2022年2月7日
根深い孤独感、という感覚は宇宙時代から持ち越す皆に共通のエネルギーブロック
今朝方、久しぶりにハッキリとしたエネルギーの把握ができる、解除特有の夢を見ました。
普段から私はエネルギーの変化を夢で如実にキャッチするのですが、最近は動かすエネルギーが大きすぎることもあり、また顧客の方のネガティヴエネルギーに翻弄されることも多く、夢で何かが行われていることがわかっても、言語化することが難しいレベルでした。
ですが、今日はスッキリはっきり、どんなエネルギーが動かされたのかわかった。
少しだけですが、シェアします。
ぜひ、解除セッション後の参考にされてみてください。
夢の中で私は、とある家に行って何かを話している。
その前に、その家の周辺にある家の扉にブルーの色を塗って、ピンポンダッシュさながら、呼び鈴を押してはさっと隠れる、ということをしていた。
それを行った家は、三軒程度。
長屋のようなスタイルでつながる、一つの家に入ってその家の主と話をしていると、電話がかかってくる。
テレビ電話で、知らない男の人が
「何度もかけてるのに、なぜ出ないんだ!」
と怒っている。
その家にいる、私と同じくらいの年齢の女性の恋人のように思う。
「電話かかってきましたよ!」
と私がその女性に言うと、女の人は「フン」と鼻であしらって、「しつこいのよ、アイツ」という感じで相手にしていない。
そのうち、その女の人の母親が家から出て行き、いつの間にその女の人と私は話し込んでいる。
わかったのは、自分たちの類似性。
「いろんなところで似てるね〜」
と感心して、シンパシーを感じている。
ところ変わって、いつの間にか私は寂しい河原を歩いていて、湿地帯の中の池のようなところに入っている。
そこが温泉でないことはわかっている。
ただの水を沸かした、野外にある温泉のようなところ。
長く浸かっているうちにだんだんお湯が冷めていき、寒くなってくる。
どうしようかなあ、と考えているうちにふと夢の中で気づくのは、
「去年も確か同じ場所で同じようなことをしていたな」
ということ。
でもそのときはここじゃなくて、近くにある本当の温泉だったと思い当たる。
そちらに移動をしようかなと考えているうち、今日が大晦日で、しかも時刻がまもなく夜中の23時30分になろうとしていることに気づく。
「今日は大晦日だった!しかもあと30分で年が明けてしまう」
思い出して、そのニセ温泉から出て慌てて母に電話をかける。
大晦日なのにどこに行ったのかと心配をかけていないかと、、
ところが母は元気な様子で、「今日はこれから年越しのイベントに友達と行くのだ」と言う。
その口ぶりから、私も当然そうやって楽しく過ごすだろうと信じ込んでいるような感じだった。
大晦日のイベントが、とても広い河原のそばで行われていて、たくさんの人たちがそこに集まってきている。
年末年始のイベントは、皆がそこで一堂に会して祝うのが当然、というような雰囲気で、たくさんの人たちが家族や恋人たちとリラックスして談笑している。
ほとんど全ての、この街の人たちが集まってきている雰囲気。
母もこの会場のどこかに友達といるらしい。
元夫からも電話がかかってきて、やはり家族と共にこの会場のどこかにいるらしい。
華々しく花火が上がり始め、イベントでたくさんの若いアイドルたちが歌い出す。
私はものすごく寂しくなって、孤独を感じながら思う。
「私はもうこういうのを卒業したはずなのに。なぜまた一人で寂しく年越しをしなくてはいけないのか」。
去年は誰かと過ごしていてホッとしていたのに、また一人ぼっちになってしまった、、
と思ったところで目が覚めました。
この、「孤独感」には、ものすごく覚えがあった。
また、年末年始のイベントやクリスマスや、自分の誕生日であっても、似たような、寂寞とした寂しさを感じながら一人で過ごした記憶はあります。
起きてまず思ったのは、
「私の中にあった孤独癖と、そこからくる『寂しい』というエネルギーが解除されて出て行ったのだ」
ということ。
そしてそれは、昨日もこのブログで書いた
「自己愛の薄さ」
ともつながっていたと気づいたのです。
基本的に皆が知らないのは、そして知るべきこととしては、
「自己愛の薄さは寂しい状況をたびたび生み出す」
ということです。
自己愛の薄さって、結局は自分に対する愛の注ぎ方が足りないわけですから、常日頃から、自分以外の何らかのもので自分を満たそうと四苦八苦する。
そのうちの一つは、他者です。
他人から愛されようと、必死になる。
この「他人」とは、異性であるとは限らなくて、同姓の友達もそうだし、上司や親や同僚や、対象者は多岐に渡る。
とにかく誰かといようとするし、誰かに認められるために必死に努力し続ける。
私の場合、基本的に自分以外の誰か、だけども誰でも良いわけではなくて、自分が認めた相手でないと嫌だという性質があった。
どんな相手を認めていたかというと、自分と同じように自己愛が薄くて寂しさや孤独を抱えていたような人たちのことです。
自分と同じような状況にたびたび陥りやすい人たちじゃないと、この感覚を分かち合えないとすら考えていた。
だから私の周りには孤独を抱えた人たちが集まりやすくなっていて、そして私は自分の中にある寂しさを誰かが肩代わりしてくれないかとさえ思っていたようで。
しかし、この超根深いブロックは、実はどこからきていたのかというと、これは先祖系でなくて過去世の記憶からです。
しかも、宇宙時代から持ち越すものでもあり、だからこそ根深くもあり、また取れづらくもあった。
そして、ここからがミソなのですが、これを読んでくださっている多くの方の中にも、全く同じような孤独感、孤独癖があるということです。
なぜなら皆、宇宙から地球エリアに迷い込んできたから。
だから、いつだって理由のわからない孤独感に苛まれもしたし、孤独を楽しもうともせず、いつだって悲しがっていた。
帰りたいけれど帰れないから。
故郷にどんなに帰りたくても帰れないとき、私たちは諦めるか、もしくはただひたすら泣き濡れるかしかない。
そんなこんなで、私の内側にいつの間にか孤独感は降り積もっていた。
さらには、孤独感から来る人恋しさは自己愛の薄さとも相まって、いつでも誰かれ構わず深く関わっていきたい心の癖となっていた。
しかしながら、それが叶わないようにハートを閉ざして、そして自分で閉ざしておきながら「孤独で死にそうだ」と暴れ出していた。
なんという、ないものねだりグセだったのでしょうか。
今、この根深いブロックが外れて思うのは、やはり、深い安堵感です。
私はもう、孤独に苛まれたり寂しい思いを二度としなくても済むようになったのかと思うと、本当に嬉しい限りです。
エネルギーの世界は嘘をつかないので、私の中に「孤独エネルギー」さえなくなれば、そのような状況がやってきにくくなり、たとえやってきてもむしろ楽しめたり、あっという間に去って行きもする。
さて、夢の前半の解説をしなくてはなりませんが、あまり時間とページが足りません。
ということで、次のブログで前半部分のとても重要なトピックスについて書いていこうと思います。
一旦終わります。
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