2018年4月11日
“パワフル中央局” 岡山・吉備津神社でパワフルパンチな神様と逢う
一昨日、岡山は吉備津神社に行ってまいりました。
今度、某女性誌の開運特集に出していただけることになって、吉備津神社で取材と撮影をしてきたのです。
吉備津神社はとても面白いところで、全国の神様との縁を繋ぐのが得意なX大社の神様(通称おじいちゃん)は「中央局」という言い方をする。
「中央局に呼ばれることがどういうことかわかるか」ってね。
いや、なんかすごそうだけど、相済みません、わかりません
・・・と思ってたんだけど、今回、ちゃんと説明してくれたのでよくわかった。
吉備津神社のご祭神は「大吉備津彦大神(おおきびつひこのみこと)」。
正直、ぜんぜん聞き覚えがなかった。
実はこの神社には、鬼退治の桃太郎のお話のベースになっている伝説がある。
ざっくりまとめると・・・。
「その昔、百済より飛んできた温羅(うら)という皇子がこの辺りに住み着いて、鬼のような形相と体躯の大きさをして暴虐の限りを尽くした。
皆で成敗しようとしたが、強くて誰も倒すことができなかった。
そこで、大和朝廷から五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)という将軍が立ち、住吉大明神のご神託に従い矢を二つ同時に射って、見事温羅を仕留める。
それによって五十狭芹彦命は吉備津彦命と名乗るようになり、その地をおさめるようになった」
かなり端折ってますが、こんな感じ。
吉備津神社の創建は明らかでなく、おそらく6世紀頃(西暦501年~600年頃)といわれています。
神社のHPより以下抜粋。
ーーーーーーーー
当社は大吉備津彦命を主神とし、その異母弟の若日子建吉備津日子命と、その子吉備武彦命(キビタケヒコノミコト)等、一族の神々を合わせ祀っております。
大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子にあたられ、もとのお名前を五十狭芹彦命(イサセリヒコミコト)と申し上げ、武勇の誉れ高いお方であられます。
一説によりますと、第十代崇神天皇の御代、災害もなくなり天下もようやく治まってまいりましたが、都から遠く離れた地方には未だ朝廷に従わない者が多数おりました。
そこで天皇即位十年に皇族の中から四人の将軍を選び、印綬を授け各地方に派遣し討伐することとなりました。
すなはち、北陸道には大彦命(オオヒコノミコト)、東海道には武渟別命(タケヌナワケノミコト)、丹波には丹波道主命(タニハニミチヌシノミコト)、そして西道のちの山陽道には大吉備津彦命が派遣されることとなりました。
ーーーーーーーー
つまりさ、鬼退治した伝説にすり替わっちゃっているけど、大和朝廷がまつろわぬ者(従わぬ者)を武力で制し、その立役者を神と位置付けて祀ると同時に、倒された側の御霊を封印している・・・という仕組み。
そういう神社、そしてそれにまつわる伝説が伝わってるんですね。
ここで誤解をしてほしくないのは、たとえば「日本武尊(やまとたけるのみこと)」も、古事記に載っている神様だけど、もともとは実在の人だからね。
崇神天皇とかさ、応神天皇とか、みなさんもご存知の「天皇」と名がつく神様も多いけど、実際にはもちろん彼らも実在していたわけです。
ではなぜ「神」として祀られているかというと、それはまつろわぬ者たちへの教育、あんど、神としてのエネルギーの足りなさを人々からの敬いによって足していく行事でしかなかったんですね。
どういうことかというと、つまりこう。
「神と知られている者たちも、もともとは人間でしかない」。
こういうとロマンを汚すかもしれないけれど、実際にほとんどの人が知らない事実としてはそうなんです。
つまりさ、神社に祀られている神も人と同じだったと人間が知れば、単なる先達者にうやうやしく頭を下げることのばかばかしさとかさ、自分とは違う生き物だって見ることの哀しさとかさ、わかると思うんだけど。
つまりさ、神も人。
人も神。
同一、あるいは同根でしかないってこと。
いい加減、神を敬いすぎるのも、敬わなすぎるのもやめた方がいいよね。
で、話を元に戻しますと・・・。
こういういわゆる「中央局に呼ばれる」ってどういうことかというと、要するにさ、ここはパワフルパンチな中央局なわけ。
鬼退治神話が元になっている神社ってことは、それにまつわる史実があってしかるべきだし、そうやって大和朝廷から使わされた超強い将軍が勝って、なかなか負けなかった敵方の将軍と両方を御霊として祀るということはさ、とにかく値千金のご利益としては
「ザ・パワー」
以上
みたいな・・・。
つまりさ、大和朝廷随一の超強い将軍の御霊を祀る神社、さらに平定された方の将軍の御霊も祀るパワフルな神社、そこのバカでかい力をもらえるってことはさ、とにかく図々しくなる(笑)。
人に負けなくなる。
パワー100倍になって、ちょっとやそっとパンチをくらわされたからといってどこ吹く風になるわけ。
でさ、今日の私はそんな感じ(笑)。
どでーんとしてるわ。
そしてすごく安定感がある。
これよこれ、私が欲しかったのは
人に揺り動かされない強さ、恐れを知らぬ図々しさ、人のためでなく自分のために引き受けて全部をやり、許し、ただ笑って今日も寝る。
心地よいです。
外側の世界はいっこも変わってないけど。
私が変わるとこうも見える世界、住む世界が変わるのかと、驚愕。
嬉しすぎ。
霊験あらたかな旅はこれからも続きます。
あ。
補足情報。
この吉備津神社で「鳴釜神事」という、これまた古くから続くご神事をやっているんだけど、こっちにも呼んでもらうってことは、とにかくパワー100倍になるってことも表してて、私みたいな腰抜けなビビりにはとにかくありがたいお力注入なんです。
でも、もともとパワフルすぎたり、強くてずうずうしくてKYで、それが玉にキズ・・・って人には、むしろ厄災にしかならないかもしれないので要注意
あんど、ここのご祭神は二体とも気が強く荒々しく、好き嫌いが激しい。
だから、呼んでもないのに「呼ばれてきました」と言ったり、そこそこサイキックが開いている人がのぞき見するみたいに行ったりするのをとっても嫌います。
以前、桜井織子さんが行ったみたいなんだけど、このときは扉をぴったり閉められて、ピクリとも開けてもらえなかったそうです。
私も今回は初めて主祭神の大吉備津彦大神に呼んでもらったんだけど(前回は相殿神の水の女神様だった)、神様のお姿を見て
「納得・・・」。
だって、本当にぶっきらぼうだったの(笑)。
「何が欲しいんだ。五穀豊穣か、災ごとを取り去りたいのか」
への字口で出てきて、ニコリとも笑わない。
「あのー、えっと、飛躍上昇していきたいんですが・・・」
おっかなびっくり言うと
「じゃあその足かせを切ればいいんだな」
と言ったかと思うと、ブチっと私の足首についてた足かせの鎖を切る。
その上で、勝手に手紙を私に渡して
「受け取れません」
と言ってるのに、無理やりポケットにねじ込んできた。
何を渡されたかわかってないんだけど、どうせ神社で神様に渡されるものは危険に決まってる・・・(経験知より)。
それに私の身請け人のX大社の神様や、私のガイドが
「絶対に受け取ってはいけません」
という。
普通さ、神様に呼ばれたら嬉しいじゃん。
しかも、何かもらったら嬉しいに決まってる。
だけどそれが危険でしかないことを、もう私は知ってしまった・・・(笑)。
ということで、この話を次の議題にしたいと思います。
あと、鳴釜ご神事についてもまた報告しますね。
このブログの情報価値をもう少し高めなさいと、最近上からちょい厳しく言われてる(笑)。
あまりにも私のお散歩ブログになり果ててしまったので、ちょっと軌道修正して、書きたいことは書き散らしながら、でも読んで「本当に」ためになる話を書いていきたいです。
それではまた
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