2020年5月24日
たくさんの気づき、それは私の生活レベルをきっと根底から変えていく
最近、立て続けに呪術解除セッションを含む、多数のセッションを行なっている影響で、気づきのレベルが半端なく増えてきています。
その気づきの深さが、これまでとだいぶ違う感じで。
言うなればこれは、気づきというより、根本的な自分の生活習慣が正される前兆としての、様々なアイデンティティの変化という感じです。
正直、今の私にはたくさんの気づきのレベルの深さまではわからないんだけれども、その気づきや考えの変容が、人生の大きな変化につながるということだけはわかる。
なぜなら、意識が変わって初めて行動が変わり、その変わった行動の先にしか、人生の変化はあり得ないから。
たとえば以前の私は、自分の完全主義に気付いていなかった。
むしろ、大雑把で鷹揚な自分って、心が広いとさえ思っていた。
でも、このようなセッションを繰り返したのちに表出してきた本当の自分は、まず、自分ありきではなく、他者ありきの考え方を根底からしていたということ。
そして実はものすごい完全主義者なのに、完全を求めるあまり人に迷惑をかけることを嫌って、「まあ、それでいいですよ」みたいな対応を延々としてきていた。
そして、最近の私の起きな気づきとしては、それが口癖に如実に現れていたということ。
たとえば、私のよく使う言葉に
「ま、いっか」
「仕方がない」
「面倒くさい」
というものがある。
とくに、一番目の「ま、いっか」は、本当に毎日のように呟いている。
毎時、くらいの感覚で。
これは、諦めグセと中途半端を許す言葉だった。
本当は納得してないけど、それでいいというわけじゃないけど、まあ、面倒だし、あるいは仕方がないからそれでいいことにしようという。
またこの「面倒くさい」という言葉、あるいは気持ちは、これこそ本当に呪術の最たるものであることにも気づいてしまった。
なぜなら、解けてきたら、以前は面倒だと思い込んでいたものらが、実はまったく面倒くさくなかったんだと気づいたから。
この場合の気づきというのは、アイデアが降ってくる気づきはちょっと違って、ただその感覚になる、というタイプの気づき。
そしてこうした感覚に急になるのも、呪術解除の一つの特徴でもあるのです。
面倒くさいと思い込んでいたことが、面倒くさく感じられなくなってしまう。
以前の私はいったいどこに行ってしまったのだと。
またここに、私の完全主義への気づきも重ね合わせると、ただしたいことをする、以上!という世界が広がり、それは私の世界の完全性を必ず高めていくということ。
つまりは、完全完璧な世界一の幸せ者に近づけるようになってきたということでもあります。
以前の私は、たとえば、野菜ひとつ買い足しに行くのも面倒くさい。
ビールが切れていたならワインでいいや、みたい。
逆に、ワインが飲みたいけど、買いに行く手間を考えたらビールでもいいです、みたいな。
本当は「今の気分なら絶対これでなきゃ」というのは必ずあったはずなのに。
ありとあらゆる日常的な場面で、私はこの三つの言葉を巧みに使いこなしながら、中途半端な状態を常に自分に強いてきていたことに、つい先日、初めてのように気付いてしまっていた。
気付いてしまったというよりは、薄々感じてもいて、でも深く掘り下げることなく放っておいたこと。
たとえば私は犬を飼っているが、いつも私の都合よりも犬の都合で動かされていたことにも気付いてしまった。
本当はブログを書きたい。
でも犬が「散歩、散歩」とせがむから、「仕方がない、行くか」と言って出かけるみたいなことは日常茶飯事。
また、面倒くさがりゆえ、いつも食品は買いだめしてしまう。
大きなオーガニックスーパーの上に住んでるくせに。
新鮮な食品は、階下に巨大貯蔵庫があるみたいにあって、降りて行けば手に入る。
それすらしない。
しかも、そうして買い溜めた食材に振り回されて食事のメニューを決めていたことにも、気づいた。
たとえば、本当はお豆腐と白飯とお味噌汁みたいな純和食が食べたい。
でも、冷蔵庫にはウインナーが賞味期限切れ直前で置いてあり、パンも固くなりそう。
すると、本当はそっちじゃないけど、純洋食のご飯を作って食べてしまう。
そんなことはザラにあって、食べたいか食べたくないかよりも、腐らせないためにとか、解凍しちゃったからとか、最後の一個余らせたくないからとか、常に、自分のマインドとは程遠いところで生きていた。
そのとき使う言葉は「ま、いっか」。
これこそ、呪術だったと。
実は私の面倒くさがりは、呪術から来ていたんだと思ったら、様々なことが合点がいったのです。
お金に関することもそう。
以前の私は、本当に下らないことにお金を無駄遣いすることが多くて、ほとんどの理由は「面倒くさいから」。
タクシー代、駐車場代、持っているのに忘れたから出先で買ってしまうものあれこれ。
果ては、調べればいくらでも得ができたりもっと安く買えるものも、「面倒なことをするより、多少高くたっていい」と考えていた。
そのほか、買ってもすぐいらなくなって、ヤフオクやメルカリに出すのは面倒なので置きっぱなしにしておいて、ついに捨ててしまうもの、人にあげてしまうもの。
数え上げたらキリがないほど、ただ全てが面倒くさかった。
また最近、突然、料理をするようになった。
もちろん、毎日自炊はしていたんだけど、ほぼ、焼くか炒めるか、塩胡椒かめんつゆかの世界。
ところが最近、料理って面倒くさいという考えが急に変わった。
楽しいんだと。
以前も同じような気づきはブログに書いたことがあるんだけど、それよりさらに大きな気づきが付随してきていた。
料理は、美味しい食事につながるということ。
ちゃんと料理すれば美味しいものが食べられるのだ、というとても当たり前の気づき。
以前の私は、まるでこの観点から料理をしていなかったことに気づいて、驚愕さえした。
面倒くさがって、新鮮な食材を買いに行くことをせず、買い溜めをして、腐らせたくないからという理由で食べたくもないものを適当に調理して、さして美味しいとも感じないまま食べていた。
そう、最近のもう一つの大きな気づきとしては、食べ物を美味しいとか美味しくないとかの観点から食べていなかったことに、気づいたのだ。
これもまた、驚愕だった。
美味しいか美味しくないかってことは理解の範疇の中にあまりなくて、塩味だとか、醤油味だとか、甘いとか辛いとか、柔らかいとか固い、ただそれだけが食事というものだった。
食事がどうだ料理がどうだという前に、味覚がそもそも足りてなかったのだったと。
また、グルメだとか、レストランにこだわるとか、甘いものが大好きだとか、人が言うのを聞いては、「私はそうじゃなくてよかった」と、以前の私は真剣に思っていた。
なぜなら、そういうことに振り回されたくなかったから。
しかし、いやいや待てよと。
振り回されるとかいう感覚が、そもそもおかしくないかと。
それは日々のものだし、美味しい方が嬉しいに決まってる。
自罰ブロックの際たる元となっていた呪術が解けた今、あまりにも感じ方が違いすぎるのです。
他にもたくさん、こんな感じの気づきはてんこ盛りなんだけど、ありすぎるので、ここで端的にまとめを言うと。
結局は、損する方、損する方を選ばされていたということ。
たとえば、ちょっとの間を惜しまず、美味しい新鮮な食材を、今食べたいものという観点で買って料理をきちんとさえすれば、もっと人生は華やぐ。
料理のスキルもつきますし、たくさんのいいこともそこには付随してくる。
ムダが出ないとか、冷凍品を食べることにならないとか、古くなったものをもったいないからと食べる不思議な儀式をする必要もない。
その他の気づきとしては、片付けや、アイテム購入や、それらを丁寧に扱って長く維持するコツについて新しい考えが降ってきたし、これも、お金や生活の気持ち良い維持方法とも関わってきます。
要するに、ムダを排除して正しく得を選んでいく生き方ができるようになってきつつあるということです。
解けてみないとわからないのが、呪術です。
解かれて初めて理解する、そして驚く。
こんな私のような気づき、たくさんの方々に体験していただきたいです。
また来週には、『ライト系呪術解除セッション』も募集を開始する予定がありますので、ぜひこちらも皆様ご利用下さいね。
それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
▼▼▼スポンサードリンク▼▼▼
▼▼▼スポンサードリンク▼▼▼
いいね!しよう