2021年8月21日
「今ここ」にいられない、恐ろしい呪術が外れた結果
続きを書きます。
高次元の存在たちが言った
「生きている実感が、あるのかないのか」
という言葉について。
最近の私は、シャスタで行ったディープな呪術解除と度重なるネガティヴ除去のイニシエーションで、ものすごく大きな術が一つ外れたことを自覚している。
それは
「今までの私は、生きている実感がないままただ生きていた」
ということ。
この気づきレベルはまた凄まじくて。
この気づきによって、どのように人生が変わっていくのかはまだわかっていませんが、しかし、これがどれだけ根深い、取れづらい呪術によってずっと隠されていたのかはわかる。
つまりは、こういうことです。
「私は常に『今ここ』にいなかった」。
言葉に書くと簡単ですが、これは実はゾッとするくらい恐ろしい。
なぜなら、具現化なんてできっこないからです。
具現化の要は
「今・ここ・自分」
にどれだけ集中できるかにかかっている。
しかし、私の場合、基礎的な部分がまず、なってなかった。
それは、呪術によって隠された状態としてそこにあったということでもある。
ちょっとした具現化、ある面での現実創造は、これまでのエネルギー法則から構築できる。
でも、それ以上はどうしたっていけない。
なぜなら、この世の法則として、
「自分が自分の中心にいない人(あるいは居づらい人)は、自分のための真の現実創造はできない」
から。
要するに私は、この魔法にかけられて久しくて、そしてあーだこーだ言いながら、叶うちょっと手前のところをグルグルと、それはもう本当にグルグルと回らされてきたのだとわかった。
なぜ、この呪術がはずれかけているとわかるのか。
最近、とても大きな気づきがあったのです。
それは、
「常に私は探し物をしている」
ということ。
1日に何回も
「あれ、どこやったっけ」
と言いながら、探し物をしている自分に気づいたのです。
メガネ、携帯、帽子、必要な書類、ジュエリー類、お財布、、、
これまでの私はそれが当たり前すぎて、おかしなことだとか特別なことだとか思いもしていなかったことにも気づいた。
これは、とある人からの指摘で気づいたのですが、
「けいこさん、いつも何かしら探し物をしてますよね」
と言われて初めて、自分がそうなのだと気づいた。
と同時に、その人や周りの人は、一緒にいる時間が長くなっても、探し物なんて基本的にしていないことに気づいたのです。
なぜ私は探し物ばかりしているんだろう?と考えた時に、
「いつもここにいないからだ」
と理解した。
心ここに在らずの状態が私の日常であり、それは、常に
「今ここにいない」
自分であり続けることとも同等で。
常に、何かに集中しようとすると、別の何かが意識の中に侵入してきていた。
そして、いつでも「心ここに在らず」状態なので、「今」の自分に意識が定まらない。
結果、それまで手にしていたものがどこかに消え失せる。
意識の中にいっさいないそれは、どこで最後に使ったのか、どこに置いたのか、ほぼ覚えていない。
そして、「だいたいここだろう」と思える当てずっぽうの場所を探すと、大抵は見つかって、見つからない場合は不便だと思いながら何かをする。
毎日がこの連続であったとき、具現化できない以前に置いて、私の時間は探し物に常に利用されており、効率が悪いことこの上なかった。
この「今ここにいられない魔法」にかかっている場合、また別の弊害も起きていた。
常に「心ここに在らず」状態なので、ボーッと何かをしているとき、いつでも、「今」ではないことに意識はフォーカスされていて、たいていそれはなぜかネガティブなことだった(どうやらこれも魔法によってそうなってしまうらしい)。
「これこれこうだから、私はダメなのだ」に始まって、「あれはこうだったから、うまくいくのだろうか」「あの人はなぜこうしてくれないのだろうか」、果ては、とにかく人も物も状況も、うまくいっていないこと、不満に感じるあれやからやなことに意識はいってしまう。
気がつけば、しかめっ面をしていて、ため息をついていて、しかも、今この瞬間とは全く関係のない、変えようのないことを何度も考え、考え、結局そのネガティヴな意識はたびたび具現化されていたということにも気づいた。
恐ろしさは他にもあります。
それに感覚値として気付けていない以上、どこで誰に対してし損ねをし続けてきたのかもわからない。
どんなに頑張っても、「こうなりたい」と求めても、人生がうまくいかないのは明白で。
私は、いつでもうまくいきたかったし、だからこそ、この世の法則に従って生きてきているつもりだった。
でも、どこか連動しない一部分があるだけで、大幅に人生は損失していく。
それも含めて、私のガイドたちは優しくこう言ってくれた。
「それもこれも、みんなプランなんだよ」。
要するに、こういうことのようです。
「全ての罪とがカルマの形態は、皆がネガティヴを通じて自己発見をするように、自分が持ち越してきたもの。
だからこそ、そこに突っかかるが、しかし、それによって得たもの、また守られたものもあるであろう。
だから、イーブン。
しかし、前に進みたいならもう手放しなさい」
と。
過去のトラックレコードに引っかかって、そこを嘆き続けることはない。
ただそれは、必要だからあったカルマ的要素。
しかし、気づいたのなら手放すと宣言をすればいい。
さもありなん。
そして私は気づいたので、それについて真剣に考えるようになった。
なぜ、物がいつの間にか目の前から消え失せてしまうのか。
心ここに在らずで、何も見ていないから。
無意識でしか行動していなくて、意識的に今やっていることや感覚としての「生きている自分」にフォーカスできていなかったから。
だから、今の私は「生きる」ということにフォーカスしています。
今朝、何を食べたのかすらすぐに忘れる自分だったけど、
「今、これを食べている」
という喜びを噛み締めながら生きるとき、それは必ずイキイキとした「生きている」という実感になる。
今回の気づきが衝撃的で大きかったということは、これからの私の人生も必ず変わります。
そのような変化は、また別のところでも感じています。
これについては、またいずれ、書けたら書きますね。
最後にお知らせになりますが、今募集をかけている『呪術解除最上級』
を持ちまして、一般募集を行う呪術解除セッションは終了とさせていただきます。
また、今後は、オンラインサロン内でも、できるだけ呪術解除セッションは行わない方向でいます。
今の所の計画ですが、オンラインサロン内でも、呪術解除セッションは、ミドル系のものとディープ系のものを、月に一回だけ交互に行っていきます。
ご先祖供養は全ての方にとって必要な解除項目を含むため、継続して一般の方に向けても募集していきますが、9月以降はこれ以外の全ての解除セッションは、一般募集は行いません。
こちらの『呪術解除最上級』
セッションは、まだ少しだけですが空きがありますので、迷われている方はお早めのお申し込みをお勧めいたします。
それでは、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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