2021年8月29日
同じ場所をひたすら踏みしめたがる魔法にかかっていたと気づいた
最近の変化と大きな気づきについて。
これは、とーっても当たり前のことなのだけど、これまでそうやって捉えていなかった!と気づいた段階で、外れるべき呪術が外れたのだ、という理解になりました。
なぜなら、当たり前すぎるから。
でも、長いこと、それはもう本当に長いこと気づかなかった。
くだらないことを言います。
「食べたら太るのだ」
ということ。
えーーー!どういうこと!?
いえ、こういうことです。
私がずっと気づかなかった自分の考え方のくせに気づいた。
それは、いつも文句を言いながら食べていたということ。
「なんで太るんだよ!」
そして、食べた後は大抵こういう思考になっていたことにも気づいたのです。
「あぁ〜、食べてしまった、、、(太る、嫌だ)」
なぜなら、胃がもたれて仕方がないし、お腹がぽこんと出てそれがとても見た目も悪いし嫌だ。
だから、食べた直後から自分をディスる思考が生まれると同時に、食べたことを呪い、また同時に食べて太るということが許せなかった。
んんんー、ちょっと待て、、、
最近の私は、とても当たり前のことに気づいたのです。
それは
「食べたら太るのは当たり前のこと」
いや、それは少し極端で、
「普通に食べていたら痩せない」
以上でしかない時に、私はいつも、
「食べたい」
と
「痩せたい」
が同居していて、これが相容れないことに気がつかなかった。
気がつかなかったはずはないのだけど、いつも
「嫌だ」
「なぜなんだ」
「ムカつく」
という感じで困っていたし、悩んでいたし、さらに言えば嫌な気持ちにいつだってなっていた。
ということに、最近気づいたのです。
そしてこれは、以前も同じ気づきが別のレベルで来ていて(以前書いたブログ)
そのときに外れたと思い込んでいた呪術が、また別のフェーズからさらに深い段階で外れたのだと気づいた。
要するに、
「どうにもならないことをどうにかできると思い込んで、一人相撲をする」
というタイプの呪術であり、私の一つの混迷グセを作る根深いブロックの一つです。
さらに言うならば。
この呪術が根深い部分で外れてきたのは、他でもない私が最近行った「超根深い部分に手をかけていく呪術解除」の効果そのものなのですが、この呪術にかけられている間の私は、常に、もう本当に常に
「どうにもならないこと」
について、何かを考え、あーだこーだと心の中で難癖をつけてみたり、何かやれることがあるんじゃないかと考え続けていた。
どうにもできないことは明白なのに。
そして、だいぶエネルギーを消耗してもいたし、そのことについて考え出すと、いつも気分はブルー。
さらには、それに関わる人たちに対しても、あーじゃないか、こーじゃないかと考える必要のないこと(考えたって仕方のないこと)まで考えてしまっていた。
どれほど、これにエネルギーを取られ続けたのか。
そして、エネルギーレベルを下げ続けてきたのか。
さらに言えば。
今の私はかなり呪術解除による解放が進んできたので、くだらない、どうにもならないことには、興味が持てなくなってきていた。
しかし、今この呪術が外れて来たことを知らされるにあたっては、以前に増してどうにもならないことについて考える時間を割けなくなってきていて、さらには、同じような思考形態の人としか関係性を持ちたくなくなっても来た。
もっとわかりやすく言えば、以前の私と同じ思考形態の人とは関われなくなって来たということ。
要するに、こねくり回すタイプの人たちのことです。
同じ場所を、ひたすら踏み締め続けるようなタイプの人とも言えます。
ということは、逆に考えたら、これまではこういう思考形態の人と深くコミットしていくことで、自分自身も似たような問題に陥り、徒党を組んで混迷状態を作り続けてきていたということ。
はあ。
ため息。
なのですが、これはかなりな部分で喜ばしく、盛大にお祝いをしたいレベルの呪術解除効果であると言うこと。
言ってしまえば、私はもう後退することもなければ、前に進まないためのあれやこれやを選択し続けることもなくなり、そういうタイプの人たちとも今後関わりがなくなっていくことでもう足止めされていかないということ。
結局は、私の世界は私自身が創り続けて来ていたので、気づかないうちに自分を足止めするようなタイプの人を選び、そしてその関係性の中で組んずほぐれつをやり続けて来たのは、自分自身の選択だったということに他なりません。
私のガイドたちは、どれだけ私にこの状態に気づいて欲しくて、また解放されて欲しくて、これまでもひたすら呪術解除セッションを行ってきたのかと、今、知ります。
これもやはり、呪術が解けてみないとわからない感覚値の話であり、それこそどんなに話して聞かされても、理解したつもりになれるだけで、そのような状態を確立するのは難しかっただろうなと感じる。
また同時に、最近の私は本当の意味で
「自分が自分の中心にいる」
という感覚を覚え始めてもいます。
それはやはり、「これまでそうじゃなかった!」という衝撃的な気づきを伴うものでもありました。
そうした視点で自分の人生を改めて眺め直してみてみると、
「ありゃー、これはし損ねるよね」
という、とても当たり前の感想が現れてくるのと同時に、意識的に自分の中心にエネルギーを送ることができるようになってきた。
すると、でそうでない状態が意外と単純にすぐ現れてくるようになりました。
この辺りの感想やシェアは、また長くなるので今度改めてしていきたいと思います。
それでは、皆様も良き一日をお過ごし下さい。
本日は最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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