2022年8月30日
NYより、侵略された者と侵略した者たちの意識について想いを馳せる
NYに向かっています。
NYは、まだ2回目。
前回は、弾丸で6月に行った。
今回、なぜNYが解除セッションの地として選ばれたのか。
それはやはり、私たちの記憶のなかに、凄惨な切った張ったの殺し合いというものがあり、これがほとんどは侵略者と侵略してきた者たちとの戦いから。
だから、ネイティブ・アメリカンの聖地であったNYはマンハッタン島にて、その昔、侵略されたネイティブ・アメリカンと侵略したヨーロッパ勢との戦いの癒しというテーマが選ばれたのです。
私は思います。
なんでいつも、こうなんだろう?
たとえば、縄文と弥生の鋳型。
また、アイヌとヤマトの民たちの鋳型。
琉球とヤマト、というパターンもある。
出雲の民とそれを犯した者たちとの物語。
インカやアステカと、マヤやそれ以外の元々土地にいた者たち。
いずれも、私や私の周りの人たちのテーマとした浮き彫りになる。
これはやはり、私の過去世のいくつかにおいて、いやたくさんの過去世においては、侵略したりされたりしたその傷が多くあって、癒す必要があるのだと思う。
しかしながら、私のガイドたちはこうも言うのです。
「あなただけではない。ヤマトの国に今生きていらっしゃる人々は皆、このパターンを経て今ここにいるのだ」
どういうことなのだろうか。
また彼ら言うのです。
「あなたはかつて、出雲国にいた。そしてやはり侵略されたのだ」と。
ここからは、ガイドたちからの情報になりますが、私の言葉としてお伝えしていきます。
まず、私の一つのブロックパターンとしては、やはり縄文と弥生の戦いに見られる「侵略した者とされた者」という
「見知らぬ人たちとは相容れない」
という思い。
さらに言えば、それはヤマトと蝦夷地そのものがそうであるし、言ってみれば京の都とそれ以外という言い方もできる。
また、それは縄文と弥生にまで遡りますし、そもそも農耕民族と狩猟民族では意識の方向性が異なりすぎて相容れない。
農耕民族は穏やかであるわけではなくて、作物を溜めておいて分配しながら生きるために、序列や戦いや、また蔵や倉庫なども必要となり、それがゆえに人はヒエラルキーという序列を作らされるに至った。
狩猟民族はそうではない。
今日のものは今日の分だけ。
それだけである時に、彼らは戦い合いのない分かち合いという世界を生きていた。
そしてそれは結局、レムリアの時代の暮らしそのものであり、それが周波数の高い人々が生きる世界であったこと。
そしてその派生が、実は日本国民であるということなのです。
彼らはまたこうも私に教えてくれていて、それは
「私たちはやはりユダヤの申し子である」
と。
この辺りになってくると、もう私には理解不明ですが、今日は彼らはここまでしか教えてくれないようなので、解説はまた、NYにおける呪術解除セッションが終わってからとしたいと思います。
それはやはり、ユダヤとユダヤ民族たちを追い出した者たちという鋳型にもつながり、そしてそれは縄文文化と弥生文明の相容れなさにつながり、その記憶を有する私たちは、だからこそ、侵略されることを良しとせず、長い間鎖国を続けてきたのだと。
さらには、鎖国を終えても鎖国的な様相は未だにあり、その心は
「身内以外を敵視する」
という感覚から来ているのだというのです。
私は思う。
確かに、私の中にもかつて色濃くあった
「私たちとそうではない者たち」
という感覚。
これこそが、横並び意識を持ちながら、同時に他と自を分けて考えて、内側で固まっていく複雑絡まる国民性につながるのだということ。
そしてそれはやはり、多くの方々の中に、侵略された者と、侵略した者という記憶が色濃くあるからなのだと、彼らは言うのです。
その感覚は、ない方がいい。
なぜなら、ワンネスの考え方に則って生きることがこれからの地球のスタンダードであるときに、それをうまくいかせない元になるから。
それだけでなく、それがやはり多くの方の他者を敵視したり排他的になると同時に、孤独を作る大元の意識であると、彼らはいうのです。
さて、ここまで書きましたが、今すでに私はNYに着いています。
NYはやはり、可愛らしいエネルギーをしていて、これだけ大都会でアーバンな雰囲気に溢れているのに、なおかつ優しくて可愛らしいエネルギーに満ち溢れているのは、やはりここがかつてネイティブ・アメリカンの聖地であったからだと思うのです。
すなわち、ただ都会なだけじゃなくて、土地のエネルギーがすこぶる高い、類い稀なパワースポットなのだと思う。
そんなNYを、これから滞在しながら楽しんでいこうと思っています。
また書きます。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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