2021年4月4日
呪術解除満了の感覚の報告〜本当の幸せが何であるかに気づいた話〜
ワイヤージュエリー、パワーストーンブレス共に、たくさんの方にご購入いただくことができました。
誠にありがとうございました。
私自身が気に入って、エネルギーサポートのためにも毎日つけている石たちです。
必ず皆様の人生を、より良い方向に導いてくれると信じています。
末永くエネルギーサポートのためにお使いいただけたらと思っています。
この度は、ご購入くださった方々、本当にありがとうございました。
まだ少し在庫ございますので、ぜひ引き続きご愛顧いただければ幸いです。
商品詳細、ご購入はこちらから。
さて、話はガラリと変わり。
私は最近、大きな気づきがありました。
この気づき方、意識の変容レベルは、やはり呪術解除スーパーもしくはディープなどの満了に伴ってだと感じる。
なぜなら、いろんな気づきのレベルや段階がある中で、これほどハッキリと
「勘違いしていた」
と感じることはないから。
通常の解除セッションを行う中でも、さまざまな気づきの段階はやってくる。
しかし、こと呪術解除セッションとなると、気づきの感覚が違うのだ。
最近ようやくわかってきたこととして、やはり、呪術は呪術。
魔法にかけられていたということは、すなわち、一種の思い込み状態であって、疑いようがないほどの感覚でそれをそう思い込んでいたということ。
だから、気づきようがない。
だけど、解除されるとハタと気づく。
そして必ずこう思うのです。
「何でこんなことに気づかなかったのだろう!当たり前でしかないのに」。
私や高次元の存在たちが言うところの
「呪術にかけられていた状態」
って、つまりはそういうことなのです。
で。
私が何に気づけたのか、という話。
すごくシンプルに言って、私を幸せにしてくれるものが何であるのか気づけた。
それだけのことなんだけど、私はこの感覚を得るまでに、どれだけの遠回りをしてきたのだろうかと。
どこをどう探しても見つからなかったものが、あっさり見つかった。
それはもう本当に、青い鳥の話と一緒でしかなくて、自分の家の庭にいたという、それだけの話。
だけども、私はこの感覚を得るまでに、どれほどの努力をして、どれほどのお金をかけて、全国、全世界を駆けずり回ってきたのかという話。
馬鹿げた話でしかありませんが、まあ聞いてください。
私は今まで、仕事で成功したいと思い込んできたし、たくさんお金も稼ぎたいと思ってきたし、有名にならなくちゃならないとも信じ込んできた。
魂も成長させたい、たくさんの仲間も導きたい、そのためにはもっとエネルギーレベルを上げなくちゃならないとずっと思い込んで今までやってきた。
それらが私が求めてやまないものだと信じ切っていたし、それをやり切れたとき初めて満足のいく人生は始まり、その満足感によって幸せになれるのだと、信じ込んでいた。
信じ込んでいたので、疑いを挟む余地がなくて、ただそうであるとしか考えられなかった。
そして、がむしゃらにほぼ男性性だけを使って生きてきた。
男性性を使い過ぎていた話は、前々回のブログに書いた通りです。
しかし、どれだけ頑張っても、無理しても、努力を続けても(努力しているつもりはあまりなかったが他者からはそう見えたらしい)、エネルギーを上げても、次のハードルは必ずやってきた。
来れば来たで、そのハードルは必ず飛び越えなきゃと思ったし、だからこそ、いつまで経ってもどこにも辿り着かなかった。
すなわち、何かを追い求めている状態は恒常的にあり続けて、そこそこ幸せにはなっていても、完全性の高い幸せにはたどり着けていなかったのです。
でも、今の私は幸せでしかありません。
この幸せが損なわれることがただ怖い。
怖くて、泣けるんです。
泣けるだけじゃなくて、途方に暮れてもいる。
突然やってきた幸せに対して、どうしたらいいのかわからない自分がいて。
でも、基本的には何も変わっていない。
収入形態も変わっていなければ、仕事内容もほぼ変わらない。
どこかで飛び抜けて有名になったり成功したわけでもない。
仕事や野望や環境や状況には、ほぼ変化はない。
ただ、プライベートエリアにおいて、家族がいる。
それだけなんです。
母が今、ロサンゼルスに来ていて、長逗留する予定があります。
甥っ子も一緒に来ていて、皆で楽しく過ごしている。
さらには、家族の絆を感じることが日常生活の中でたくさん増えた。
今まで一緒に暮らしていた犬さえ、これまで以上に愛しい存在だと感じはじめて。
ただそれだけなんです。
家族が笑って暮らしていて、そんな日常がそこにあって、母の笑顔と手料理があって、みんなが幸せそうで。
それだけで、ただ心からの幸せを感じている。
そんなことで泣けるほどの幸せって、じゃあいったい今までの自分の生活って何だったんだろうと。
母も甥っ子も姉も義兄も、犬たちだっていつもそばにいた。
それだけじゃない。
オフィスに来てくれている仲間たち、スタッフたち。
これを読んでくれているみんなも含めて、私はやっぱりたくさんの愛に囲まれていたじゃないかと。
気づいたのです。
私が受け止めていなかっただけ。
気づかなかった、そこに愛がちゃんとあることに。
そして、明後日の方向を常に探し続けていて、足りない、得られないともがき続けてきていた。
目が塞がれていただけだったんだと、気づいた。
そこにあったのに、気が付かなかったばかりか、粗末にしてきたかもしれない。
いらないと放り投げてきたのかもしれない。
だからやっぱり、これは魔法にかけられていたんだなあと。
もちろん、全てを呪術のせいにするつもりはない。
だけど、今の私は「何で気づけなかったんだ!」という思いでいっぱいなのです。
愛は、そこにもここにもあそこにも溢れていたのに。
いつも、足りない、足りない、どこにもない、まだ足りないと、足りないところにしか意識はいっていなくて。
損した生き方をさせられてきたんだなあと。
思ったわけです。
重ねて言うと。
今の私は、ダークサイドも怖くなければ、敵対する勢力(というのがいるならば)も怖くない。
何も恐れるものなんてないんだと、今さらながら気づいた。
出たとこ勝負でやってきて、負けることも多かったけど勝つこともそれなりにあって、だけど、いつも何かを恐れていて、守り、恐れ、そして守り、また「こうなったら嫌だから」に突き動かされて今まで生きてきた。
だけど、失うものなんて何もなかったってことに気づいたとき、本当の安寧の心持ちを得られた。
恐れによって目が塞がれていただけなのだと。
そしてそれは、新たな恐れる状態を呼び起こし、引き寄せても来たのだと。
私が恐れるとき、恐れのエネルギーは発信され、そして恐れるべきことは起き続けてきた。
これもまた、エネルギーの法則に他ならない。
これに気づけ、気づけただけじゃなく手放せたのも、大きな呪術解除の効果だと思う。
要するに。
アメリカでだって日本でだって、フランスだってパリだって、どこでも生きていける。
お金があったってなくたって、あったならあったなりに、ないならないなりに、必ず楽しく暮らすことはできる。
ブランド品だってもうそんなにいらないし、車だってボロでいい。
それらが幸せをもたらしてくれるわけではないのだと知った今、何も守るべきものはないとは言ったけど、もしあるとするならば。
それはやはり、家族の愛と笑顔であり、健康であり、お互いの幸せを願い合う気持ちだけなのだと。
今、私はとっても陳腐なことを言っているのかもしれない。
だけどそれが昨今の一番大きな気づきであったときに、心に嘘はつけない。
だからこそ、もう一度言います。
私は今、掛け値なく幸せなのだと。
そしてそれは、家族の愛に支えられているからなのだと。
仲間たちにも。
それらはこれまでも手の届くところにあり続けていて、私がただそれに気がつけないでいただけのことだったと。
恐ろしい、と思います。
この先もそれに気が付かずに、ただ彷徨いながら生きていこうとしていたとしたら。
いつまでもどこまでも、たださすらい人になり続けていただろうなあと思うから。
ここで、高次元の存在たちがサポートをしたいと言ってきているので、いったんマイクを回します。
「けいこさんの言っていることはもっともではありますが、では、皆さまはどのようなお気持ちになられるでしょうか。
行きずりの人が一つの学びと気づきを得たと咽び泣きもするとき、白ける人もおられるでしょうし、逆に共感なさる人もおられる。
皆さまはどうであるのかを聞くよりも、ただ、皆ご自身のお心に問い正してみていただきたい。
あなたにとっての幸せとは何なのかを。
皆、気づいているようで気づいていません。
あなたが足りない、足りない、これさえあればと思い込んでいるものこそ、あなたを不幸に落とすために用意されているのだということにも。
たとえば、けいこさんならば、社会性の高さを手に入れようと頑張ってこられた昨今、ご自身では
『社会性の高さを手に入れられたら私は幸せになれるはず』
と信じ込んできた。
しかし、実際のところ、社会性の高さを手に入れるための修行は厳しくしかなく、幸せになるための手段のはずが、それを追いかけることによって苦しみはどんどん増してもいた。
これがどれだけの大きな罠なのか、皆さんわかるでしょうか。
それが欲しいと思い込まされてきて、それを手に入れれば幸せになるのだと信じ込まされて、そして、手に入らない私は不幸でしかないと。
不幸になりたくないから、幸せになりたいから、大変な努力、寝ない、休まない生活を強いられ、必死で働く、仲間をサポートし続ける、経済活動に飲み込まれないように目配りしながらも、しかしある程度のお金は稼いでいかなくてはならない。
かくして、リスがカラカラ回る車輪から降りられなくなるかのように、ひたすらひたすら同じことを同じ要領でやり続け、一定の苦しみと苦労はあり続ける。
大変さは、そこにあり続けざるを得ませんでした。
皆さんの場合はどうでしょうか。
堂々巡りの人生観はそろそろ終わりにしていただき、自分にとって何が本当に幸せをもたらしてくれていたのかに気づいていく、そのご用意をされてはいかがかと。
それが、昨今の私たちの一番皆に申し伝えたいことでしかありませんから。
気付きの段階は人それぞれでしかなく、今、気づけなかったことに3年後気づいていく人もいるでしょう。
ですけれども、重ねて言います。
みな、経済活動に飲み込まれるな。
そして、見誤るな、本当に自分を幸せにしてくれる人やものや何らかの関わりを。
あなたを助くるものは、あなたを幸せにします。
あなたを庇護するものがあれば、それによってあなたは必ず幸せにもなるでしょう。
愛情の履き違えをするな。
それが私たちからの以上の情報になりますから。
ぜひ皆さんも、この機会に考えてみてください。
あなたが何によって幸せになってきたのかについて。
仲間だけでもない、家族だけでもない。
仕事や夢やあらゆる生命活動の中からしか、本当の答えが得られないならば、
ごゆっくりお考えいただければと思います。
それでは、本日はお呼びいただき、誠にありがとうございました」
高次元の存在たちにも、心からの感謝を申し伝えたいです。
本当にありがとうございます。
皆様にも伝わると良いなと思いはしますが、これらも含めて自分の気づきは自分のものでしかないので。
皆もさまざまな気づきの果てに、本当の幸せにたどり着いていただけたらと切に願います。
いつも応援本当にありがとうございます。
これからもまた、気づきのシェアはさせていただきつつ、マイペースでやって参りたいと思っています。
それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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