2019年5月11日
私たちの生きる新時代、希望を失わないために
私は現在、スピリチュアルメンターとして、目に見えない世界と見える世界の中継ぎ役のような仕事をしている。
主には、世界中を駆け巡って自分のエネルギーを高めることをしながら、チャネリングや遠隔ヒーリング、ときどきセッションもまだやっている。
だけども、もっとも必要な仕事は、目に見えない世界の正しい知識をみんなに伝えること。
これこそが私がすべきことと認識をしている。
そこで、私に問いかける。
私の必要性はいかほどか。
また、どれだけの熱量でもってこの仕事をやり切れているのかということ。
なぜなら、私はずっと逃げてきた、私のすべき役割から。
そして、アウトサイドにハマっては再び中心に戻ろうとして、また別の何かにハマって道を逸れ、寄り道、遠回りをして、やっとまた正道に立ち返ろうともしている。
このとき、再び自分に問いかける。
私のしてきた寄り道は、回り道は、道草は、いったい役立っているのかいないのか。
役立っているとしたら、何に、どうやって。
実際に私は遠回りをしてきたことを、少しは後悔もしてるけど、そこまでではない。
なぜかと言うと、寄り道をたくさんしてきたことによって、必要な情報が山ほど集まったり、遠隔でみんなのエネルギーを一斉にパワフルに書き換えられる技術も習得した。
実際には、これが私の本来のすべきことではないことを知りながら、でも、それもやってみたい。
この世に役立つことなら、とりあえず何でも首を突っ込んでみたい。
そして、宗教団体の教祖様になる気はさらさらないけど、そういうところから請われるくらいの実力者になってみたいと思っていたりもする。
だから、みんなにも言いたいのは、寄り道を恐れないでってこと。
それだけじゃなくて、心配しすぎないで欲しいということ。
また、後悔や、心配や、不安グセは、そういう現実を目の前に表すっていう一つの法則もあるけど、だからといって、そうなってしまう自分を否定したり、慌てて変わろうとしなくたっていいってこと。
私たちはもう、精神論をはるかに超えていく世界に生きている。
ド根性で計画を立てて努力をして、それでなんとかなってきた時代はとっくの昔に終わりを告げていて、私たちはもう、選べない立場からすべてを選べる。
このなぞかけのような言葉は、いわゆる、
「選ばないと決めた瞬間から(あるいは知った瞬間から)、すべてが選べるようになる」
ということ。
結局私たちは、こっぱみじんに砕け散った星の欠片からできている。
一つの「ビッグバン思想」から紐解くと、の話。
あらゆるすべてが混とんとしていた時代、私たちは星屑の小さな欠片でしかなかった。
そして、今は「自我」を持たされ、「●●●●子」として生きるとき、それは苦しさやうまくいかなさや、現実を絶対に認められないような面も含めて、右往左往しながら現実を生きさせられてもいる。
だけど、宇宙と完全に調和した時、あらゆるすべては変わる。
なぜなら私たちは宇宙の欠片でしかなく、宇宙は完全調和の元、ただ、たゆたうように存在している。
この宇宙の流れに逆らわないとき、すべてはうまくいくようにできている。
だから、体の力を抜いて、浮遊するようにただ生きる。
すると、すべてはあっという間にうまくいき始めるから。
努力を手放すって、恐れを手放すことでもある。
結局、私たちの中にある「恐れ」がコントロールグセを作り上げ、人を出し抜こうとしたり、言うことを聞かせようとしたり、組み敷こうとしたりすることにもつながる。
自分を信じることは人を信じることにも通じていて、人を信じられないとき私たちは実は自分を信じられていない。
だから、宇宙の流れを信じられないとき、それは自己信頼感の欠如とも言えて、逆説的に捉えれば、自己信頼感が強くなればなるほど、宇宙を信じることができて、その流れに乗ることができるようになるってこと。
だから、結局はグランディング、そして自己肯定感を強めていく。
すると、努力グセがなくなり、肩の力を抜いて生きれば生きるほど、勝手に向こうから欲しかったあれこれが飛び込んでくるっていうことでもありますから。
だから、私たちは、自分を愛そう。
自分を愛することが一番のグランディング、そして自己肯定感を高めることにつながるからね。
今日はそんな、奥が深いようで深くもない、とってもシンプルな基本の話でした。
それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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