2020年12月2日
ギバー、テイカー、そのどちらも「恐れ」が下敷きになっている
結局、人生を進ませない力は「恐れ」なのです、という話です。
先程、ギバーもテイカーも、過ぎると人生はうまくいかないという話をブログ記事に書きました。
でも、ギバーの人は大抵信じ込んでいる。
人に差し上げることはいいことだ。
徹底的に奉仕して差し上げると、それ以上のものが必ず返ってくると。
あるいは、ただ気分がいい。
人にやってあげられる、いいことをしている自分は、いい人だ。
だから、そんな自分が好き、と。
だけれども、全てはバランスなのです。
もし、徹底的にやってあげることは好きだけれど、やってもらうことが嫌いだとしたら。
その人は、実はやってもらうことに対して恐怖心を持っていると言えます。
例えば、さっきお話をしたB子さんがこのタイプだとしましょう。
B子さんは、やってもらうことが重なると、お尻がモゾモゾしだす。
人に気を遣われすぎたり、物をもらうことが重なると、申し訳ない気持ちにもなる。
そして、「絶対にお返しをしなくて!」と思い、やってもらったことの2倍や3倍のものを相手に返してしまう。
すると、ホッとしてまた気分が良くなる。
このとき、B子さんの心の内側を覗いてみると。
実はB子さんは恐怖している。
やってもらうことばかりが続くと、相手に嫌われるのではないか、疎んじられるのではないかと。
あるいは、何か手痛いしっぺ返しがそのあと来るような気がしてならない。
そして、せっかくの好意をそのまま受け取ることができない。
できなくて、お礼を徹底的にするまで気が休まらない。
そんなB子さんは、おそらくこういう過去世を持っているでしょう。
その昔、庄屋の家系の三男坊だったB子さん。
その時の生まれ変わりではそこそこ裕福で、長男や次男ほど責任が重くなく、甘やかしてもらえる三男坊だった。
すると、B子さんはこう思う。
「人生なんて楽勝だ」。
そして実際、問題はなく、努力する必要もなく、取られることもなく、また取ることもなく、日々は平凡にすぎて行く。
みんな、豊かな庄屋のせがれだということで良くしてくれる。
だけれども。
あるとき、庄屋の家が潰れた。
多額の借金を父が保証人のハンコをつくなどしてこさえてしまい、あるいは人に騙されるなどして、すべてを失う。
家を追われたB子さんやその家族。
そのときB子さんはこう思う。
「人は怖い」と。
なぜなら、誰も助けてくれない。
皆、手のひらを返したようになって、見向きもしない。
この間まで、ヘイコラ頭を下げてきていたような人たちも。
さらにB子さんはこのように思う。
「人は変わるものだ。簡単に信じてはいけない」と。
またさらにこういう教訓も得た。
「人に逆らってはいけないし、かといって、頭を下げすぎてもいけない。結局人は孤独なのだ。でも、不用意に大勢の人と関わらない方がいい。どうせいつか裏切られるのならば、はなから関わらない方がいい」。
これら全てが、一つの過去世の中で備わるとは言い切れなくて、実は他の過去世においても人に裏切られたり、不用意に自分をさらけ出しすぎてひどい損をしたり嫌われたりもした。
取られすぎたりもした。
そんなB子さんは、実は人嫌い。
他人が信用できない。
でも、もともと人の良いB子さんは、孤独になり切れない。
なぜなら人気者で、たくさんの人たちが周りに集まってきてしまうから。
だから、完全には心を閉ざさず、ニコニコして周りに合わせはするが、でも本心は絶対に見せない。
そして、いつの間にか人を頼らないペースが出来上がっていて、また人から嫌われて突き落とされることも怖いので、ニコニコして、相手に欲しいものを差し上げる。
すると、嫌われない。
本心もバレない。
程よい距離感を保ってもいられる。
そうしてB子さんは、人にやってあげることが好きだけれどやってもらうことは嫌い、という人生観を育て上げ、それをベースに育ってティーンネイジャーになり、大人になったら完全にそれは板につきすぎて、自分がそうであることにすら気づけないでいる。
方や、A子さんはどうだろうか。
テイカーであるA子さんの過去世は、このような物語がベースになっている。
その昔、ヨーロッパのある地方でパン屋を営んでいたA子さん一家。
A子さんは主人ではなく、その奥さん。
子沢山でした。
家はそこそこ裕福で、まあまあいい暮しができた。
しかし、ある時、一家離散の憂き目にあった。
強盗が店に押し入り、主人を殺してお金を全て盗んで逃げたのだ。
犯人は捕まらず、A子さんは泣き寝入りするしかなかった。
このときA子さんはこう思った。
「人は信頼できない」。
さらにこうも思う。
「取られるくらいなら、取ってやれ」。
また、こうも思いました。
「人は醜い。この世は競争だ。取る者か取られる者か、どちらかしかいない。私は絶対にもう取られる人にはなりたくない。全ての人を疑ってかかり、取られる前に取ってやる」。
シンプルです。
かくしてA子さんは、テイカーとなった。
しかし、肝心なのはここから。
A子さんもB子さんも、実はとても似たような体験をしていると思いませんか。
そう、実はどっちもどっちの体験なのです。
どちらも、人に裏切られている。
そして、取られて損をしている。
そのどちらも、恐怖心を抱かせるのに十分であり、そのせいでA子さんもB子さんも辛酸を舐めさせられた。
おかげで、B子さんは人を完全に信頼できず、心を半分閉ざした人となり、そのおかげで人から何かをしてもらうことを恐怖する人となった。
また、あげることで嫌われない、狙われない、嫌なことをされないという考え方を覚え込み、もらうよりも、あげる方が安心するから、ただあげ続ける人となりました。
方やA子さんは、とにかくもう取られたくない一心で、ひたすら人から取り続ける人になった。
同じような体験を経たあと、現れてくる性質のこの違いは何なのか。
もともとの性格の違い、というより他はありませんが、じゃあ、その性格の違いを作るに至るのは、いったい何なのか。
実は、そこに呪術が絡んでくるのです。
話せば長くなりますから、かいつまんで簡単にお話をすると。
要するに、先祖です。
私たちの肉体を作るに至る、先祖からの血肉の流れはあります。
すると、その先祖の想いや体験や覚え込んだことは、私たちの肉体を通して私たちに授かる。
これが、パーソナリティとなる。
その上で。
魂の記憶としての、過去世の想いがそこに宿る。
すると、その先祖の体験プラス、私たちがかつて体験した過去世の記憶が私たちを作る構成要素となる。
しかし、先祖はその昔、御祈祷三昧だった時代、たくさんの祈祷によって大小様々な呪いや呪術にかけられている。
すると、その想いぐせの中には、自分を絶対に幸せにしないであろうもの、他者に嫌わせるようなもの、たくさん混じり込む。
これらがすべてコンフューズし、色とりどりの呪術の糸が絡まり合う時、私たちは自分たちでこれをほどくことができなくなっている。
すると、私たちは思います。
「呪術って大変だ」。
でも実は、もっと大変なのは、それが呪術によるものだと思わせられない力のこと。
すなわち、間違いに気づかない状態を延々と作らせられているのに気づけないということです。
これがつまり、過去世のいくつかの体験を経て私たちがそれを有意義に使うことができなくなり、どんな体験であろうとも逆振りにしてしまうような、そういう状況を作らされるに至る過程の話です。
何となく、分かっていただけたでしょうか。
ほとんどの人たちは、魂側よりも先祖側(肉体側)に多くの呪術を持ち越す。
これが、その説明の一つだとしたら。
やはり、先祖供養および、先祖系呪術の解放は必ず必要であるということです。
お分かりいただけたら幸いです。
さて、今週末に、年末に行なう「ワールド先祖解除セッション」の募集を開始します。
年内最後のセッションになります。
ここで扱うのは、やはり、多数の人に大きな影響を及ぼし続ける先祖系呪術解除です。
それだけでなく、たくさんの先祖の想いグセ、体験をもとにした怒りや悲しみなどの感情の固まりもリリースしていきます。
すると、自己肯定感が高まったり、他者と不用意に争わなくなったり、取るものとりあえずで取られなくなったりしますから。
必ずお受けいただくご本人と、その御家系の方々に良き影響力は及ばせます。
大勢の方にお受けいただきたいですが、やはりこれも負荷がかなりかかりますので、いつも通り定数制とさせていただいています。
ご希望の方はぜひお早めにお申し込みくださいね。
それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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