2021年12月2日
高松〜岡山の解除旅、始まりました
今、高松空港に向かう飛行機の中でこれを書いています。
すぐに着いてしまうので、手短に今回の旅の概要についてまとめておこうと思います。
まず、私は実際何も知らされていなかったことを強調しておくところから初めていきますが、、
うちの父方の実家は岡山の備前市にあるようです。
「あるようです」と書くのは理由があって、なぜならそれは父方の実家とはもうほとんど交流がないから。
母は三姉妹の長女であり、父は三男。
ということで、いったん婿養子に来たような形で、うちの母方の苗字を名乗ってはいた。
だけれども、基本的にうちの父は(私がそうであるように)気ままで気まぐれ、そして気難しかった。
なので、母の苗字を名乗っていても、まったく婿養子に来た感覚もなく、母方の家を継いだつもりもなかった。
こここそ「ないようです」と書くべきかもしれないが、娘の私すらキッパリ「なかった」と書けるほど、父にはその気がなかった。
なので、うちの家は宙ぶらりんで、母の父母(私から見た母方の祖父母)は誰を頼ることもできず、また母もぼんやりしている人だったので、祖父母はかなり気を揉んだのだと思う。
結局、母の一つ下の妹の旦那さんがよくできた人で、うちの祖父母の面倒を見て、家も建てたし、最終的には父に代わって墓も立てた。
これが何を引き起こしたのか、、、
簡単に言うと、母方から来るよき先祖的影響力は、すべてうちの父母に流されてくるでもなく、その妹夫婦のところに流れて行った。
そして、うちの母の妹夫婦(私から見れば叔母夫婦)一家はとても健康的でみな成績優秀、いい学校を出ていい会社にお勤めをして、ちゃんと家庭を持って子供を持ち一戸建ての家も皆建てて幸せに暮らしている。
一方、私はどうだったかというと、すでにこのブログで書いてきた通りのはぐれカラスのような人生を送ってきた。
私の父も母も、私が熱心に先祖供養を始める以前は働いても働いてもお金はなく、いつも何かに怯えるように暮らしてもいた。
結局それは、父は家を出て自分の家の苗字も名乗らず、そして母は母で長女の役目を果たしていない感覚もなく、しかし全く果たして来なかった。
結果、我が一家は、父方からも母方からも守られないという状況が長らく続いてきたのです。
そして、今回の旅は、そんな母方のエネルギーを連れて(母と母方の家族という意味)父方の先祖を癒しに行く儀式であることを、今知らされてもいますが。
それに加えて、高松からお遍路道を少しだけ行くことによって、空海のたどった道筋をたどり直しながら、金毘羅宮から善通寺、そして瀬戸大橋を渡りながら何かの儀式が行われるらしいこと。
その前に、高松城では、同行者のパワーパートナーのハマりたる魂の救出と同時に、私の家族の魂の救出を行う。
それだけでなく。
倉敷は美観地区でさらなるエネルギーサポートがあり、吉備津神社で鳴り釜の儀を行うことで、インドやインド系修行僧の鎮魂の儀を行いつつ、吉備津彦神社で参加者全員の魂の荒い浄めを行う、という行程です。
実際にはそれ以外にもたくさんの秘密がこの旅にはあって、これから行うオンラインサロンメンバー向け2回セットの根深いお金ブロックに関わる呪術解除セッションの下地づくりもここで行われるらしいこと。
これだけまとめたところで、まもなく高松空港に到着するので、いったんブログを終えます。
以前はたびたびこのような魂の解放旅に出かけていて、日本全国はもとより世界中を駆け巡ってきました。
コロナでしばらく出掛けられなかったので、このような旅は本当に久しぶりです。
いつものごとく、空港では、行く先の眷属的存在がお迎えに来てくれていて、今回はごっつい護衛隊長みたいなドーンとした鎧を着た男の人。
「厳戒態勢」と言う雰囲気で迎えられて、いったいどんな旅になるのやらと、、
今からワクワクです。
では、また書きます。
本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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