2020年11月15日

奇妙奇天烈な夢、それは整合性の取れない世界に疑問を抱かせられなかった魔法の解放へと繋がる

 

 

昨日ブログでご案内させていただいた『ワールド先祖解除セッション』、満席をいただきました。

 

 

お申し込みの方々、誠にありがとうございます。

 

 

今回もしっかりさせていただきますね。

 

 

さて、今朝方、2回セットの呪術解除セッション『ハートの呪いを解き愛と幸せと全てを手に入れる』をさせていただいた。

 

 

その影響で、起きる前に強烈におかしな夢を見ていました。

 

 

明らかに呪術解除に関する夢であり、恋愛絡み、また過去のたくさんの仕事関係者や知らない人たちが大勢出てきたので、やはりこのような呪術解除の当日は大きくここに向けてエネルギーが下ろされるのだなと思って面白かったです。

 

 

こんな夢。

 

 

私も含めた男女4人で電車に乗っている。

 

 

向い合わせの若い男の子が私のことを気に入っていて、私もいい感じでくすぐったい感じ。

 

 

でも、その男子2人はとても珍妙な格好をしている。

 

 

髪の色がショッキングピンクで白いヘアーバンドをしていて、明るい色のパンタロンを履いている。

 

 

夢の中で、これが最近の若い子の流行りのファッションなのだろうかと思っている。

 

 

一緒にいる女の子が降りる駅が分からないといい、みんなで地図を見るが、路線図はあっても文字が書かれておらず、わからない。

 

 

焦っているうちに、男の子たちは自分の駅に着いたからと先に降りていく。

 

 

気になっていた男の子と連絡先を交換する。

 

 

 

場面変わり、渋谷に来ている。

 

 

『新しい地図』という名前の楽曲が流行っているみたいで、渋谷の街の大きなスクリーンでPVがやたらと流れている。

 

 

若い新人の男の子のデビュー作で、そのキャンペーンをしているよう。

 

 

駅ビル内の本屋を通りかかり、ふと気になった本を買うと、その中に『新しい地図』の元となった実話の話が収められていた。

 

 

渋谷のオープンカフェで流れる歌を聴きつつ、その本を読んで「偶然だな」と思っていると、なんと隣の席にその歌手の男の子が座っている。

 

 

「えっ、何この偶然!?」と驚く。

 

 

場面変わり、電車に乗っていると、知り合いが偶然乗ってくる。

 

 

驚いていると、次の駅でまた別の、昔仕事をしていた恋愛カウンセラーの先生が乗ってきて、お互いに驚く。

 

 

その時私と一緒にいたのは、昔働いていたダークサイド企業である大手出版社の知り合い。

 

 

「私たちは◯◯社で一緒に前働いていて」などと説明していると、また次の駅につき、なんと『新しい地図』の歌手の男の子が乗ってくる。

 

 

「えっ!?」と絶句する。

 

 

しかも、驚くほどその子の背が低く1メートルもないくらい。

 

 

びっくりし、今日渋谷で偶然、本を買い、歌を聴き、ご本人ともさっき会ったという話を興奮して皆に話している。

 

 

聞いているおばさんの顔が、砂壁の中にオレンジ色の石が無数に埋め込まれたような肌をしていて、「なんだこのおばさんの肌は」と気味悪く思いながら話している。

 

 

気付くと私も両手にオレンジ色の砂や小石を握りしめていて、その感覚が非常に気持ちが悪い。

 

 

隣にあったバケツに捨てる。

 

 

とある人たちはサイケデリックな服を着ていて、とある人は真っ黒いスーツを着ている。

 

 

全てが奇妙で、全てが鮮明な、不思議のエリアに迷い込んだような夢でした。

 

 

さて、実はこの話には続きがあり、一度起きてから寝た後、その続きの夢を見た。

 

 

はずなのですが、さっぱり忘れてしまいました。

 

 

ただ、豊かさに関する夢だったと記憶しています。

 

 

現役の芸能人の方が多数出てきて、どうのこうの、というような。

 

 

その後、また起きてから寝ると、今回のセッションに申し込んでくれていたスタッフが現れて、2人でエルメスのセールに行く、という夢を見た。

 

 

 

けっきょく。

 

 

これら一連の夢は、愛と豊かさと、それらを阻む呪術に関するエネルギーの連鎖でした。

 

 

なぜなら、愛と豊かさは同じエリアにあるから。

 

 

私たちが真実の豊かさを得られるときには、同時に真実の愛を得ています。

 

 

またその逆も然り。

 

 

だけども、私たちはたくさんの幻想にやられながら生きている。

 

 

それはまず、「愛は幻である」という幻想。

 

 

この幻想を持っている人たちは、「真実の愛なんてない」とのたまう。

 

 

そして、「愛はいっときのものでしかなく、一時的に盛り上がっても枯れるものである」と思い込む。

 

 

すると、その幻想は現実のものとなり、その人たちは「ほらね、やっぱり」と言う。

 

 

この堂々巡りの果て、私たちがたどり着くのは、真実ではない一時的な愛としての、お為ごかしな、調整可能な愛です。

 

 

その愛とは、たとえば自分優位な愛であり、そこまで深く愛さない愛であると同時に、代替可能な愛です。

 

 

この方が安心するから。

 

 

あるいは、究極を求めるタイプの人ならば、誰も愛さないと決めて、長らく恋人を作らない。

 

 

これが結局、孤独癖となり、寂しさを自分に感じさせないために無理やり何か夢中になれるものを作り続け、やはり代替物を持つことで安定する思考です。

 

 

今回の呪術解除セッションでまず取り去るべきは、皆が古い時代から持ち越すこうした癖としての、思い込みの元の除去。

 

 

そしてそれはやはり、単なるカルマなどではなく、呪術の果てにもたらされたものであったこと。

 

 

 

たとえば、『新しい地図』のメタファーとは何か。

 

 

やはりそれは、新しい真っ白な場所に自ら構築していく、自分だけの人生観に他なりませんし、その歌を歌っている背の低い若い男の歌手こそ、セッションを受けてくれている皆のメタファーであること。

 

 

そして私が2回も偶然会い、また偶然歌を聴き本を読んだメタファーとは。

 

 

それは、セレンディピティとしての「偶然」を皆に与える使命としての、私の体験を通して皆が同じ体験をしていくことの予告に他なりません。

 

 

セレンディピティとは、「素敵な偶然」を意味する言葉であると同時に、それを引き寄せる魔法でもあります。

 

 

これからのアセンションしていく世界は、上方へ行く人たちはただ上がっていくのではなく、いくつかの隠された鍵を回収しながら上がっていく。

 

 

その隠された鍵こそ、セレンディピティであり、幸福な偶然は、また別の幸せな偶然へと繋がっていく。

 

 

このとき私たちが知るべきであるのは、偶然など存在しないということ。

 

 

すなわち、それは物語の伏線でありつつ、私たちが辿るべき道をきちんと辿っていると言うガイドたちからの合図に他なりません。

 

 

 

私の見た夢で他に顕著なのは、名の知らないおばさんの顔の皮膚が異様であったこと、またその砂じゃりのような皮膚と同様の石や砂利をいつの間にか握りしめていたこと。

 

 

これこそ、異質なものを異質と思わせないような、不思議な呪術です。

 

 

バケツに捨てたということは、この呪術の解除を表しています。

 

 

異質なものを異質に思わせない呪術とは。

 

 

それは、あって当たり前のものがない、あるいは、なくて然るべきものがある、それらに気づかないばかりか、疑問すら抱かせられなかったこれまでの、本当に不思議な呪術です。

 

 

たとえるならば、お給料が支払われていないことにすら気づかず、ただ延々と当たり前のように働かせれるような、そんな呪術。

 

 

あって当たり前のものがない、それは、愛すべき人が横にいないことにすら気づかず、それを欲しもせず、欲しないことに疑問すら抱かなかったようなことも含みます。

 

 

愛すべき人とは、何も恋人だけとは限らない。

 

 

子供かもしれないし、仲間かもしれません。

 

 

ただし。

 

 

本当に欲しがらなくなったときに得られるパターンもありますから、呪術がかけられて欲しいものに気づけないことはまったく違います。

 

 

本当に欲しくないと思い始めたとき、潜在意識は本当に欲しくなっているパターンの場合、元々欲しくて欲しくて執着していたものが特に気にならなくなる、という風に出ることがほとんど。

 

 

対して、呪術で欲しがるべきものを欲しくもなんともないと思わされているパターンは、昔から興味がない、興味がないどころか、興味を持っていなかったことにすら気づいていないようなことを言います。

 

 

似ているが、真逆であるこれら。

 

 

例えるならば、川で延々と漁業をし続けた人がそのせいで体を壊し、死ぬ間際にやっと気付く、「自分は水に関する仕事が嫌いで、大地を駆け回る牧場で暮らしたかったんだ」と思うような、そんなこと。

 

 

 

また、なくて当然のものがあるとは、人生においていらないもの、それをあえて愛しく思ってしまうようなこと。

 

 

例えば、面倒ばかりかけてくるが何も与えてはくれず、むしろ取っていくばかりの友人たちや恋人、家族たち。

 

 

それを愛しいと思い、それがあるから生きていけると思い込んでしまうような、そのようなことを表しています。

 

 

 

端的に言って、今回の呪術解除セッションで取り去っていきたかったのは、このようなコンフューズした、摩訶不思議な世界観。

 

 

奇妙奇天烈であるということは、奇妙奇天烈なタイプの魔法がかけられていると言うことに他なりません。

 

 

だから、整合性の取れない世界観として夢はとても奇妙だったようです。

 

 

 

またもう一つ、私の恋愛パターンもそこに含まれていましたが、これは個人的になりすぎるので、割愛します。

 

 

ともあれ、また一つ大きな恋愛&豊かさブロックとしての呪術が外れたことが、嬉しくてたまりません。

 

 

ぜひ皆さんも、ご自身の中にある矛盾に気づき、それを取り外すべく正しい行動を起こされてみてくださいね。

 

 

呪術の場合はなかなか簡単には取れませんから、ぜひ私のセッションをご利用いただけたらと思います。

 

 

それでは、本日も最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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