2021年7月16日
呪術解除エキスパート、そこで見た夢は
先だって、『呪術解除エキスパート』セッションをさせていただいた。
その前日、前々日と、似たような物凄くたくさんの人たちが出てくる解除特有の夢を見ていた。
あまりにも混沌としすぎていて、ディテールが思い出せないので、はっきりと覚えているものだけ2つ書きます。
一つは、アリの群れを俯瞰して見ている。
アリはてんてんと黒く、隊列をなして動いていて、そしてじっくりそれを見ているとだんだんとフォーカスが近づいていって、するとそれはアリではなく
「7」
の数字。
真っ黒い「7」がアリのように並んでうごめいているさまを、ただ私はじっと真上から眺めていた。
続いて見た夢は、私はどこかのクリニックにいて、これから子宮の手術を受けるらしい。
放射線を照射されることを知っていて、でもそのときなぜか私は妊娠していて、放射線を浴びせられるのは危険だと知りながら、それを言えない。
看護師さんが、私の股の間に空気砲みたいのを当てて、ものすごい突風が子宮を「ボフッ」という感じで2回吹き抜けていった。
その後私は恐る恐る、「実は妊娠しているんだけど、これを浴びてお腹の子は大丈夫なのか?」と聞く。
看護師さんは、「ドクターに聞いてくる」と言って裏に引っ込む。
すると、私の横に腐ったマスカットが葉っぱごと置いてあって、そこにキミの悪い大きな赤い頭をした羽蟻がついているのに気づく。
気持ちが悪いなあと思いながら見ているうちに、そのマスカット全体に次から次へと虫が湧いてきた、、
ところで目が覚めた。
朝起きて、これらは今日これからやる呪術エキスパートにかかわる呪術解除の夢だなと思った。
実際、アリの隊列のようで真っ黒な「7」の文字は、数式にかかわる呪いの解除に他なりません。
「7」は通常、ラッキーセブンと言われたりして大変縁起の良い数だと思われていますが、私が聞かされていくのは真逆のこと。
この「7」を使って私たちの意識を狂わせていくようなやり方は、枚挙にいとまがないそうです。
例えば、パチンコの「777」がその最たるものだとか。
要するに、私たちの意識を狂わせていき、他のものを寄せ付けないような興奮状態やアディクト状態を作るのによく使われていく、一つの数式の組み合わせ、それが「7」をベースに作られていくのだそうです。
また、2個目の夢は、子宮にものすごい突風が吹き抜けていく、という体感を伴う夢だったので、第2チャクラに関連する呪術解除だと感じた。
第2チャクラは子宮や仙骨のあたりにあって、ここは豊かさや愛を得ていく、感じていく、それを堪能し、悦びに溢れながら新しいものを生み出していく、豊かさの循環とも関わるチャクラです。
ここにたくさんの呪術を抱えている人は、今の日本に本当に多い。
なぜならそれが、「徳川の呪い」と高次元の存在たちがたびたび言う、私たちが江戸時代やそれより少し前から先祖的にかけられ続けている呪いだから。
たくさんの方々はご存じありません。
なぜ自分が、本質的な豊かさに手をかけられないのか。
常に我慢を強いられ、我慢こそ美徳だと、芯から教え込まされているとき、私たちは驕慢的になれない。
楽しみごとをそのまま丸ごと受け止めて、そんな自分を好きになり、好き勝手気持ちが済むまでやり切ることもできない。
呪いなのです。
その呪いがかけられ続けている以上、私たちは本質的な豊かさに手をかけられず、ただ苦しんでいきながら、隣の苦しんでいる人同士慰めあい、抜け駆けをしていくように良い生活をしていく人たちに後ろ指を差し続ける。
そして、自分が間違って豊かさのかけらを手にしてしまうと、慌てて手放すか、他の人に配って回ろうとし、結局手からボトボトとこぼしてしまう。
これが呪いでなければ、なんなのでしょう。
今回の『呪術解除エキスパート』では、このような、「豊かさ」に関わる呪いを中心に、自分で自分をあえて苦しめていく選択をしがちな人たちに向けて、集合無意識ゾーンにまだ深く分け入り、呪術の解除をさせていただきました。
おしなべて、私たちに現れてくるのは、もっとずっと新しい理解と認識。
そして、結局、
「自分が自分の誤った選択を通して自分を傷つけ続けていきたかったのだ」
という理解です。
このセッションの満了日は、だいたい5ヶ月程度。
それくらい、根深くて取れづらい呪術を、ゆっくりと危険が及ばないように取り外していくプランなので、いつもよりも時間がかかっていくようです。
私自身は、終わった直後から、また新たな気づきに襲われていて、やはりこれこそが呪術の解除なのだと感じる。
たとえば、
「私自身がものすごい溜め込んでいたんだなあ〜」
というような、自分で気が付けなかった怒りの大元が出て行ったことに気付いたり。
この「怒りの大元」って、結局は自分で自分を虐げる性質からくる、我慢ぐせ。
そして、私はいつものことなのですが、自分が我慢し続けてきていることに気づけなかった。
気づけない以上、これはやはり呪術なのですが。
しかし、ここからまた別のフェーズからこれについて話していきます。
まず私は、普段から自分を虐げながら生きているつもりは毛頭なかった。
むしろ、好き勝手やり散らかして、人様に迷惑をかけ続けるタイプの人間だと認識している。
しかし、ある部分においてはとても忍耐強くて、また我慢をすることができる。
しかし、この「我慢」が曲者で。
気がつけるならば、やめていけばいい。
「我慢はしないほうがいいよ」と人様にたびたび言って聞かせる立場であるにもかかわらず。
自分を解放しないことには真の幸せに到達しにくいことを知っていても。
溜まりに溜まって、「もうダメ!」と徹底的に怒りを吐き出すところに至るまで、私は大抵気づかないのだ。
自分が相当量の我慢を自分に強い続けてきたことを。
そしてそれにより、ネガティブエネルギーの最たるものとも言える、「多大なる怒り」を溜め込みすぎるほど溜め込んでしまっていたことにも。
だから、今の私は空っぽ。
怒りの矛先もなければ、怒る対象もいない。
だけど、またこの呪術が取り外されない限り、私はしなくていい我慢を無意識にしてしまい、そして表面張力を超えるとそれは爆発し、また元の木阿弥に戻っていく。
いい加減やめたい。
しかし、やめられなかったのはこれまでの私であり、今の私はこの厄介な癖こそ、もうやめることができていると知ります。
だから私はもう我慢をしません。
というか、何が我慢であって、何は我慢ではないのかを知ることが、これから起きようとしているから。
何が起きるのか、についてはブラックボックス。
私ですら、今まだあまり理解していません。
さらなる理解、気づきを、今は楽しみにしていこうと思っています。
ということで、今日はここまで。
本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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