2020年10月26日
全体性の魔法とは「自分だけが幸せでは申し訳ない」という想い
エネルギーが変わると、起きてくることが変わるシリーズ。
ワイキキがようやく動き出しました。
久しぶりにワイキキに出かけたら、けっこう観光客がいる。
お店も開き出しているし、キャラクターの被り物をした人たちがワイワイやっていたり、かつての懐かしいコロナ前の風景が広がり始めてきていた。
いやー、嬉しかったです。
私がロスに移動を決めた理由のうちの一つとしては、このゴーストと化したワイキキが悲しかったし、あまりにも動いていない空気が苦しすぎたから。
でも今、懐かしいワイキキの姿を取り戻しつつあって、本当に良かったと思っています。
そして、実はこの変化ですら、私の世界で起きていることは私に原因がある。
私が苦しい閉じ込められた世界を生きたかった時、コロナでロックダウンは始まったし、ワイキキはゴーストと化し、どこもかしこもお店は閉まりまくり、学校はオンラインで誰とも会えない状況がやってきた。
全てのことは、私の内的世界が創っている。
ところが。
エネルギーが本格的に変わり始める手前で再びミニロックダウンはあったけど、しかし今、ワイキキは復活を遂げつつある。
そしたら、これまで音信不通だったハワイの知人と会ったり、それだけじゃなくて学校の友達と連絡をひょんなことから取り合って会う流れになったり、また別の友達ともそう。
今日なんか、7年か8年くらい前に仕事をした人から突然電話がかかってきて仕事の依頼をされ、本当に驚いた。
えっ、こんなことまで起きるの?と。
まあ、その仕事はかつてしていた編集、ライター仕事だったのでお断りしたのですが。
それでも、覚えてくださっていて、今このタイミングで連絡が来たことに驚いている。
買い物もしたし、引っ越し準備も進んでいるし、今日はめちゃくちゃご機嫌で、1人でワイキキでお茶をした。
あ、犬と一緒だけども。
なんか、満ち足りすぎていて、幸せだった。
そしたら、どこかで
「こんなに幸せで申し訳ない」
という気持ちが湧いてきて、ああ、これだこれだ、まだいたのか!と。
欠けることのない幸せを感じた瞬間、湧いてくる申し訳なさって、いったいなんなんだ。
その時感じたのは、どこかに不幸や足りなさが一点あって、でも違う部分で幸せと感じてる時が一番安心できていたなと。
おいおいおい、、
ちょっとだけ不幸がいい症候群ですよ。
でも、こういう人がこの世界には、特に日本には多い気がします。
この申し訳なさ、誰に対してなのかと思ったら、それはやっぱり世間様。
あるいは、クライアントさんであり、家族であり、仲間たち。
苦しんでいる人がたくさんいるのに、私は今ひとつも曇りなく幸せで、全てが順調。
ああ、そうではない人たちになんて申し訳ないんだと。
無意識が思っていることに気づいた時、これこそ「全体性の魔術」で、これに長い間囚われ続けた結果、ただ中庸を生きてきた。
道から外れないように、みんなと同じくらいの不幸と幸せを感じながら生きなくてはいけないと。
なんて不条理な感覚。
今、これに気づけただけでも、この全体性、中庸マジックが外れてきたんだなと思う。
嬉しいかぎり。
私は前に進むし、進めば進むほど、もっとたくさんの人を幸せに導けると信じている。
だからこそ、もっともっと、自分に幸せを許していきたいです。
そんなことを考えた、夕暮れのワイキキでした。
みなさんも、遠慮せず、めいっぱい自分の幸せのために生きてください。
幸せな人が増えるほど、地球の周波数は上がっていくし、たくさんの幸せの連鎖は増えますから。
それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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