2018年11月25日
「気づきと目覚め」についての考察。私たちはどこから来てどこに行くのか
私たちは、基本的に寝ながら生きています。
まずもって、私たちの魂がどこから来ているかも知らないし、その起源だけではなく、そもそも肉体を乗り換えて延々とあり続けることも知らない人がまだまだたくさんいる。
それを知らしめていくことも私の一つの使命だと思ってはいるのですが。
しかし、ではそれはどうやって行けばいいのか。
結局はここで語る言葉も他人の言葉でしかないならば、皆が目覚めていくためには、自分自身でそれを認識していくしかなく、そのためには認識する場を創らねばならない。
そうしてできた活動が、ヘミシンクを使ったワークショップと、それを提供していく場としてのライフパス・アカデミーという団体。
だけどやっぱりそこで伝えられる人数にも内容にもどうしても限りがあって、なかなか世の中に浸透させていくのは難しい。
現在の私の悩みどころでもありつつ、そこをちゃんと引き受けてなかったなあという反省点でもあるのですが。
まあこれはいったん置いておいて。
このいわゆる「気づき」。
また「目覚めながら生きていく」ということ。
なかなかに難しいです。
実際、私たちの魂は永遠です。
肉体を乗り換えて、延々と生きていく。
あるいは、この地球生命系を超えて続いていく。
だけど、魂ってなんだろう。
どこから来て、どこに行くのか。
ほとんどの人が知り得ないようなこの問題。
簡単にこのブログで語るのは軽すぎる。
しかし、多少なりともヒントを伝えることはできる。
やはりここは高次元の存在からの知恵を得て。
しかし、メッセージとしてではなく、私が受け取った情報を私がかみ砕いてここで披露することにします。
その方が伝わりやすいこともある。
まず、私たちが「魂」だと思い込んでいる、私たちのエネルギーボディがある。
このエネルギーボディには、たくさんの情報が記録されている。
要するに私たちのエネルギーは、記録を保持する媒体の役目がある。
そして、その記録簿である私たちのエネルギーは、時として肉体の中に入り込んで人間として生きることも選べる。
そして、この記録媒体である肉体を伴ったエネルギー体は、時折上昇してくる多面的な意識体とエネルギー交換を行うことで、私たちが記録してきた感情やエネルギーや記憶のかけら、これらを彼らに渡すことができる。
そう単純に考えてしまえば、私たちはただ体験をさせられているロボットっていうこと?
厳密には違います。
私たちは自由意思によって、さまざまな体験を選べます。
苦しみあふれる体験、喜びあふれる体験、くだらない体験や愚にもつかない体験も含めて、酒池肉林の記憶や、酒におぼれる記憶や、失恋で悲しむ記憶や・・・。
そしてこれらの記憶は、すべてが尊い。
そして、すべてとある貯蔵庫に貯蔵される。
だけど、この貯蔵庫がどこにあって、どういう目的で作られているのかは私たち人間レベルでは知らされない。
言ってみれば、私たちが肉体をまとわない単なる霊体やエネルギー体として宇宙に存在していたとしても、この人間意識の記憶の貯蔵庫の番人が誰で、カギをだれが持っていて、どこの誰が何に使うのかを知ることは難しい。
実際に、それくらいの秘密を私たちの体験は有している。
なぜかというと、私たちを創ったのは、実は神でも宇宙でもなく、とある宇宙存在だからなんだけど。
こう言うと、ちょっとスピリチュアルをかじったことのある人は「知ってる! それはアヌンナキでしょ?」と言うかもしれない。
だけど実際には違うかもしれない。
ここのところはブラックボックスとさせてください。
というのも、アヌンナキ以外の存在たちも加担して、私たち人間を創った説もあり、また、この情報を降ろしている私自身だって、もしかしたらそれに参加していたのかもしれない。
もしかしたら、これを読んでいるあなたも。
それくらいこの地球プロジェクトは、実は広範囲にわたって多数の宇宙意識体が関り、目的も理由も知らされないまま、たくさんの宇宙意識体が協力体制を作って成し遂げたと言えなくもない。
このとき、今現在の三次元的な捉え方でこの問題を語るのも無理だし、ましてや理解するなんて難しすぎる。
ということで、とっても中途半端な状態で申し訳ないけど、私の試みはここまで。
ただ一つ言えるのは、私たちの魂は永遠なんかじゃなく、肉体を乗せ換えて生きることもなく、ただたゆたう宇宙存在としてどこにもそこにもあそこにも存在したことはなく、ただ、今この瞬間にあるすべてだけが永遠であり真実であり、そしてただそれだけでいいということ。
このなぞかけのようなこの言葉をもって、今回のブログは終わります。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
▼▼▼スポンサードリンク▼▼▼
▼▼▼スポンサードリンク▼▼▼

いいね!しよう