2021年10月23日
後悔エネルギーがつくり続けたもの、七面倒くさい価値観とそこからもたらされる面倒事の多い人生
先日、オンラインサロン用遠隔後の揺り戻し的な内的変化について書きました。
「後悔エネルギーを作る呪術を解除したら、いきなりあれもこれも後悔し始めた」という話です。
ようやくこのエネルギーも出切ってきたのか、あれからいくつかの気づきと内的変化がありました。
今日はそれについて書きます。
まず一点。
「うわっ、これじゃなかった〜! なんでこれを買ってしまったんだろう」
ということを、あのブログ記事以降何回か、いや「何回も」繰り返していた。
いつにも増しての後悔とせめぎ合いと逡巡が襲って来ることで、それはやはり普段とかなり違うことなので、「エネルギー出てるな」と感じざるを得ませんでした。
そしてそういう時には決まって、そのことにとらわれてしまい、考えても仕方がないのに考えてしまっていた。
「あぁー、また考えてる、考えても仕方のないことを!」
と思えば思うほどそれは苦しくて
「いつ揺り戻しは終わるんだろう?」
同時に
「本当にこの感覚がなくなるんだろうか。こんなに強く感じてしまっているのに」
とも考えていた。
なのですが、今日また変化があったのです。
とある買い物をしたときに、明らかに選択ミスをした。
照明器具を買って帰り、部屋につけたらサイズとデザインが合わなかった。
最初、
「あぁ〜、なんであの時迷ったあっちを買わなかったんだろう、、、」
とものすごく後悔した。
が、次の瞬間ポンとスイッチが入ったようになって、ただ「買い直そう」と決めた。
それだけでなく、そのことについてすぐに忘れることができて、いつものように「痛恨のミス!」と落ち込んだり、あっちを買っていたら今頃どうなっていただろうというような、無駄なシミュレーションをしない自分に気づいた。
要するに、「それについては以上!」と、ただなれたのです。
そのとき理解したのは
「そうか、エネルギーが変わると、後悔する出来事がなくなるんじゃなくて、後悔するような出来事が起きても感情的に巻き込まれなくなるのだ」
ということ。
もっと言えば
「それはそんなに大事と捉えるようなことじゃなかった」
とハートが理解して、それについての次の行動を決めたらもう忘れてしまえる自分になれていたといこと。
これってすごく大きくて、今までどれだけ小さなことにこだわり続けて大局を見失わされてきたのか、ということでもあります。
要するに、それは根深い恐れとも紐付けられていたのだと、今気づきます。
根深い恐れによって小さなことにこだわり続けさせられ、それによって不自由な世界を自分につくり続けてきたのだということ。
だからまっすぐ前に進めていなかったのだと。
それがない今、すごく軽い。
そして行動に無駄がなくなり同じ場所をぐるぐる回っている感が減りました。
「後悔エネルギー」がなくなると、自動的に後悔しない選択ができるようになって、後悔する出来事が減るのだと勘違いしていた。
その可能性もなくはありませんが、それよりも何よりも、
「そんなことに動じない自分」
が現れてくるのだと。
今、知ります。
さらにもう一つ、おまけのような気づきがきた。
それは
「なぜ自分は、後悔ばかり繰り返しているのか」
についての考察。
正しくは
「後悔する出来事を呼び起こす、自分の誤った行動パターン」
が突如見えてきたのです。
それは、一言で言えば
「見切り発車」。
ちゃんと下調べをしない、サイズをしっかり測らない、わからないからやめればいいのにダメ元でとりあえず買ってしまう、という自分の「いい加減ブロック」についてです。
要するに、無意識下において、後悔するような行動パターンが身についていて、それに気付けなかったために、日常的に「後悔する」出来事が頻繁に起きてきていたということ。
もっと慎重になりさえすればよかった、という、しごく簡単なことに、今まで気づかなかったというところが、呪術だな、ということなのですが。
また実は、もう一つの気づきもあったのですが、長くなるので一言でまとめると、
「後悔するような人と居続ける」
パターンです。
後悔するような人と居続けるって、どういうことでしょうか。
関わらなくていい人と、これまでも関わってきた。
そのせいで、時間と労力を取られ続けてきただけでなく、その人のエネルギーの転写があり、それによっても後悔グセはもたらされていたこと。
今頃気づいてしまったのです。
これってかなり仕組みは複雑なのですが、できるだけ簡単にまとめると
「許せないはずのことを許し続けてきた」
に集約される。
たとえば、約束事を守らない人を、切ればスッキリ問題事はもう起きないのに、切りきれない。
そして、その関係性を通じて、時間と労力の浪費があっただけでなく、その人からの能力の低さや人への敬いのなさの「転写」があったということ。
あるいは、お金遣いが下手な人と一緒にいることで、要らぬお金に関する心配や面倒事を引っ被ってきた。
それによって、その人が放つ
「あぁー、またやってしまった、、」エネルギー
を引っかぶり、あたかも自分のエネルギーのようにそれが働く時、それは自分に対するジャッジ判断としての
「私はダメ。だからダメ。だから嫌い。後悔したくないのにまたやってしまった。だからダメ。嫌い」
この転写によって、自分嫌いをより深くしていたことにも気付かされた。
エネルギーって、結局うつります。
七面倒くさいことをいつも考えているような人と一緒にいれば、七面倒くさいことを考える人になってしまうように、後悔グセ、終わったことをぐちゃぐちゃ考えて「今」を犠牲にするようなタイプの人と居続ければそうなるということ。
だからこそ、「今ここ自分」を大事に、エネルギー的にそうなり切るためにも、一緒にいる人を選ぶことはとても重要だということです。
これについては、また今度、もう少し詳しく書いていきますね。
「エネルギーはうつる」。
とても重要なトピックスです。
それでは、また。
本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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