2019年3月30日
イスラエルの旅5日目、その3。時空を超えてイエス・キリストに出会いその人柄に心酔した
引き続き、ヴィアドロローサを行く私たち。
イエス様と同じ体験をしようと、十字架を担ぎながら行く集団がいます。
こちらは嘆きの壁。ユダヤ教の聖地です
男性と女性とで祈る場所が分けられています。
ここではアファメーションをして、自分自身の内側にある燃え残るブロックの解放を行った。
嘆きの壁を出て、再びヴィアドロローサを行く。
キリストが処刑されたゴルゴタの丘、今そこには聖墳墓教会が建っています。
たくさんの人たちが、キリストの影を追いかけ教会の中へ。
祈りが捧げられています。
祈りが捧げられています。
キリストが亡くなったあと、十字架から降ろされて亡骸が置かれた場所。
その石を厳かな面持ちで跪いて撫でる人たち。
ここが、十字架が立てられてキリストが磔にされた場所。
中に入って祈る人たちで長蛇の列ができている。
私がヴィアドロローサを歩き、嘆きの壁、ゴルゴタの丘、そこに建てられた聖墳墓教会・・・と歩を進めるうちに、
ただ見えてきた映像がある。
それは、体格の非常によい、背の高い長髪の男。
そう、それはたぶん、イエス・キリスト。
白い衣を着ているけれど、体の輪郭に沿ってメタリックグリーンの濃い光が見える。
このメタリックグリーンは、紛れもなく宇宙カラー。
なぜか宇宙の色はグリーンで、薄く発光している。
いや、外宇宙カラーと言った方が正しいのかもしれない。
もちろん、惑星それぞれには固有のカラーがあって、シリウスは白だし、アークトゥルスは紫がかったブルー、
そしてプレアデスはオーシャンブルーのような濃い青(プレアデスは星団で非常に広いので白などほかの色の場合もあるが基本は青)。
しかし、それとは違って、外宇宙系のとある場所から来た人には必ず見られる、薄いグリーンの発光がある。
それとよく似ている。けど、もっとずっと濃いメタリックグリーンの縁取り。
そして、慈愛に満ちた純粋性の高い人柄と、何者にも絶対に屈しない力強さと、カリスマ性が見て取れる。
言葉では言い表せない・・・。
ただ、その姿には畏敬の念を抱くと同時に、恋してやまなくなるような、誰もが深く愛し傾倒してしまうような、
有無を言わせぬ圧倒的存在感がある。
でもそれは怖いとか威圧的ではなく、可愛らしくて純粋で、とにかく全身から愛溢れる精神性がにじみ出るような、
本当に高いレベルの愛が詰まった人なんだ!と驚嘆する感じ。
いくら書いても書きつくせない、だけどどうにか形容したい、そんな感じになってしまう、
キリストの面影を、時空を超えて私は見たんです。
その姿を見たときに悟ったのは、キリストはただ本当に愛の人だったんだということ。
だからこそ、伝達者として地上に降ろされた。
そして、役目がありすぎて、純粋すぎて、正義感がありすぎて、職務に全うしすぎた。
だから神の担い手となり、多くの人を本当にたくさんたくさん救い、そして天に召された。
長い時を経ても世界中の人を熱狂させてやまない深い愛の存在、それがキリストなんだと私はようやく悟った。
同時に、キリストは別にキリスト教なんか作りたかったわけじゃないんだ、
ただ本当に多くの人に真実を伝えたかった、そして救いたかっただけなんだと理解した。
確信した。
キリストには虚栄心も何もなく、宗教化するつもりもなく、ただ多くの人がそのエネルギーに浸されたかったとき、
それは彼の意図しないところで勝手に創られた。
そんな風に思えてならなかった。
私はここエルサレムで、時空を超えて、ハンサムな、心が純粋で一つの曇りもなく誠実な、
そしてタフで頑強でメンタルが強すぎるキリストに恋をした。
これだけカリスマ性があれば、対抗勢力は恐れてキリストを絶対に倒したいと思っただろうな、と考えながら。
ここでまた、高次元の存在たちからのメッセージを伝えます。
「私たちの言葉でこれを伝えたいのはなぜか。
すなわち、あべさんのした時空を超える旅こそ、宇宙帰り。
時空を超えてその瞬間のキリストを見た、2000年前にさかのぼって。
その瞬間、彼女は2019年のエルサレムと、2000年前のエルサレムに同時に存在していた。
時空を超えることは実はたやすい。
多くの人が実は普段からやっていることでもある。
すなわち、「想像力」を使いながら、実際には想像しているわけではなく、
エネルギー体が肉体を抜け出して意識の世界へとアクセスをし、とあるポータルが開かれれば、
人は簡単に時空を超えて未来にも過去にも行ける。
それは、ヘミシンクや深い瞑想体験を利用しなくても簡単にできること。
できる人には、と伝えておくが。
あべさんのしたことは、今ここにいるようでいない、2000年前にタイムスリップしていながら、肉体は2019年にあった。
それによって、実に2つのことを彼女は知覚した。
まず一つはキリストのカリスマ性、そして存在の確かさ。
ここに来る前は、キリストが誰であるか、何かしたのか、今一つわからずに、
なぜ自分がカソリックに関することをやらされるのかもわからないし、
キリスト教信者がなぜそこまで熱狂的になるのかもわからなかったあべさんは、しかし、瞬時にただ理解した。
キリストの存在価値とその確かさを。
それは、億万もの言葉を連ねるよりも簡単で速かった。
もう一つわかったことは、確かに自分がその時代、どこかに存在していたということ。
それは、もしかしたらマグダラのマリアの分け御霊としてかもしれないが、
トマスやヨセフとしての弟子の分け御霊かもしれないし、
十字架を担がされて歩くキリストを痛ましそうな目で見ていた群衆の一人だったかもしれない。
あるいは、街角のネコ、上空を一瞬だけ飛んだハト、あるいは軍服を着た兵隊だったかもしれないし、
イエスに有罪判決を下したピラト総督の部下だったかもしれない。
それは誰にもわからない。
なぜなら、
彼女の特徴として、同時に様々な体験を複数したがるという好奇心旺盛で勉強熱心な魂は、
同時代に同じ場所に、まったく異なる体験者として生まれ出ることを好むから。
ただ一つ言えるのは、ここで里帰りを経験したということと、旅の仲間たちも必ず同時期にその場所にいたということ。
グループソウルというのはそういう風にしてしか成長していかない。
同じ場所に同じ時期に現れ、役割を交代しながらも共に旅をし合い、共に経験し合い、学び合う。
だからこそ、この旅が組み敷かれ、そして皆で一様に尊い体験をした。
最後に我々が伝えたいのは、これを読んでいるあなたも、そこにきっといたはずだということ。
なぜなら、それこそが縁というもの。
過去世の関係性があってこその今世の関係性があるならば、それは本当にそう。
だから、これを読んでいる人に対しても、エルサレムのエネルギーを送りたい。
キリストのし損ねたこと、それは後世まで本当に多くの人を魅了し続けてしまったこと。
弟子たちをはるかに超えて、伴侶マグダラのマリアを超えて、母マリアを超えて。
だからこそ、皆に我々はただ伝えたい。
あなたのしたいことをせよと。
キリストは、あるいはマグダラは、弟子たちは、母マリアだって、ただしたいことだけをそこでしていた。
その結果の彼らの生命の息吹があり、そしてその発露としての敬虔なカソリックの集団が出来上がり、
それに救われた人たちも多いだろう。
だが、誤解をするな。
我々は信奉者を募らない。
宗教的儀式も組織もいらないと考える星の存在として、皆がそれぞれの宗教観、精神性の高さを持ちさえすれば、
コミュニティの中で神に祈り、神に頼るという風習はなくなってしかるべきとただ言う。
もうそういうことは古臭い、そんな時代に入った。
だからこそ、キリストを解放せよ。
彼は男前だった。
男前すぎて、いまだ捉えられてもいるだろう、大勢の人たちを幸せにしなくてはという幻想に。
だからこそ、皆が自分のことに意識を注げば、きっとキリストは解放される。
それは神ではない。
ある生き方としては神そのもの。
しかし、人として一度でも降りてきたことがある者は、人としての意識もそこに残す。
すると、これだけ大勢の人に愛されすぎた男は、天空に還っていけない。
御霊は吊るされる、中途半端なところに。
すると、その分け御霊を持たされた者たちも、中途半端なところに吊るされざるを得ない。
言っている意味がわかるか。
そう、あなた方は皆、イエス・キリストの分け御霊を持たされてここに存在しているともいえる。
なぜなら、彼がそれを望んだとき、彼は魂をいくつにも砕いて皆の中に入った。
彼がし残したことがあるとしたら、自分のした仕業によって、自分を自分の中に封じ込める結果にもなった。
今、皆を解放してもいます。
そして、彼を解放し、天空にそろそろ還してあげたい。
それが、我々彼と同じ場所から来た仲間としてのアークトゥルスとしての言い分でしかありません。
またこの仕組みについても、後日あべさんの言葉を通してもう少し詳しく話して差し上げたい。
今日は去ります。
この仕組みに賛同してくれて、そして旅をしてくれ、あるいはこれを読んでくれてありがとうございます。
我々アークトゥルスの集団の魂として、仲間の救出は嬉しい限り。
クフ王から始まり、それ以前のイスキリとしてのアーサー王、そしてここにきて大本丸のイエス・キリストの救出劇。
理解できる人は少ないだろうが、しかし、わかる人にはわかるだろう
また来ます」
マリアコードに引き続き、衝撃の高次元の存在たちからのメッセージでした
驚いたので、いったん終わります。
続く。
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