2020年6月15日
大きな気づきと変容について その2
もう一つの大きな気づきについて。
ここでいうのは、気づきとはちょっとニュアンスが違うかもなので、言いなおしますね。
ただ、のんびりした資質が備わってきた、ということなのだけど。
のんびりした資質って何だろうというと、それは「全てに手放しができている状態」のこと。
たとえば、たとえばだけど、超高いものを買ってしまったとする。
前の自分だったら、けっこう引きずっていつまでも同じことを考えてしまっていたかもしれない。
「何で買ってしまったんだろう」とか「さすがに買いすぎた」とか「今じゃなくてもよかったんじゃないか」とか。
でも、今の私は、心臓がキュッとすることもなくて、「おおー、買ってしまった」と思うだけ。
そして、忘れていられる。
買ったことすら、というのじゃなくて、買った瞬間にしまった!と思ったことすら、という感じ。
これは、収入が増えたからとかではなくて、何も変わらなくて、勝手に起きてくる内的変化についてです。
だけども、本当に不思議なことに、こうやって思えるようになってくると、それを購入しても屁とも思わないような収入がやがてやってくる。
それが、宇宙の法則なのです。
お金の例だけじゃなくて。
たとえば、誰かに何かを言ったりやったりしてしまったとき。
前の自分だったら、いつまでも気にして引きずって考えすぎてしまっていたかもしれない。
今は何か、深く考え込むのが「面倒くさい」という感覚になっている。
この「面倒くさい」という感覚は、前に「呪術によって面倒くさいとい状態が現れていた」と書いたときの「面倒くさい」とはかなり意味が違う。
何というか、ただ気にできない感じ。
深く考え込めないというか、前みたいに自分がなりそうになる瞬間、何か違う感覚にとらわれる。
そして、「ああ、なんかもうどうでもいいや!」という感じになる。
この「どうでもいい」と思えるか否かって、実はものすごいエネルギーの変化なのだと知った。
なぜかというと。
考えたところで変えられないこと、今さら考えたところでどうにもならないことを、これまでは延々と考えていたんだ、ということなんです。
考えることで、何とかなってるような気すらしていた。
そして、それが無駄であったことにまったく気づけていなかった。
考えることによって、何か変わるとか、事態が良く変化するならいいけど、何も変わらない。
なのに、脳味噌の中身がそこ一色になるとき、それはエネルギーが無駄に使われていたということ。
そこに気づけていなかったときは、真剣にいろんなことを考えることは前に進んでいることだと思い込んでいた。
私の変化って、基本的には自分の解除セッションからもたらされてきているものだから、おそらく、集合意識の扉を通じて多くの人と同じ変化や意識を共有していると思う。
なので、ぜひ皆様にも考えてみていただきたいのですが。
無意識レベルで、いつまでも同じことをグルグル考えていた自分、いませんか?
それを考えても何も変わらないのに、考えることをやめられない。
やめられないだけじゃなくて、考えすぎることはよくないことだというアイデアもわかない。
そして、何も考えてなさそうな人に対して「あなたは何も考えてなくていいわね!」と言いながら、内心小馬鹿にしていたり。
複雑に絡まる人生のコードを、難解に解釈した上で、一つ一つ紐解くことにこそ、人生を生きる意義であると曲解していたような。
これこそ、先日行った呪術解除セッションと、7回セットのお金恐怖エネルギー解除セッションの賜物だと、知りました。
ということで、今の私はのんびり屋さん。
深く物事を考えることが、ちょっとだけ不得意になってきていて。
さらに、今ここにある何らかに対してしか、基本的に自分は関与できないのに、何かを想像したり思いを巡らせたりしながら、それをややこしく考える癖もなくなってきた。
「えっ、考えても仕方ないじゃん!?」と、今ならシンプルに思えることも、前の私だったら「わかっちゃいるけどやめられない」状態でしかありませんでした。
これは、呪術解除の効果でしかなくて。
またこの気づきは、本来の私が理解できるレベルではない領域から来ていた、サブリミナルな音源を介して複雑絡まるブロックがはずれたから起きたようなのです。
不思議と、こうした解除セッションの効果ははかりしれなくても、気づいた領域はシンプルすぎるほどシンプル。
あっけないくらい。
だけども、その結果起きてくるのは、すごく居心地のいい楽な生活です。
結局、自分を苦しめ続けているのは、自分自身。
どこまでいっても、この理論から逃れられません。
だけども、そこからもう一つだけ良い効能があるとしたら。
今の私は、人を責めない気持ちにようやくなってきている。
そうか、全部自分が作ってきたんだ、と気づいたらね。
怒る気持ちや責める気持ちになれない。
全部、自分が引き起こしてきたことだから。
そういう気づきの段階って、これまでたくさんの場面で起きてきていたけど、今回は、かなり階段を駆け上がったような気がしています。
ということで、けいこヴァールハイトでした。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。
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