2021年12月14日
旅の記録と呪術が解けたことの考察
絶賛、揺り戻し中なのです。
揺り戻しって、何なのか。
簡単に言えば、「変わりたくない意識」です。
潜在意識はいつだって変わりたくない。
元のポジションに戻りたがるのです。
エネルギーが一定数高まっていこうとすると、慌てて下げていこうとする働きが出てくるということ。
高松〜岡山旅で、かなりエネルギーが上がりすぎてしまった故、出てきている状態のようなのですが。
これに気づけるようになってきただけ、エネルギーレベルは上がっているのだと言えるのかもしれませんが。
たとえば私だったら、こういう時、寝ない、食べない、どうでもいいことに時間を費やす、自分のやるべきことをおざなりにして人のことばかりやって疲れる、という現実が現れてくる。
もうだいぶ前に手放したはずの、これらに、また翻弄されていると思うと本当にうんざりなのですが。
だから、エネルギーワークを続ければ続けるほど、しんどくなってくる時期は必ずあります。
それでも乗り越えていきたいなら、この期間をなんとかやり過ごすほかはなくて。
そういうときには、自分のこれまでのエビデンスと、信念だけが頼りになるのです。
なぜならば、これまでもそうだったから。
これまでも、苦しかったけど、この苦しみを乗り越えてもひたすらエネルギー改革をし続けた結果は、必ずブレイクスルーがあったこと。
身体が覚えている時には、「あー、もうしょうがないな、変わりたくない自分!」と、なんとかやり過ごせるから。
なかなかに、このエネルギー改革の道は楽ではないです。
なのですが。
今日はまたちょっと違う話題について話して行きたいです。
この間の、高松と岡山旅について、やはり話さなくてはなりません。
話さなくてはならないっていう言い方もおかしいんだけど、自分の中でも決着と理解をつけたい気持ちが大きくて。
何をしに行かされて、そこで何が起きたのか。
旅の行程をすべて書き記すのもなかなか大変なので、いくつかの出来事をピックアップしながらお伝えしたいのですが。
まず、岡山やその周辺の土地には私の父方の先祖がたくさんいるらしいと書きました。
そして、今回は母を伴っての、岡山旅。
ということは、母方の先祖と父方の先祖の相容れない部分の穴埋めが行われたこと。
やはり、そうだったらしいのですが、いつそれがどのように行われたのかは、定かではありませんでした。
なぜなら、特段、どこかで特別な先祖供養的なことをさせられたわけではないから。
だけども、岡山では吉備津神社に行き、そして、その前には最上稲荷さんに行かされた。
最上稲荷さんは、日本三大稲荷に数えられている、1200年前から続く歴史ある場所です。
私は実は最初、全く知らなかったのですが、、
以前、初めて姉と二人で父方の先祖供養をしに岡山に行かされたとき(高次元のガイド存在からのアドバイスにより)、吉備津神社に行く前にここに行かされた。
知らなかったのですが、岡山空港に降り立つと、導いてくれた存在が言うのです。
「吉備津さんに行く前に、行っていただきたい場所がある」と。
そして、地図を広げて見てみると「ここです、ここです」と。
まあ、そんなこんなで、今から3年か4年前のことになりますが、初めて最上稲荷さんにお参りさせていただいたのです。
日本三大稲荷に数えられるほど有名なお稲荷さんとは知らず、ただ「でかいなー!!」が、最初の印象。
とにかく境内が巨大なのです。
ここで何をさせられたのか。
正当な、こちらのお稲荷さんを信仰をしている方には怒られてしまいそうな話ではありますが、、
この境内の片隅にあるベンチに座り、ただひたすらに線香を小さく焚きながらお経を読まされていた。
お供物もちょっとだけ置いて。
誰のための何の供養かは知らされず。
なのですが。
やはりこれが、私の父方の先祖にまつわる先祖供養ともなっていたようで。
なぜこの境内でそれが行われたのかは、そのときはわからなかった。
でも、今はうっすらとわかってきたことには、やはりうちの家系もたくさんの神ごとに関わってきた先祖がいるようで、そこに乗っかってくる(もうすでに肉体はないはずの)他家の、頼ってくるエネルギーがものすごかった。
だからこそ、大きなお稲荷さんのお力を借りるしかなかったようで。
さらに言えば、そこに行く前の前日、私は香川県の善通寺と金毘羅さんに行っていた。
そこでも、何らかのエネルギー改革が行われていたようで、さらに言えば、エネルギーをいただく代わりに、どこかで土地やネガティヴ存在の浄化をさせられていたようで。
それによって私のエネルギーが汚れまくっていた、ということもあるようでした。
たいてい、どこかの神社に行かされて、良きサポートを頂くときには、代わりに土地の浄化やネガティヴ存在退治が必ずついてくる。
今回もそうだったようなのです。
遡ること、前日に行った善通寺でも、金毘羅さんでも、一人ひっそりと境内の片隅に佇んで、お経を読まされていたのですから。
そして私は悟ったことが一つあるのですが、これは一つの私の過去世の弔いでもあったんだなということ。
つまりは、かつてこういうことをこれらの土地でやらされていて、そして、祈祷や祈りをしすぎたせいで反作用としての、時空を知らず知らずのうちに曲げさせられていたこと(過去世当時の話です)。
それによって、今の私の人生は呪いに満ち溢れてしまっていて、自ら自分を時空のねじれに閉じ込めていたこと。
そしてそれは、それを行なった土地に行ってでないと解けなかったこと。
今頃、知るのです。
なぜなら、呪術がかけられているときには、それについて知ることは出来ないから。
知るための経路は閉ざされている。
それが、呪術にかけられている状態なので。
だからこそ、ようやく、旅での変容エネルギーが馴染んできた今頃、その事実を知って、受け止めることができるようになったということらしいです。
ちなみに。
旅に出かけて面白いことが一つあったのですが、今世、私が日本においてかけられてしまった呪術があるのですが、その効果が、薄らいではいるけれど、まだある、ということに気づけた。
それはやはり、うつらうつらしている時に見る残像のような映像からなのですが。
そういう呪術の影響下にあるときには、寝入りばなに何らかの映像が見えてくることがあって、でもしばらく忘れていた。
なんで忘れていられたかというと、それは外国に住んでいたので、その影響下になかったからなのですが。
今の私は日本に帰ってきているので、それらの呪術は、日本にいる時にかけられたので、日本で効く。
そして今までは、水面下で効いていたけど、効いていたからこそ映像も見えていたかもしれないけど、注力していなかったから気づけなかった。
しかし、今回、旅に出て、その部分の呪術も解除予定に入っていたようで、だからこそこのタイミングで見えてきたのです。
端的に言って、私は以前インドネシア式のブラックマジックにかけられたのですが、その頃は、いつも寝入りばなにひどい映像ばかりが見えてきていた。
真っ黒い大きな蝿が飛んでいて、私の口の中に入ってきたり。
落ちていた腐ったあんぱんのようなものを、食べさせられていたり。
「私は荒波に乗って上昇する」と頭の中でひたすら唱えながら寝ていたり。
そして、朝起きると左半身のエネルギーが特に真っ黒になっていて、ガイドは隠されて見えなくなっていたし、その後ようやく救出されて見えるようになった時には骨折していた(当時のガイドは白い馬の姿で見えていた)。
今回は、寝入りばなに見えてきたのは、こんな映像でした。
私のバッグが見えてきて、中身を見ていると、私の持ち物の中に知らない黒い大きな皮の手帳が入っていて驚く。
車に乗っていると、何か大きなものも一緒に乗っていて窮屈でたまらない。脱出経路がわずかに空いていて、そこから外には出られそう。
自分の足が見えてくる。指先に塗られているネイルの色が一本だけとても奇妙な蛍光色になっていて違和感を感じる。
これらの映像、なんなんだろう?と最初は疑問に思いましたが、やがて理解したのは、
「今世かけられている呪術が弱まってきているけど、まだかかっているんだ」
ということ。
以前の私にはもっとひどく呪術がかけられていて、それは肉体を弱められるような呪術であったこと。
そしてそれは、「ネガティヴエネルギーを飲まされる」とか、「自分で自分にとんでもないコマンドをかけ続ける」という所作によって、そのネガティヴな状態が作られていた。
しかし今は、私が見た数々の映像から受ける「違和感」程度にまで、呪術の力は弱まってきていること。
だけども、この「違和感」は、いったい私の人生に何を作っているのか。
端的に言って「噛み合わない」という状態です。
タイミングが、いつもなら簡単に合うことも、合わなくなっていること。
今、気付きました。
これもまた、この呪術が解けたからこその気づきなのかもしれません。
今回日本に帰ってきて、肝心の、会うべき人との約束が何回も流れたりしましたし、テレビ出演の話がきても帰国したタイミングの悪さで流れたりもしました。
ちなみに。
さらに言ってしまえば、すごく驚いたことがあったのですが。
私に呪術をかけた当人が、私が香川県の善通寺に行ったとき、全く同じタイミングで四国のお遍路道を歩いていた事実
ええええ、、、
これって、どういう天空の采配なんでしょうか。
これについては、また今度。
長くなってしまいましたが、今日のところは、旅の報告は一旦終わりです。
また書きます。
おやすみなさい。
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