2018年6月22日

自分の内側を見ても、それがエゴだったら? 本当の現実創造と履き違えの現実創造

おととい書いた記事の反応がことの外良くて驚いています。
同じことを薄々感じていた人も多いんだなって思った。
まともなスピリチュアルを学んでいたり、実践している人でちゃんとグランディングができている人は、もうそういった類の話には反応できないはず。
たとえば、「現実創造ってなんですか?」といえば、単純に「自分の生きたい現実を自分で創る方法」。
だけど、ある種の教えでは、いとも簡単に現実は創れるという。
でも、理論は簡単だけど、実践はそれほど簡単ではない、残念なことに。
たとえば、とある人は「ワサビが嫌い!」と言う。
でもある人は「ワサビがなくちゃ美味しくない!」と言う。
この味覚の違いがどこから来ているか、誰か説明できる人はいる?
実はこれも、自分の潜在意識に入っている記憶の巻き返しから創られているに他なりません。
もう少し表面的なことで言えば「ジャニーズ好き」とか「アイドル嫌い」とかも。
「花は青いのが好き」「お花にはまーったく興味が湧かない」とかも。
誰が、こういった自分の好みも潜在意識から来ていると考えるだろうか。
知ってる人はそこそこいるかもしれないけど、これを把握して使いこなしている人はそういないと思います。
だって、青い花が嫌いなのに、いきなり好きになろうとして好きになれる?
ジャニーズが嫌いなのに、好きになった方がいいからって好きになれる?
もっと根源的なところで言えば、ワサビが嫌いなのに好きになろうとしても無理でしょう。
でも、一部の引き寄せ術やその類の教えでは、自分の感情を自分が操れそうな書き方、言い方しかしていない。
上の存在が言うところの「一元的な言い方」。
そしたら、誰もが曲解して捉えざるを得ない、自分もできるって。
だけど、本当はできるわけない。
たとえそれを提唱している人ができたとしても、その人じゃない人ができるかはあくまでも未知数。
これが、つまりバシャールが言うところの」みんなで一緒に幸せになろうという幻想は捨てなさい」という理論。
人と意識の共有はできないんだから、人に教えるとかサポートするとかは意味ないとバシャールは言ってる。
でもその教えは、それすら完全に無視をしている。
バシャールは、ワクワク理論を最初に唱えた存在だけど、人間の意識レベルがバシャールと乖離していると、私たちはその真意を本当の意味ではほとんど理解できない。
そういう意味ではバシャールたちだって罪作りかも。
しかし、今はバシャールのことは置いておこう。
つまり、その人の体験はその人にしかできないもので、周波数によって感じ方も千差万別。
なのに、一元的な見方、感想、はおろか、やり方まで教えちゃおうっていうんだから、無理がありすぎ。
それを伝えている自分たちがどの周波数にいるのかも理解せず、教えている相手に説明もせず、ただ理論をぶち上げる。
難しいと思います。
このブログも分かる人には分かるし、分からない人にはさっぱり分からないと思う。
それでいいと思って書いて来たけど、今日はもう少し噛み砕こうと思います。
たとえば、ステーキが好きな人、外食が好きな人嫌いな人、さまざまにいると思う。
じゃあ「なんで俺は今日、こんなに高いステーキを外で食わされたんだ!」と怒る人。
「こんなに高いステーキを外の素敵なレストランで食べられて幸せ」って喜ぶ人。
どっちがいい人? 悪い人?
語れるわけない(笑)。
こういうことをワクワク理論は言っているにすぎない。
たとえば、「感情のリモコンを持ちましょう」というような教え。
「感情のリモコンは、気持ちよくなればスイッチが入って素晴らしい未来に連れて行ってくれますよ」とか言ったりする。
理論的には全く間違ってはいない。
だけど、人の気持ちよくなり方は千差万別。
そして、こういう一元的な話に喜ぶタイプの人は大抵、周波数があまり高くない。
依存的だったり、自分で自分のことを考えられない。
そうすると、感情(快感)のリモコンスイッチを入れるために、「ステーキ食べなきゃ!」「 いちごスイース食べなきゃ!」って慌てる。
慌てなくても、いわゆる何が自分の感情のスイッチを入れるかわかってないのに、情報を外に拾いに行き、外に合わせた一元的なやり方で自分をコントロールしようとする。
これが楽しいはず!
これが好きなはず!
これで感情のリモコンスイッチを入れられた!
って。
はたまた、感情のリモコンは、自分で入れるものじゃなくて、他者から入れられるタイプの人もいる。
いわゆる、認められた瞬間「サイコー!」となるような人たち。
人から褒められ続けるとか、認められ続けるとか、そういうことで感情のリモコンを入れ続けようとする。
すると何が起きるか。
いわゆる、人に揺り動かされ続ける人にならざるを得ない。
いつまでも人に褒められることを望んでしまう。
いつまでも人にすごいと言ってもらい続けることをただ望む。
そうじゃないと感情のリモコンスイッチが入らないから。
でも実は、自分が感情のリモコンだと信じ込んでいるものは、エゴでしかなかったりする。
そう、実はただエゴに揺り動かされているだけ。
エゴが満足したがっているだけ。
しかし、一時的には満足しても、またエゴはうごめきだすと、「もっと、もっと」とワガママを言い出す。
なんでかというと、エゴは肥大するから。
一度快感を味わうと、それがあまりにも美味しすぎて、何度でも何度でも味わいたくなる。
いわゆる、依存症にならざるを得ない。
パチンコ依存、買い物依存と同じです。
なぜなら快感だから。
アドレナリンが噴出するから。
もっともっと、味わい続けたくなる。
しかも、悪いことに、このアドレナリンは、中毒性があるだけでなく、刺激に弱い。
一度刺激に慣れると、それでは感じなくなって、もっとたくさんの刺激、もっとたくさんの刺激と膨大してくる。
もっと褒められたい!
もっとすごいと言われたい!
もっと他の人と違うことをしたい!
とか・・・。
 気がつかなくちゃいけない。
自分の表層的な感情(エゴの部分)が本当の自分ではないということに。
もっともっと奥の方に自分はいる、本当の自分は。
惨めな自分。
可哀想な自分。
認められたいけど、いつまでも認められない自分。
貧乏でみすぼらしくて人からディスられ続けたい自分。
こんな自分がいることに気づけない限り、ただエゴを肥大化させ、ただ人に振り回される人になり続ける。
たとえば、一見成功しているように見えるとある人のエネルギーを見ると、真っ二つに割れてる。
片側は自分の思考と理論とグランディングした行動で作られた、見事に美しい世界(エネルギー)。
片側では、潜在意識の奥深くにある、本当の意味で自分を信じていない、惨めったらしくて自分を愛せないその人の真っ黒エネルギー。
この二つのエネルギーを持つその人の世界は、そうならざるを得ない。
片側は素晴らしすぎて、片側は惨めすぎる。
その人は、自分の内側に時限爆弾を抱えていることを知らなすぎる。
恐ろしいほどの自己破壊モデルを持っている。
これは本当に怖い。
めっちゃくちゃ大きな素晴らしい世界を、めったやたらな行動で壊して回る。
しかも壊して回っていることにすら気づけない。
創ったお為ごかしの世界が大きければ大きいほど、同じくらいの大きさで大音響を立てながら崩れていくだろう。
ちょうど、昭和の時代のアイドルや女優たちが外側の偽物の世界を作らされ、それによって自己解離を起こしすぎて、ある時から機能しなくなり真っ逆さまに転げ落ちたように・・・。
エゴが目的になってしまうと、どうしてもこういう風になってしまいます。
エゴは全部悪いわけじゃないけど、つまり、エゴは自分が引っかかる、自分が自分にかける最大の罠。
これには引っかかりたくない。
そしたら、自分でやるしかない、エゴの取り外しを。
ではまた書きます。
Mahalo ニコニコ音譜

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