたことだけど、なんだかそういう人間臭いことあるのかも・・・とか思った。
何千年も前の聖人のことなんてみんな崇め奉って美化するけど、当時は人間として生きていて弟子たちも人間関係や嫉妬や地位争いなんてのも、あっておかしくないもんね・・・とか。
そういえば思い出したんだけど、ポルトガルに向かう飛行機の中で「ヨハネの生まれ変わりと会います」と言われた時、「ヤコブもいる、ヤコブもいる」って、ヤコブヤコブうるさかったんだよな。
「私ヤコブじゃないし!知らんわ!」って聞こえないふりしていたけど(爆)。
ヤコブはヨハネのお兄さんで、私たちが今回ツアーで行ったサンチャゴ・デ・コンポステーラはヤコブの遺骸があってヤコブを祀っている大聖堂。
あそこに行ったのもやっぱり意味があったのかしらん。
ペテロの次はヤコブとか言われないよな



そしてもう一つ思ったのが、ペテロが逆さ磔で死ぬまで放置されたとしたら、それほどの苦しい死に方はないよなあ、未だ癒されてなくてもおかしくないなあということ。
以前セッションで、とても強靭な肉体と精神を持ったお坊さんの過去世だった、という方を見たことがあります。
村人たちが税金が苦しいとかそのお坊さんに訴え、お坊さんが代表して嘆願書を持って都に行き、嘆願書を提出したら捉えられた。
で、磔にされてさらし者になって、徐々に弱って死んでいく・・・というもの。
その時の苦しみ、誰も助けてくれない、憐れみと好奇の目で見られ、カラスや鳥が来てつついたり、喉の渇きと飢え、体の痛み・・・そして2週間、3週間とかけてやっと死ねる。
もうそのときの苦しみと恐怖がひどすぎて、それによって怖れというブロックが出来上がり、権力者に絶対逆らわない、怖いことが起きないように何もしないというパターンを身につけていた。
いくらイエスの弟子であろうとも、もしそのような死に方をしたのなら、もう2度と神に従うことなどしない、こっそり愛するけど公にしない、というパターンを身につけている可能性は大かなあ〜とか・・・思った。
あ、またこれキリスト教および聖人を汚す発言と怒られそうだけど
あの、あくまで個人的な感想なので許してちょ。

今度はトリノに行けって言ってたなあ。
トリノって、実はヨハネの生まれ変わりX氏が住んでいる場所。
行くことになるのかなあ〜

まあ、その導きが来たら、またブログでお伝えします

で、とりま、フィレンツェ



ミラノを出てフィレンツェにやってきたよ〜。
ここでは個人的に驚くべきことを言われたのだけど、それについてはまた次のブログで書きます。
チャオ〜



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