2020年10月14日
自分という物差しで測った「自分にとっての普通」で生きること
アセンション障害について、少しだけ。
私の古くからの親友の調子がすこぶる悪い。
この9月半ばあたりから。
親友とは付き合いが長く、私の仕事のことなどは知っているが、スピリチュアルでない面で仲良くしてきた。
彼女は、とても優しくて親切で人に迷惑をかけないように、少しでも他者に良くあろうとして生きている。
楽しいし、可愛いし、頭がよくて人気者だ。
だけど、時にその生き方は息苦しく、大変にも見える。
見えるだけじゃなくて実際そうなのは、彼女は定期的に癇癪を起こして気難しくなって、めちゃくちゃ怒る。
その時の彼女は果てしなく恐い。
そんな彼女が塞ぎ込んでいる。
連絡も滞りがちで、やっと返ってきたラインには「何とか生きている」と書かれていた。
何があったというわけではなく、ただ本人としては、コロナで外に出られていないからとか、旦那さんとうまくいっていないからとか、理由をつけたいかもしれない。
だけど私は、「ああ、9月からのアセンションエネルギーにやられているな」と思う。
ここで注釈なのですが、私がこういう仕事をしているなら助けてあげたらいいのにと思うかもしれないが、なかなかそれも難しい。
なぜなら、本人がコミットして、変える!と決めて徹底的にやり切らないと、むしろ弊害になる場合もあるし、そもそもスピリチュアル理論を全く知らない。
「自分の内側が人生の全てを創る」というこの世の法則がわかっていない人に、頭ごなしに言い聞かせようとしても、それは難しいのだ。
とはいえ、私はサポートを諦めてはいないので、何らかの形で救っていきたいとは思っている。
話を元に戻します。
何を私が言いたいかと言うと、彼女においては「優しすぎる」「人のために自分を犠牲にしすぎる」ならびに「自分の心に嘘をつき続ける」ことをやめなくてはならないということ。
人に親切に、良かれ、良かれでしか生きていない彼女は、本当に我慢しすぎていて、本当の自分を誰にも見せられていなくて、その窮屈そのものの生き方は、まさにアセンションエネルギーの標的になる。
だから、今この時期に体調を悪くされた方、パニック障害のような症状がで始めた方、さまざまに聞きますが、皆、人が良すぎます。
優しすぎる。
ならびに、自分を後回しにして他者をおもんぱかり、自分の心に嘘をつきすぎる。
そういう人たちがアセンション淘汰の対象になってしまうのは、理不尽すぎます。
でも、そうなのです。
だから、みんな今の時期はライトに行こう。
さらに、心に嘘をつくのはやめよう。
暴れればいいし、泣き叫べばいいし、嫌われたっていいと腹を括る。
それが私なのだからと。
そういう生き方を選んでいかない限り、私たちはがんじがらめになりすぎるばかりか、体調不良や心の病に侵されないとも限らない。
今の時期は特にそう。
普通であることは尊いこと。
普通を失って初めてわかることは多い。
だけど、普通って何?
頑張ること?
我慢すること?
自分でなくなり他者に合わせること?
全く違うと思う。
ナチュラルであることを普通と捉えるならまだしも、人の価値観に当てはめて、メジャーであること、対外的に恥ずかしくないことを普通だと捉えている限り、やはりそれもアセンション淘汰の対象にならざるを得ない。
飾るのをやめるしかない。
嫌われるならそれもけっこう。
変わりに、とても好いてくれる人も現れるだろう。
今、選ぶべき生き方は、今後のアセンションが進む地球のスタンダードにならざるを得ません。
今こそ、他人の物差しで測られる「普通」をやめる時。
であると同時に、自分自身であり続ける、「自分にとっての普通」すなわちナチュラルであり続けるべき。
だから、マイペースで行こう。
マイペースで行くことを自分に許せた瞬間から、アセンションエネルギーは味方にならざるを得ない。
そして、上昇は始まる。
レプティリアンの存在はいるかもしれない。
だけど、相手にしなければいいだけのこと。
私たちが私たちなりの価値観を持ち、他者の価値観や世間の物差しに揺さぶられなくなった時、レプティリアンたちは私たちに手出しができなくなる。
操れないから。
だから、今さら不安になる必要もなくて。
ただ、己を信じていけばいいだけだから。
今日は、そんなところ。
みんなが、ナチュラルかつ穏やかで、そんな自分と自分の生活を愛せますように。
心から祈っています。
それでは、けいこヴァールハイトでした。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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