2022年1月22日
その先が危険につながっていく行動パターンの修正
昨日、夢を見ました。
それは、「全てが元の位置にキチン、キチンと戻る」という体感の夢でした。
夢かというと、実は違って、ただそういう体感が寝ている間中ずっとしている。
そんな、夢ライクな、でも夢とは違うけれど体感としては夢より遥かに確かな、そんな感覚を得るのは本当に久しぶりのことでした。
そして、はたと考える。
やはりこれは、昨日初めて行ったスーパースペクタル呪術解除セッションの結果ではないかと。
このセッションは、現在の私の力の出せる限りのパワーを出して行ったもの。
そして、これこそが私が皆様に提供させていただきたかった、際たるものであったことを、ここでお伝えしていきます。
まず、私は自分がどれだけ誤った方向に歩もうとしてきていたのか、知る由もなかったことを先にお伝えしながら、高次元のガイド存在たちのサポートを得ながらここからはお話をしていきたいと思います。
私には、伝達者としての使命しか、当初はなかったはず。
ですが、私のスキルの高さから、また器用貧乏な側面もあり、たいていのことが水準よりはるかに高くできてしまっていた。
そういう自分に対して、私はこれまで誇れるどころか、どこか常にけなしてきていた。
「こんなこともできちゃうから、なんでも自分でやる羽目になる」。
これは、自慢でもなんでもなく、本当にいつも嫌になりながら、それこそDIYから料理からウェブサイトの制作から、細々とした折衝ごとから自己プロデュースまで、なんでもこなしてきた。
いつしか、自分が何屋さんなのかよく分からなくもなってきていて、そして気がつくと「けいこヴァールハイト」は一人歩きをして、いつのまにか呪術解除屋さんになっていた。
それは良いのです。
私の伝達者としての使命のほかに、やはり「神ごと」という使命は欠かせないもの。
ですが、この神ごとの使命がやっかいでしかなく、それはなぜなら、「死んでもやり遂げる!」と力んだ途端に、本当に死んでしまう可能性が遥かに高くなるから。
だからこそ、私のガイドたちはこの役割を私にさせたくなくて、違う形での神ごとの方式を常に私に指し示してきた。
でも、いつの間にか私は私のガイドとは少しだけ異なる、日本の神様たちと契約を結び始め、そして契約ごとはどんどん形態を変えながら大きくなっていき、そして今や危険でしかない呪術解除のみをひたすらやるような仕事形式になっていった。
これはいかん、危険すぎる。
と、ガイドが思っても、私の一人歩きは止まらず、自己肯定感の低さも相まって、いつの間にか人の恨みつらみや家系ごとの呪われた因縁を自らひっかぶるようにもなっていった。
要するに、こういうことのようです。
「私はもう間も無く、呪術解除をできなくなる」。
できなくなるというよりは、やらない選択をせざるを得なくなる。
なぜなら、伝達者としての道に戻らされた今、それが本筋である以上、ただそれはそうなのです。
もちろん、まだあともう少しだけはさせていただきたく思っていて、たぶん、年内いっぱいはこの形式をもう少しだけ続けていく。
でも、その先はもうできない。
これが、今、私がガイドたちから聞かされている全てです。
その先のプランはわからないのですが、伝達者の使命は失われない以上、そちらの方向へ行かざるを得ないことにはなるのでしょう。
ちなみに、私がこの解除セッションを行う前日に見た夢は(夢というよりはやはり体感でしたが)、
大きな大きな生と死を司るツボのようなところから、あぶり出されるように「死ぬ危険性」というエネルギーが放射されていく
というもの。
それは、竜巻のようでもあり、電極のようでもあり、たくさんの雷雲の中からフラッシュするようにジグザグの閃光が間際なく溢れ出ていく、そんな映像でした。
また、その晩は、その夢を見る前に魑魅魍魎に襲われて金縛りに何度もあった。
やはりこれは、とても危険なセッションなんだなと、それはそれは人ごとのように思いながら寝たのですが、、、
私の中に、このような「何事も人ごとのように捉えてしまう」タイプのブロックがある以上、危険は避けられなかったであろうと、ガイドたちは言うのですが。
ここからは、高次元の存在たちからの言葉として紡いでいきます。
「私たちが常日頃から皆様にお伝えしたいこととしては、
『ご自身の役割を超えた何かになろうとすることなかれ』。
すなわち、役割をやろうとしすぎるな。
ご自身のやれる範囲で、やりたいやり方で、無理せずやれ、とも言い換えることができます。
しかし、自己肯定感の低い人たちは、常にやりすぎます。
やらなければ気が済まなくなる。
そして、無理をしてでもやれたとき、達成感と共に自分を褒められる。
そんな類の呪術にかけられていた人たちの解放は、私たちにとって悲願でしかありませんでした。
なぜなら、それが、本当の意味合いにおいて
『役割をやり切る』
こととつながるから。
ですから、今回のセッションにおいては、ご参加いただいた皆様が、無理できなくなる。
そして、これまで無理に思えたことも無理ではないと知っていく。
そんな矛盾を作り続けたのもの、呪術によるもので、やすやすとできることが最も困難であるように感じられ、また同時に達成感を感じられない。
そして、非常に困難で、時には死に至るような危険すらかえりみずにやることの方が、できるような気がするし、やったあと爽快感がある。
これこそが、危険や短命に自分を導く際たる呪いであることをお伝えしながら、手短なこのメッセージは終わろうと思います。
なお、お受けいただいていない顧客の方の中にも、何人かこの鋳型を大きく有する方々がおられましたので、同時に残り香的なエネルギーは送らせていただきました。
その後、おそらくこのセッションの本質的な意味合いを理解されるのは、明日明後日のことではなく、数年レベルに及ぶ方もいるかもしれない。
そのような方におかれましては、近年はご自身が無理できなくなったのはあのセッションを受けてしまったからなのだ、と悔しく思うようなこともあるかもしれません。
しかし、数年後には必ずわかるでしょう。
どれほど自分が馬鹿げたことに囚われ続け、そして今という時間を台無しにし続けてきたのか。
それを知ることができた者は幸いである。
けいこさん、しかり。
そしてやがて知る、自分がどの道に迷い込もうとしていたのか。
茨の道かもしれません。
先が崖っぷちになっていてもそれが見えない道であったかもしれません。
誰も来ない暗い暗い、寂しい道へとつながっていたかもしれません。
先のことは誰しもがわからないと言います。
しかし、とある行動パターンの先には、どう考えてもそのような道に行くより他はない、誰がどうみてもその道に迷い込むであろう、という捉え方はあります。
皆さま、迷い道にはまり込むことなかれ。
また大勢の皆さまを、皆様が進むべき正しい道へと引き戻させていただくことを楽しみにしています。
本日はお呼びいただき、誠にありがとうございました」
うーん、、、
なるほど、、、
よくわからない側面はありつつも、自分が夜中に見たイメージや体感は間違いがないもの。
だからこそ、何かが正しく軌道修正されたのだ、とは感じますし、また生命の危険があったことについても思い至る。
身の危険が迫っていても、私たちには基本的にわからない。
それが無事に過ぎ去っても。
危険な事故や事件は、起きて初めてわかるもの。
だから、何も起きていない今が、すでに助けられていて、そしてラッキーであって、さらには恵まれていること。
きっとそうなんだ、と理解しながら。
今回のブログはいったん終わろうと思います。
また他にも、このセッションを受けた方からの体験のシェアを、ぜひお待ちしています。
それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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