2020年2月19日
周波数が上がる時、私たちは躊躇する。なぜなら元いた場所に居たがりすぎるから
まずは夢の内容をお伝えします。
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母と姉と父と、一つの家で暮らしている。
少し歪んだ家。
私は他に一人暮らししているアパートがあるが、あまり帰っていない様子。
年度末か期末のような時期で、「一区切りついたから私は今日からこの家に帰って来ない」と姉が言う。
「本当に今日から帰って来ないの?」と念押しすると、「今日から帰って来ない」ときっぱり言われる。
とてもとてもとても、裏寂しい想いが心の底から込み上げてくる。
寂しくてどうしようもなく悲しくなる。
母と私が何かを話している。
年度末だからこれまでのことが一区切りついて、終わりを告げて、次のことをしないといけない。
しかし、夢の中で何も思い出せない。
一生懸命思い出そうとしている、これまで私が何をやってきて、次に何をしないといけないのか、どこに通っていたのかを。
母に「何をやっていたのか思い出せない、どこに行けばいいのかわからない」と必死に言っている。
一生懸命考えてようやく思い出せて来たのは、「そうだ自分は服飾系の短大に通って来て、2年経ったから終わりのはずなんだけど家庭科が嫌いで1年目も2年目も授業に出なかったから出席日数が足りなくて卒業できないんだ」ということ。
1年目も2年目も行かなかった授業にこのまま短大に残って行くとも思えないし、また2年通うのはお金も時間もかかるし、やはり退学しかないかと考えている。
せっかく短大に入ったのに中途半端で終わって学歴は高卒になるのか、嫌だけど通い続けてもどうにかなるでもないし、かといって辞めるのも嫌だしと、とても残念かつニッチもサッチもいかない絶望的な気持ちになっている。
「じゃあ、私はこれから何をして生きていけばいいんだろう? 生活費をどうやって稼いでいたんだっけ?」と考えている。
思い出せない・・・。
このまま通い続けられないし、何かを始めないといけないし、何よりお金を稼いで生活をしていかないといけない。
お金がない・・・。
コンビニやスーパーでバイトをするしかないのか。
嫌だ、やりたくない。
でも、私には何もない。
これまで通りのことをずっと続けていけたらよかったのに、もう終わってしまったから次に進まないといけない。
一人暮らしの家についても考えていて、家族と住むべきか一人の寂しいアパートに帰るべきかと悩んでいる。
あらゆることにどうしたらいいかわからなくなって、途方に暮れているところで目が覚めた。
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目が覚めた瞬間、「そうだ私はスピリチュアルメンターという大好きな仕事をしていて、ちゃんと収入を得ていたんだ!」と思い出したら心から安堵して、「夢でよかった!!」と心底思いました。
何もやりたいこともなく、やれていない空虚な心が辛すぎたので。
さて、この夢。
拡大バージョンと書いたのは、よりディテールが詳細であること、また深い感情を伴っているところです。
まず「期末」が何を表すのか。
端的に言って、次の段階に上がることを指す。
これまでいた周波数からもう一段階上がる手前に私はいたようで、このセッションを受けた何人かのクライアントさんもそう。
そして、次の段階に行かないといけないのに、躊躇があった。
通常は、次の段階って今よりは高い周波数だから、皆本当は行きたがる。
だけど潜在意識は臆病だから、これまでのよく知ってる周波数のところに居たがるのです。
これは、まずそれを表している夢。
だから、ぼんやりしていて躊躇していて、「これまでと同じことを延々続けていきたい」と夢の中では望んでいる。
しかし、なぜここで私が以前何をやっていたのか忘れていて、そして「私には何もない」と思って途方に暮れているのか。
これはやはり、お受けいただいた方々の想いを代表したようで、たくさんのクライアントさんたちが「私たちには何もない」「自分は何もしていない」と思い込んで途方に暮れている。
この想いの手放しがあったということ。
しかし、この感情はみんなの意識を私が感じただけではなく、やはり私特有の一つのブロックでもあった。
この「途方にくれる癖」こそ、私を動かす原動力でありながら、私を迷子にさせ続ける意識でもあった。
この「追い求める癖」さえなければ、私はもっと穏やかに優雅に暮らせていただろうと、ずっと思ってきた。
このエネルギーが浮上して外れていくことを知覚したということは、もうこのエネルギーが私に悪さをしなくなることを表してもいる。
そして、年度末とは少し関係がないが、私の姉が家を出ていくとキッパリ言った時、ものすごい寂しい気持ちになったのこそ、私の中にあった大きなトラウマエネルギーとしての、「人に置いていかれることの悲しさ、辛さ、寂しさブロック」。
私は寂しがりやです。
一人でいることが大嫌いで、いつでも誰かと一緒にいたがるし、誰かがいるとホッと安心する。
一人暮らしは大嫌いだし、だからこそこれまでも恋人やパートナーを恒常的に持ちたがり、ほとんど独り身であったことはない。
でも、この「寂しさエネルギー」を持っている限り、寂しい状況は私の人生に訪れる。
私たちが体験するさまざまな状況は、まず自分の内側にそのエネルギーが内包されているところから始まるから。
簡単に言って、私たちが持ってないエネルギーのことは、現実に現れてこない。
例えば私が「寂しさエネルギー」を持っていれば、どんなに寂しさから逃れようと思っても、たびたび寂しい状況は訪れ、そして寂しくなるからこそ寂しくならないように、寂しくならないようにと行動を重ね、結果寂しくなり続ける。
「寂しさエネルギー」を持っていない人や、それが薄い人の人生には、寂しい状況はほとんど訪れません。
なぜなら、何があっても寂しくないし、寂しさを感じない人のところには寂しい状況もやってこないから。
心配性の人がなぜ心配ばかりしているのかは、心配することが起きるからではなく、まず自分が心配エネルギーを持っていて、心配しすぎることから心配するような状況が現れてくるからだと、皆は知ったほうがいいでしょう。
この夢で良かったなあと思ったことは、このような内包されている感情が浮き上がってきたことを感じたからで、これが手放されることで、私はもっと生きやすくなってくるでしょう。
期末の話に戻ります。
夢の中で期末であるということは、次の段階に進まなくてはならないということ。
もう後戻りはできない。
これは、前の記事で書いた、大波がザッパーンと砕け散って襲い掛かることと基本的には一緒の意味合いです。
全てが粉々に砕け散り、もう後戻りはできない。
次の段階に入らないといけない。
そのお掃除も兼ねての、今回の解除セッションであった。
しかし、そこには危険も伴うということ。
すなわち、躊躇に対する想いがそうです。
躊躇している、前に進むことを。
前にも進めないし、後ろにも退けないと思い込んでいる。
思い込んでいても、もう進む以外に道はない。
なぜなら、時は無情で止まってはくれないから。
嫌だけど歩き出さなくてはならない、新しい状況に向かって。
すべては崩れていく、壊れていく。
意図せぬ方向へ。
それでも渋々歩き始めてみて初めて、私たちは新天地にたどり着ける。
たとえそこが素晴らしいと最初は予想できていなくても、歩いているうちに、新しい状況は悪くないんだと理解できてくる。
そんなことを予知させる夢であったばかりでなく、これは、家族関係の組み敷き直しも含まれています。
例えば、私が母と話をしている内容。
思い出せないと言っていて、家に帰るのか一人暮らしのアパートに帰るのか悩んでいる。
家族と共に暮らすことになるのか、それとも後戻りして一人の寂しい暮らしに戻るのかのせめぎ合いもある。
また、家族で住んでいた少し歪んだ家こそ、歪んだ家族関係の象徴に他ならなくて、姉が出ていくことでさまざまなことが変わり、自分も住み続けるのか考えていくことも含めて、家族関係も変わらざるを得ないということ。
端的に言って、私たちの自己肯定感が低い時、私たちは他者に迎合的になります。
他者ばかりでなく、状況や環境においてもそうです。
でも、自己肯定感が備わってくると、自然と自発的にものを考えられるようになり、人や環境に執着や依存をしなくなります。
ということは、自己肯定感が備わった人はこれまでの環境が窮屈に思えても来る。
すると、これまで自分を閉じ込め続けた環境にサヨナラを言わざるを得ないし、自分であえてやめていくだけでなく、勝手に環境が崩壊していくこともあり得る。
これらが複合的に、私やセッションをお受けいただいた多くの人の状況の中で起きてくるようです。
まだセッションは2回あるうちの1回めですし、影響力はこれからもあちこちでさまざまに現れてもくるでしょう。
ぜひ、日常の中でも変化を感じてみてくださいね。
パートナー関係に悩む人の多くは、まず自己愛が圧倒的に足りないということが言えますから。
恋愛で悩まなくなった時、きっと多くの人が知るのは、これまで自分がどれだけ自分を虐げてきていて、嫌っていて、苦しくさせ続けていたのかということ。
この2回セットのセッションでは、その状況を解放に向かわせるべく、自己愛を深めていきます。
男女に関係なくお受けいただけますし、たとえパートナーがいてもうまいっていなかったり、お金や真の豊かさを得られていないと感じている方にもオススメのセッションです。
ぜひ、多くの方にお受けいただければ幸いです。
それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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