2019年3月13日

イスラエルの旅4日目、その1。死海体験とマサダ遺跡で過去世の苦しみを解き放つ

イスラエル旅行記の続き。
3日目の午後、ジェリコのテル・アッスルターン遺跡を出た私たちは死海に到着。

 

 

 

死海は今、ヨルダンの農業に水が多く使われるようになって水位が減り、南と北の二つに分断されているとか。
私たちは、南側の死海にあるリゾート地エンポケックに一泊した。
そして、死海体験。
この時の気温は17℃くらい。
水が冷たくてまさに禊的な感じでした。
ホテル内にSPAがあって、温かい死海のお湯に浸かれたので、そこでプカプカ浮いている方が楽しかったです。
翌日、イスラエル旅の4日目、私たちはとても重要なイスラエルの民に関するマサダ遺跡に行った。
とにかく、このイスラエルの旅は訪れる場所、訪れる場所、ほとんど全てが重要で、割愛しながらサクッと書きたいがそれができない。
なので、若干長くもなりますがもう少しだけイスラエル旅行記にお付き合いください。
マサダ遺跡は、死海沿岸の高い山の上にある、第一次ユダヤ戦争によって廃墟となった遺跡。
(写真はWikipediaより)

 

 

徒歩で登って来る人たちもいたが、私たちはケーブルカーであっという間に登った。

 

 

上から見下ろす死海と沿岸の景色。
ここでは、その昔、イスラエルの民967人が籠城し、戦いに敗れて亡くなった。
なぜ籠城したのか。
ユダヤがローマ帝国の支配下にあったとき、反乱が起き、第一次ユダヤ戦争が始まった。
ユダヤ側が負けてエルサレムが陥落した後も、女子供を含む967人が包囲を抜け出しこの要塞に入った。
このマサダ遺跡が建設されたのは、ギリシャ統治の紀元前120年頃のこと。
その後、ユダヤの王ヘロデ大王が奪い、離宮として大改修を行った。
非常に高い場所にあり、山頂に至る道は細い登山道一本のみ、切り立った崖と高い城壁で囲まれたこの場所は難攻不落のまさに要塞だった。
ローマ軍は1万5000人の兵を用いてこの要塞を攻めたが、地形と堅牢な仕掛けに阻まれ、攻めあぐねる。
そこで、2年間かけて下から新たな道の建設を行い、ようやく城を攻めるに至った。
籠城していた967人は、だんだんと近づいてくるローマ軍を目の当たりにしながら、日1日を過ごした。
そして、ついに城の手前まで到着したローマ軍を見て、「明日は攻め込まれるだろう」という時に、皆で相談をした。
徹底抗戦をすれば皆殺しに遭う。
降参すれば奴隷にならざるを得ない。
697人が下した決断は、集団自決。
そして、ローマ兵たちが攻め込んだ時には、そこにはもう誰もいなかった。
死体の山以外には。
立てこもった967人は、くじ引きをして誰かが誰かを殺す、という風に行い、最後に残された人がだけが自殺をしたそう。
なぜなら、ユダヤ教の教えで自殺は禁じられていたから。
しかし、数人の女子供だけがそっと逃がされたという。
「それが愛です。愛の力が人を助けます」と、ガイドのアキさんが言った時に、そこにいたほとんど全員が泣いた。
私は泣かなかったけど。
なぜかというと、よくわからなかったから。
なぜ、人を逃がすことが愛なのか。
一緒に死ぬ方が愛なんじゃないのか。
これには、そこにいたEちゃんも同じ感想を漏らし、そして彼女はオイオイ泣いていた。
「愛する家族や仲間たちがみんな死んで、自分一人だけが生き残るなんて残酷だと思う。一緒に死にたかったんじゃないか」
と言って。
愛の形は本当に人それぞれ。

 

 

 

こんな過去世を体験した人がいたとしたら、それは保守的にもなるし、絶対にもう戦いたくもないし、表にも出たくないし、仲間でギューっと固まりたくもなるだろう。
そして、敵味方を分けもするだろう。
そんなエネルギーを持つ人たちの解放を、個別でここでは行った。
たぶん、私の持つ同じようなエネルギーも空に解き放たれた、そう感じます。
今世は平和な世界に生きられていて、本当によかった。

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